ウェブマガジン カムイミンタラ

1988年01月号/第24号  [ずいそう]    

言葉の修行
鈴木 千鶴子 (すずき ちづこ ・ IAY翻訳部長)

日常何気なく使っている日本語も、いざ仕事に使うとなるとその難しさに頭を悩ませる。語彙(ごい)を含む表現の問題など考え過ぎて、通訳や翻訳の仕事をやめたいと思ったことも度々である。幸い、通訳の場で立ち往生したことはないが、“こう訳せばよかった”“こんな言葉があったのに"と反省することしきりである。この反省がなければ進歩もないと自分を納得させている。

思えば、小さいころから言葉に対して関心を持つ、というよりは、気を付けなければならない環境に育ったようで、これが今につながっているのかもしれない。実家は商売をしていたし、祖母の家も家庭用品・雑貨の店を営んでいて、お盆や暮れの繁忙期には手伝いに行き、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と、大きな声で叫んでいた。ときには集金に出かけて、子どもにしては大金を預かってきたこともあった。相手はみな大人であった。お客さんのところへ行ったら、こうこう言うんだよと、母から口上を聞かせられ、一度口に出し、それから出かけたものである。

その母は、なぜか「しゃべる」という言葉を嫌った。この言葉を使わなくとも「言う」「話す」という言葉があるというのである。確かに「言う」「話す」内容と「しゃべる」内容は異なるし、「しゃべる」は「おしゃべり」につながる。また、濁音のせいでサウンドが良くないのも、その理由かもしれない。それで私も、そして弟たち2人も小さいときから「しゃべる」という言葉を使った記憶がない。

7、8年前のこと、日本語のアナウンサーと仕事をいっしょにしたことがある。その時、彼女の声のさわやかさと、聞きやすさ、そしてスピーカーを通して聞こえる声の裏に見えるほほえみに感動し、あのようなさわやかさを英語で伝えることができたらと考え、アナウンス・アカデミーで勉強することを思い立った。基礎、研究科と6カ月間勉強したが、日本語のアクセント、イントネーション、発声法、そしてもちろん発音と、これまでまったく意識の外にあった多くのものを学び、とても楽しかった。そして一生付き合っていく大切な日本語にもかかわらず、三十数歳になるまで勉強することなく過ごしてきたことを考えたとき、これこそ学校の、それも低学年の音に敏感な子どもたちのカリキュラムに入れるべきではないだろうかと思った。

言葉の数は限りなく、そして時代とともに変わっていく。これからもっともっと修行をしなくては。それにつけても、小さいときから、言葉に対する注意力や感受性を植え付けてくれた親に感謝したい。

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