ウェブマガジン カムイミンタラ

1989年01月号/第30号  [ずいそう]    

納沙布は日本の最果てではない
越郷 黙朗 (こしごう もくろう ・ 北海道川柳連盟会長)

北方領土返還運動は、エトロフまでの千島諸島に絞られているが、樺太も、もうひとつの北方領土であるともいえる。

私は樺太からの引揚者であり、今一度この目でかつての日本領土樺太を確かめたく、稚内に出かけたことがあった。ついでにむかしから日本固有の領土である千島も自分の目で確かめたく、納沙布(ノサップ)岬へ出かけた。昭和37年ころの夏だった。そのころの北方領土問題は、まだまだ盛りあがりがなく、地元漁民の拿捕(だほ)が相ついでいた。

バスは岬が終点になっており、砂地には昆布が干してあり、灯台からは水晶島や海峡の中間にある貝殻島が手のとどきそうな位置にある。その周囲の40艘ほどの小舟が昆布を採っているさまは、一見のどかな絵を見ているほどの平和を感じた。

帰りたい千島が見える位置に住み 黙朗

花吹雪還らぬ島が北にある   東北子

何か安らぐ気分でバスに乗り、発車のエンジンがかかった時、運転手が「あっ、ソ連の軍艦が来たぞ」と叫んだ。10人ほどの乗客もバスを降り海峡を見ると、水晶島あたりから駆逐艦らしいのが、ぐんぐんと近づいてくる。

昆布採りの船もやっと気づいてエンジンをかけて戻ってきだした。艦は見る間に大きく迫ってくる。申し訳ない形容だが、くもの子を散らすように放射状に必死に逃げてくる様子に、乗客のだれもが「早く、早く」とか「捕まるなよ」など聞こえはしないが、叫んだり、手招きしたりの声援も空しく逃げおくれた一艘が駆逐艦の陰になり見えなくなった。

「ああ、また一艘連れていかれたか」の運転手の言葉に、何かやり切れない気持ちで、乗客のみんなは根室に着くまで口も利かなかった。

それから25年間もたった現在、北方領土返還はなんの進展もなく納沙布岬に記念塔や資料館は出来たが土産店も出来、日本東端の最果てとして観光地化しつつあるらしい。

私は北方領土返還が実現してエトロフ島で日本の東端最果てを見れる時がきたら行きたいと思っているが、20世紀では無理な話だろうか。国も世論も、もっと強腰になってほしいものである。

納沙布に仕ち観光の眼を愧じる 黙朗

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