アイヌの長老(エカシ)・山本多助さんが入院中ときき、先日、M君の車で阿寒に行った。出かける前に入院先をたしかめようと阿寒湖畔の知人Yさんに電話をかけた。電話に出たのはYさん本人だった。
「ユリちゃん、しばらく…」、いつもの挨拶ではじまり、一緒にエカシをお見舞する約束をして出かけた。
その夜、北見のM君宅でご馳走になり、1泊した。そのときのM君の話である。
私が電話で気やすく話をしているのを傍らで聞いていたM君は、ユリちゃんを「若い女性(ひと)」と想像した。私が20年も前から彼女をそう呼んでいたことを彼は知らない。彼が会ったユリちゃんは髪に白いものが目立ち、風格をそなえた落着いた女性である。
話は2年前になる。私が網走のウィルタ(オロッコ)の婦人を訪ねたときのことである。いつものように訪ねる前に電話をかけた。私が「アイちゃん」、と話しかけるのをきいたM君は、話し相手を若い女性(ひと)と想像したようだ。私が彼女と別れて先をいそぐのをみて、「アイちゃんと会わなくていいのですか」とM君が心配してくれた。「いまの婦人(ひと)がアイちゃん…」。M君は私が会っていた婦人をアイちゃんの母親と勘ちがいしていたのだ。
私が電話でアイちゃんとか、フミちゃん、ユリちゃんと呼ぶものだから、M君はてっきり彼女らを「若い女性(ひと)」と思いこんでいたらしい。
酒がはいらなくても、口のわるいM君である。「いやあ、おどろいた。センセのお付き合いって、ヂヂイ、ババアばかリじぁない?」。そう言ったあと、M君は阿寒でカミサマみたいなヂサマに会ったことを感動をこめて語るのである。山本多助エカシに会った印象である。
エカシは自宅で、近く出版する本のゲラ刷りを校正していた。見舞にうかがった私たちを「やあ、ようこそ」と、喜んで迎えてくれた。85歳の白髪のエカシは目も口もしっかりしていた。
私がいま、なぜ歳とったアイヌやウィルタに会うのか。樺太アイヌのハルさん、ウィルタのゴルゴロさん、ナプカさん…惜しいヂサマ、バサマを亡くした。いろいろ教えてほしかった。まだまだ聞きたかった―M君はそのことをわかったうえで私にこう注文をつけた。「センセ、これからは若い女性(ひと)にも会わせてくださいョ、いつでも車を用意しますから」。