いくつの頃だったか定かではないが、いつも遊びに行く裏山の奥に、枯葉が布団のようにコンモリと積もり、明るい木洩れ陽が差して、花が咲きアゲハチョウが舞って、別天地のような空間があった。
いつもは数人で彷徨するのだが、その時は偶然にもひとりだったので、素晴らしい宝物を見つけたように興奮した。頃は初夏だったと思うが、枯葉につかり、夢みるようにボーツとしていたのだ。
時間はほとんど止まっているようだった。花を巡る時も、手を延ばせばつかまえられる気がした。
しかし、いつしかヒンヤリとしてきた。枯葉の奥深くには昨年の雪の残りが氷になって固まっていた。
カムイミンタラとか、理想というのは、いつもこんな結末を迎えるというのがその頃からの印象だ。現実はいつもしたたかで、人間の首をねじ曲げてくれる。そのうちに夢みることさえ忘れていくのだ。
だからだろうか、見果てぬ夢を見続けている人達が好きだ。帯広には“世界ほらフキ機構”があり、“十勝連邦共和国”もある。せっせと彼らの尻をたたいては、小さな夢が崩れていかないようにあおっているのが自分の役割だと思っている。
そしてこの頃は、夢だけではイヤだと自己主張する自分を感じている。