50年ほど昔の真夏の昼下がり、札幌―中山岳部の少年達5人の最年少の1人(多分、14歳8ヵ月だった)として、私は黒岳を層雲峡へと下ったのが、この山に関わった最初である。
それは松山温泉(今の天人峡)からトムラウシを登り、高根ヶ原を歩いて表大雪に至り、旭岳、北鎮岳を下った6日間の山旅であった。連日好天に恵まれ、生まれて初めての2,000メートル級の山々。高山植物は花盛りだったし、感じ易い少年の私たちにこの山行は極めて強烈な印象を与えてくれたのであった。
翌々年のこと、トムラウシのメンバーだった橋本誠二さんと私に新たに植田英次君(りんゆう観光前社長)と弟の武夫君ら3人が加わり、石狩川を溯行して石狩岳を登り、ヌタップヤンペツを溯って忠別岳―高根ヶ原を歩いて黒岳の石室へと歩いたことを思い出す。札幌を出て1週間ほど経っていたろうか。この日は生憎、小雨が降っており、グランド・シーツを雨具代りに被って、高山植物の花など見る余裕とてなく、只々、黒岳目指して歩きに歩いたのであった。
50年も経って微かな記憶に甦るのは、翌朝黒岳の下りで成田嘉助という山案内人に会ったことである。私たちのリーダーの橋本誠二さんが、この成田さんは大雪山では名だたるガイドであると知っていて、教えてくれたのだった。中肉中背の成田さんは、今考えてみると60歳を少し越えた年配だったのだろうが、16歳の中学生からみれば随分老人に見えたものである。成田さんは「この年になると、荷を背負って登るのはともかく、下りがこたえます」といった。私も60歳半ばになってしまったが、成田老のことばを今更のように思い出す。
昨年、かつてトムラウシに登った札幌―中山岳部のメンバー3人(林和夫、橋本誠二、有馬純)がトムラウシ50年の記念山行を企て、無事、成し終えた。この時のコースは逆に黒岳から始め、トムラウシ温泉へと下った。黒岳の七合目あたりまで、りんゆう観光のロープウェイとリフトを利用して大変楽に到達することができた。中学時代の親友だった植田英次君が既に世を去っていることを私達は皆、心に思い出し懐かしんだことであった。