ウェブマガジン カムイミンタラ

1989年07月号/第33号  [ずいそう]    

族・たび・旅
小川 道子 (おがわみちこ ・ 共育新聞『おしゃべりからす』編集長)

娘のバイオリンの先生の訃報を伝える電話が鳴ったのは、月曜日の朝。あまりにも突然すぎた。そのたった2日前の土曜日の夕方、娘はいつものようにレッスンを受けてきた、というのに。まだ9歳になったばかりの娘に、私は、事実をなかなか切り出せず、通夜に向かったクルマの中でやっと伝えた。

娘は「どうして?」とひとこと。説明すると、あとは黙ってしまった。ハンドルを握っていた私には、そのときの娘の表情がわからない。ウソや冗談で言ったのではないことがわかる分別はある。信号で停止したとき、そっと娘の方を見ると、涙でグッショリした顔があった。葬儀のあいだじゅう、娘はずっと、そうして泣いていた。ひとことも発さず、声を殺しているわけでもないのに、声のない涙。9歳の娘の、悲しみと戸惑いの交差するその姿に、私の胸は痛かった。

その告別式の翌日、私は友人のSと穂別へ向かった。道なりの低い丘陵は、から松の若葉が萌え、優しい春の色に包まれていた。その丘陵の一角に「北国の森・穂別」という名の分収育林がある。そのオーナーのなかに「旅の森の会」という名称の団体がひとつ。Sと私は、その会の副会長ということになっている。

3年前の6月、私たちは、中学時代の恩師でもあり、生きる仲間のひとりでもあったF先生を失った。先生との出会いはまた、私たちの青春の始まりでもあった。通夜の夜、彼女につながる人たちは夜更けまで会場を去りがたく、思いを語りつづけた。そして、その夜の新しい出会いを大切にしようと盛りあがってしまった。後日、それが「旅の森の会」となった。ネーミングは、終生、旅を愛し、「私の人生は旅が道連れ」と語ったF先生のことばからとり、彼女の気持ちを形に残すべく、から松の森を育てることにひと役かうことにした。

3年たって、すくすくと育っているカラマツの若木を見上げながら、私の娘のことを思っていた。人生のほんの入口で、身近な人との別れを知ってしまった娘は、これからどんな人生の旅を歩むのだろう?と。あれ以来、娘は、まだ一度もバイオリンにふれていない。

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