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1990年03月号/第37号  [特集]    歌志内

世界の檜舞台で活躍するスキー選手を目指して ジュニア教育に夢と情熱を賭ける
ジュニアスキー選手を育てる 歌志内

  
 わが国でもっとも人口の少ない都市、歌志内市のかもい岳国際スキー場で、世界の檜舞台で活躍できるアルペン競技の選手を育てようとジュニアスキー選手の養成に情熱を傾けている人がいます。その人は「かもい岳レーシングスキースクール」(073-0404歌志内市歌神8-6 電話012542-3939)を主宰する斉藤博さん(42)。全国各地から親元を離れてスキー留学をする少年や近隣市町村からトレーニングに通う少年少女たちを預かり、すでに世界ジュニアスキー選手権大会で金メダルを獲得した選手を輩出するほどの成果をあげています。現在のチームメイトは58人。その一人ひとりの可能性を最大限に引き出し、冬季オリンピックでメダルを獲得する夢に果敢に挑戦しています。

ジュニアレーサーの登竜門 かもい岳国際スキー場

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北海道の中央部・空知地方の、そのまた中央部に位置する歌志内市は、かつて石狩炭田最大の埋蔵量を誇る“石炭のまち”として発展してきた都市でした。市制を施行したときの人口は41,000人を超えていましたが、エネルギー革命の影響で炭鉱の閉山が相次いだことから人口は激減の一途をたどり、現在は1万人を割る日本一小さい都市といわれています。

その歌志内市が市勢回復への期待を託しているもののひとつが「かもい岳国際スキー場」です。市の西北部に位置する神威岳(標高467.4メートル)の斜面に2つのゲレンデを設け、全長1,400メートル、最大斜度29度、平均斜度18度のコースを有しています。市民スキー場というよりは競技コースとしての特色を打ちだすため、人工アイスバーンをつくるための散水装置を持ち、2基のリフトに加えて今シーズンから道内で初めてといわれる高速Tバーリフト(T型のうで木につかまって斜面を滑走登行するリフト)を設置したことが自慢のひとつ。毎シーズン延べ70万人のスキーヤーでにぎわいますが、とくに道内外の高校、大学や職場のスキー部が合宿トレーニングのために訪れる数が年々ふえています。

このスキー場はジュニアレーサーの登竜門ともなっている「サロモンカップかもい岳ジュニアスキー大会」を1976年(昭和51)から開催していることでも知られ、いまや日本のトップレーサーとして世界で活躍する岡部哲也選手や川端絵美選手も小・中学生のころは毎年この大会に参加して技を磨いていたということです。

世界のスキー界にはばたくジュニア強化の夢を抱いて

イメージ(ポールトレーニングに入る前、練習の目標や注意を受ける教え子たち)
ポールトレーニングに入る前、練習の目標や注意を受ける教え子たち

このスキー場が、ジュニア強化に情熱をかける「かもい岳レーシングスキースクール」の本拠地です。「ニセコや札幌国際スキー場に比べたらシーズンが早く、しかもシーズンになると降雪が少なくてバーンがよく固まる。それに東側に面しているので風が少ない。日本でいちばんトレーニングに適したコースですよ」と、斉藤さんはその理由を語ります。

斉藤さんは1948年美唄市に生まれ、高校時代まで道内で技量を磨き、中央大学に進学と同時に競技スキー選手としての活動を始めました。卒業後は富山県立山の山小屋に住んでさらにトレーニングを積み、民間会社に就職したあともスキー選手として活躍をつづけました。その成績は、1973年から宮様国際スキー大会大回転で3連勝、1975年の国体スキーに優勝も飾っています。1976年、かもい岳国際スキー場にスキーの専門家がほしいという誘いを受けて歌志内市のスキー場担当職員として勤務。スキー場の運営と地域のスキースポーツ振興に力を注いできました。

選手を引退したあと、斉藤さんにはひとつの夢がありました。「ヨーロッパに大きく水をあけられている日本のアルペンスキーが、世界の檜舞台で活躍できるようになるには選手の競技力アップが必要。そのためにはジュニア選手の育成強化が不可欠です。自分がこれまで積んできた経験と指導理念を生かして子どもたちの可能性を引きだしてみたい」ということ。その夢を実現するためには、市役所の職員としての活動には限界があります。そこで、思い切って市役所を退職し、1981年に「かもい岳レーシングチーム」を創設したのです。

最初は地元や近隣市町村から通ってくる子どもたちへのきびしい強化練習をつづけていました。そのなかには、現在、全日本ダウンヒルチームで活躍している伊藤政照選手(24)やナショナルチームの弟・敦選手(22)らが小学生で訓練に励んでいました。

スキー留学する子が全国から集まって

イメージ(スピードの限界に向かってチャレンジする教え子の胸には世界大会での活躍の夢が)
スピードの限界に向かってチャレンジする教え子の胸には世界大会での活躍の夢が

まもなく、斉藤さんは近隣の子どもたちだけでなく、全国からスキー選手を夢みる子どもたちを集めて強化する合宿所をつくり、「かもい岳レーシングスキースクール」を開設します。スイミングスクールなどはすでに全国に設立されてそれぞれに成果をあげていますが、選手養成のためのこうしたスキースクールの設立は全国でも珍しい。かなりの冒険だったにちがいないのですが、すでに全国レベルの選手が数多く出ていたこともあって、教え子たちの父母の力強い応援によって実現したということです。

チームメイトは小学3年生から高校3年生まで58人。入会はいつからでもできますが、中3からでは遅いとのことです。このなかには、現在合宿所に参加する子が8人います。その子は親元を離れて住所を移転し、学校も転校して地元の学校に通学しています。「そこまで徹底した一貫教育をしないと、とくに雪の少ない地方の子からは強い選手が生まれてきません」と、斉藤さんは断言します。

斉藤さんと妻の久子さんが親代わりになり、食事から生活態度、家庭学習まで親身の世話をしています。四国、神戸、富山、千葉など出身地はさまざま。そのひとり松浦仁平君は小学5年生のときに香川県坂出市からスキー留学して来て合宿所から小・中学校を卒業、この3月には砂川北高を卒業します。8年前、雪の降らない地方からやって来て斉藤さんのもとでトレーニングを積み、全国中学大会で9位、全道高校大会では大回転3位の成績を収める選手に成長し、まもなく入学が決まっている東京・中央大学へと巣立っていきます。

スキースポーツに対する考え方を育てるのが第一

「かもい岳レーシングスキースクール」は競技選手の育成が目的ですが、その第一は「スキースポーツに対する考え方」を育てることに力を注いでいます。そして、子どもたち自身が自分の目的を持つこと。

イメージ(新設されたTバーリフトは反復トレーニングの効率を高める)
新設されたTバーリフトは反復トレーニングの効率を高める

斉藤さんがこれまで試行錯誤の指導方針のなかから得た反省点は「スパルタ教育では、だめだということです。あくまでも本人が主体的に自分の目標を持ち、それに向かってたゆまぬ努力をする。努力できる集中力を自分自身で養うことがだいじです」。したがって、斉藤さんは“根性論”をむしろ否定しています。「精神力は集中力と経験に基づいた考え方、創意工夫のなかから生まれてくるものです。子ども自身がスキースポーツに対する考え方や目標をつかみきれないうちに、まわりから強制したり、おとながこぢんまりと育ててしまうのは間違いだと思うんです」といいます。ただ、教え子たちには「勉強や生活態度をおろそかにして、スキーだけにエネルギーを注ごうとするのは、自分を怠惰する態度だ。学習にも生活にも真剣に全力投球して、親からも学校の先生からも信頼されるようでなければ立派なスポーツ選手にはなれない」と言い聞かせているとのことです。

親の役割を理解してもらうことに心をくだく

そうした指導をしていくうえで重要になってくるのが、親の役割だといいます。

「ふつうの親は、子どもにどう協力してよいかわからないから、金で解決しようとする場合が多い」と、反省を促します。

まず、高価な用具を子どもに与える父母が多いことです。少しでも良い条件でわが子にスキーをやらせたいという親ごころなのでしょうが、それでは子どもを甘えさせることになります。また、親は次々と大会に出したがります。シーズン中の大会は毎週開催されますが、目標もないまま大会に出してもよい成果は得られません。しかも、試合に勝てば、喜んですしを取ってやったり、褒美を買い与えたりします。負ければ親のほうが落胆したり、結果をけなしたりする場合もあります。これでは、子どもは親のためにスキーをやるようになってしまいます。

「金をかけるなら、トレーニングに金をかけるべきです。そして、子どもをもっとハングリーな状態に置き、我慢に耐えて頑張る子どもの力を温かく見守っていてほしいのです」と斉藤さんは強調しています。

100分の1秒を争い、限界への果敢な挑戦をめざして

イメージ(自分の可能性を最大限に発揮するためなんども果敢に飛びだしていく)
自分の可能性を最大限に発揮するためなんども果敢に飛びだしていく

アルペン3種目、とくに回転、大回転を主体に指導します。「アルペン競技は、ゆっくり滑れば失敗することは少ないスポーツだといえます。しかし、失敗を恐れずにポールぎりぎりを回り、100分の1秒の短縮をめざしてゴールに突入する。自分の限界に向かって果敢にチャレンジするのですから、失敗を責めることなどできません」と、斉藤さんはいいます。失敗した場合は、その原因を子ども自身に考えさせる。そして、次のトレーニングの目標にさせています。そして「けっしてあきらめず、長い時間をかけてやり抜け」といい聞かせます。「小学3年から始めたとすれば高校を卒業するまでに10年、大学を卒業するまでなら14年の歳月があります。長いスパンで自分の可能性を引きだす努力をすればいい」というのが斉藤さんの教育方針です。

重心の移動の仕方やスムーズなスキーさばき、スピード感覚の習得など、テクニックの面は若い2人のコーチが指導し、斉藤さんが口をはさむことは少ないのですが、新設されたTバーリフトを使ってなんども反復する教え子たちのポールトレーニングには、いつもサングラスの奥から目を光らせています。

シーズン中は早朝の陸トレ、放課後のポールレッスンの繰り返しですが、生徒たちの表情に真剣さはみなぎっていても、悲壮感といったものは感じられません。それはここのスクールカラーであり、スキースポーツの持つ爽快感のためなのでしょう。

11月、もっとも雪の早い大雪山黒岳で5日間の合宿がスキーシーズンの幕を切ります。冬休み中、それぞれに目標を持った「かもい岳国際スキー場」での合宿が1週間単位の日程で連続します。シーズンオフのあいだ陸トレで鍛えたからだが、雪の感触とスピード感の回復をめざして躍動し、合宿所は熱気にあふれます。地区予選、全道大会、全国大会と矢継ぎ早につづく競技会に自分のすべてを集中してぶつける。目標どおりの成果を果たして勝利に歓喜する子、無念に泣く子…。青春を燃やす雪のシーズンはまたたくまに過ぎていきます。

年2回のヨーロッパ合宿で国際感覚も育てる

イメージ(毎年夏・秋におこなわれるヨーロッパ合宿は氷河の上で滑る爽快感と世界のレベルに近づく自信が)
毎年夏・秋におこなわれるヨーロッパ合宿は氷河の上で滑る爽快感と世界のレベルに近づく自信が

競技の終了は、また次の目標に向かっての出発点でもあります。5月のゴールデンウイークは北大雪で1週間の合宿。そして、夏休みと10月には、オーストリアで3週間の長期海外合宿がおこなわれます。「世界の檜舞台で活躍する選手を育てる」というこのスクールの目標を実現するためには欠かせないスケジュールとして、フランス、オーストリアを中心に9年間もつづけており、毎回20人以上が参加しています。

「日本人はとかく引っ込み思案であり、とくに力に開きのあるアルペンスキーの場合、国際大会の舞台で気おくれして十分に力を発揮できないでしまったという経験を持つ選手が少なくないのです。そうした意識を拭い去るうえでも、この海外合宿の経験は重要な意味を持ちます」と、斉藤さんは強調します。

ヨーロッパのジュニアたちがどんなトレーニングをしているかを知り、練習に参加させてもらう。同じ目的を持って努力しているもの同士として、会話は不自由でも子どもたちはすぐに理解しあい、打ちとけあいます。そして、標高3,000メートル級の氷河の上で3週間もの集中訓練を受ける。そのことが、彼らの心と技を強く鍛えあげます。

環境も歴史も違いすぎるヨーロッパと日本

それにしても、斉藤さんがヨーロッパを見て痛感させられるのは、学校教育のシステム、スキー環境、スキー競技の歴史の大きな格差です。

イメージ(同じ夢を持つヨーロッパのジュニアと陸トレに汗を流す)
同じ夢を持つヨーロッパのジュニアと陸トレに汗を流す

学校教育のシステムをみると、ヨーロッパの学校は土曜日・日曜日が休み、夏休みは2ヵ月、冬休みも1ヵ月はたっぷりあります。これが、練習時間の大きな差になってあらわれます。ヨーロッパには氷河があって、1年中滑ることができるのも絶対的な違いです。指導者はスキーのプロフェッショナルであり、指導理念、指導方法、コーチ制度がきちんとシステム化されています。そして、スキー競技の歴史の差。「どれをとっても、歯のたつレベルではないんです。しかし、その差をなんとか克服していこうと頑張っているわけですよ」と、斉藤さんは決意を語ります。

日本を代表する選手に伸びていく教え子たち

ジュニア指導に立ち向かって14年、斉藤さんの情熱あふれた努力は着実に実っています。

1982年には、伊藤敦選手が世界ジュニア選手権で優勝しました。この大会で金メダルをとったのは、日本のアルペン、ノルディックを通じて初めての快挙です。宮様国際スキー大会で優勝した五藤伯文さんや全日本選手権で滑降、スーパー大同転で2回優勝している川島加奈さんもいます。そして、現在ナショナルチームの強化選手に選ばれている高校生の数馬崇克(砂川北高)、畠山幸夫(赤平西高)両選手と、ただ1人中学生として選ばれている森下美奈選手(砂川石山中)らが育っています。

また、チームの出身者ではないが、岡部哲也選手がワールドカップの回転で2位に入賞したことも、斉藤さんをはじめチームメイトたちに大きな刺激を与えています。岡部選手の入賞は日本アルペン界で唯一銀メダルを獲得した猪谷千春選手に継ぐ快挙であり、オリンピックでメダル獲得が期待される選手の出現によって、彼らの夢をいっそう身近なものにしてくれるのです。

周囲の理解と環境整備、コーチの確保が課題

この春に大学を卒業する川島加奈さんが3人目のコーチとして就職してくることが決まって、コーチ陣が強化されることもあって斉藤さんは監督に専念するといいます。その斉藤さんに課せられたテーマは、学校をはじめとした周囲の理解と協力を得ることです。たとえば、学校側と斉藤さんのスクールにはスポーツ指導に対する考え方の違いがあり、それをどう協調していくかが課題です。

次はトレーニング環境の整備です。リフトのスピードアップ、雪の堅さの調整などにも気を配らなければ研修効果を上げることがでさません。そして、コーチの人材確保と指導です。日本ではコーチの勉強する場が少ないため、ヨーロッパなどへ出向いて優れた指導方法を学ばなければなりません。その費用と時間を確保するのも大きな課題です。

スキースポーツの普及とまちの活性化にも努める

「かもい岳レーシングスキーチーム」は競技選手を養成する専門家集団を目指していますが、スキースポーツの普及と地域への貢献も大切な役割と考えています。

幼稚園から小学低学年のワだスキーの滑れない子を対象にした「ちびっ子スキースクール」と、少し上達した子を対象にした「ジュニアスキースクール」を下部組織として開催しています。これには地元の教師や市の職員がボランティアで協力しあっています。

イメージ(斉藤博さん)
斉藤博さん

「スキーはすばらしいスポーツです。ひとりで滑っても、友達と滑っても楽しい。そして、白銀の大自然の中でスピードを楽しむ快さは格別です。スキーが好きになると冬が苦にならない。北国に住む人にとっては、寒い冬に積極的な生活をする意欲を持たせてくれるスポーツです。私たちは、そんなすばらしいスキースポーツを、かもい岳国際スキー場でひとりでも多くの人に味わってもらう。それがこのまちの活性化にもつながることになると思って一生懸命お手伝いしていくつもりです」と、斎藤さんは雪に焼けた顔をほころばせます。

鬼コーチに見えたが、真剣な姿に今は尊敬を


伊藤政照さん、敦さん

イメージ(伊藤政照(右)と敦(左)の兄弟選手)
伊藤政照(右)と敦(左)の兄弟選手

ぼくが小学校5年のとき、斉藤さんが「かもい岳レーシング・スキースクール」を設立して、ぼくと弟の敦はその第1期生になります。

あのころの斉藤さんは、ぼくらにとって“鬼コーチ”にしか見えませんでした。とにかく、きびしい。スキーの練習はもとより、学校の勉強や生活態度など、何から何まできびしかったという思い出ばかりが、しばらく残りました。だから、そのきびしさについていけない選手もいましたが、最後までついていった人が現在活躍している人たちです。そのありがたみがわかったのは、大学生になってからでした。斉藤さんのあの一生懸命な姿に尊敬する面は多く、よくあそこまでやってくれたものだという感謝の気持ちでいっぱいです。もし斉藤さんがいなかったらいまの僕たちはなかったと思います。

いまの日本のアルペンスキーは、実力の点でまだまだヨーロッパとは差があります。そのレベルアップのためには、あのようなスキースクールが全国各地にふえてほしいのですが、そのためにも斉藤さんにがんばってもらい、いい選手をたくさん養成してほしいと思います。

後輩たちに言いたいのは、練習にしても勉強にしても中途半端な気持ちで向かっていては、だめだということです。とにかく、斉藤さんを信じて、何に対しても一生懸命チャレンジすること。そうすれば、必ず成果が出るし、自分の夢を実現することができると思います。がんばってください。

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