1987年(昭和62)12月5日、釧路市の上田清二さん(当時35歳)と札幌市の金田宏さん(同34歳)のアマチュア天文家の発見した小惑星が、アメリカ・ケンブリッジ市のスミソニアン天文台にある国際天文学連合小惑星センターによって『3,720番目の小惑星』として登録されました。北海道で、正式に登録された第1号です。新しい小惑星が正式登録されると、発見者に命名権が与えられます。2人は早速、この小惑星に『HOKKAIDO=北海道』という名をつけたのでした。
小惑星『北海道』は、地球からもっとも近いときはほぼ1天文単位(太陽からは2.2天文単位=1天文単位は地球と太陽の平均距離約1億5千万キロメートル)の距離にあり、直径は2-3キロメートル、光度16等という暗くて小さな星です。それは、口径30センチ以上の天体望遠鏡でなければ見ることができないといわれています。しかし、アマチュアにとってそんな大きな望遠鏡をそなえるのは無理です。会社員の上田さんが釧路市郊外の私設観測所に据え付けたのは、口径16センチのライトシュミット望遠鏡でした。それに一眼レフのカメラを装着し、写真撮影によって観測したのです。
「小惑星の発見にアマチュアの入る余地は一寸もないといわれていましたから、私たちの発見を知って、世界の専門家やマニアからずいぶん驚かれました。それを可能にしたのは、フィルムの改良と上田さんの高い写真枝術によるものです」と、金田さんは当時の様子を話すのでした。
宇宙は、惑星、恒星、星間ガス、銀河、銀河集団、超銀河によって構成され、現在もっとも遠い星雲として観測されているのは数十億光年の彼方に存在するといわれます。光が1年かかって届く距離はおよそ9兆5千キロメートルであり、太陽の1万倍は明るいといわれる北極星が約800光年、肉眼で見えるもっとも近い恒星ケンタウルス座のアルファ星で4.3光年、銀河系宇宙の直径およそ13万光年などに比較してみると、あらためてその無限な広さに驚かされます。
その大宇宙の中の1つの天体体系である私たちの銀河系には、2千億個の恒星が存在すると推計されています。そのうち、肉眼で見ることのできる6等星以上の明るさの恒星は、全天で7千個程度。北半球にいる私たちは、地上からその半分の3千5百個ほどを見ることができるわけです。
太陽は、その恒星の1つです。地球を含む9つの惑星とその周囲を回る衛星、多数の小惑星、すい星、流星群や細塵・ガスなどの星間物質によって太陽系を構成していますが、もっとも外側に位置する冥王星でも軌道長半径は40天文単位で、光の速さなら5時間半ほどで届く距離ということになります。
その太陽系の構成天体の1つに、小惑星があります。火星と木星の軌道のあいだにおよそ20万個はあるとみられる小さな天体(星)が帯状に集中し、ほとんどが大惑星と同じようにはぼ円軌道をえがいて大陽のまわりを公転しています。なかには、木星と同じ軌道上を回るトロヤ群や、地球の軌道を横切って太陽の近くまで行くアポロ群などの小惑星もあります。
この小惑星の存在がイタリア・シチリア島のパレルモ天文台にいたピアッツィという学者によって最初に発見されたのは1801年1月1日、つまり19世紀最初の夜のことでした。この「小惑星1番」は、ローマの女神にちなんで「セレス」と名づけられています。現在までに発見されている中では最大の小惑星ですが、その大きさは直径約1千キロメートルで、肉眼では見ることのできない7.4等星の光度です。
この発見を契機に、19世紀中に約500個、現在までに4千個を超える小惑星が登録され、いまも年間、100個前後の発見がつづいています。
「真夜中、望遠鏡を宇宙に向けるために開け放した観測所の天井から、夏は蚊が容赦なく入ってきますし、冬は寒気に身の凍る思いです。それを人並みはずれた体力と根気、さらに高度な技術力を駆使して、丹念に捜索撮影をつづけるのです」ニ観測の様子を語るのは、2人の発見に大きく協力している渡辺和郎さん(札幌市青少年科学館天文技術専門員 35歳)です。
フィルムの中に収まる角度は約3度。地上から見る月の大きさが0.5度ですからその6個分の広さであり、全天の1%そこそこ。そのなかでの撮影のコツを、金田さんは次のように説明します。
「南中の黄道付近に目ぼしをつけ、まず20分ほどの露出時間でバルブ撮影をします。この露出時間中に地球は自転していますから、カメラをそのままにしておくと星は線になってしまいます。そこで地球の自転の動きに合わせて正確に追いかけていく“ガイド撮影”をします。露出時間が過ぎたらいったんシャッターを閉じ、わずかに南北にずらして、ふたたび同じフィルムに同じ方法で露出します」。
これで、1つの星が2点ずつ対になって撮影されます。恒星は南北に並んで写りますが、軌道を移動する小惑星は恒星と違った方角に並んで写るので、それを見つけだすというわけです。
プリントされた印画紙には針の先で突いたような小さい点が数えきれないほど並んでいますが、ファインダーを通しても肉眼では見えない星をかなり鮮明に写しだしているのは、微粒子の高感度フィルムが開発されたことが大きな力になっています。しかし、それでは不十分なため、酸素を抜いた真空容器に水素ガスを入れ、その中に2‐3日つけておく“水素増感”をして、さらに感度を高めるのです。
「上田さんは、この一連の技術が日本でトップクラスのレベルにある」と、2人は口をそろえて評価します。
上田さんから送られてきたプリント写真の膨大な数の星の中から、これは?と思った小惑星を見つけたら、こんどは金田さんがコンピュータで確認します。
金田さんは、コンピュータ技師です。彼のパソコンには、すでに確定した小惑星、番号登録を待っている未確定小惑星8千個のほか、30万個におよぶ星表データと画像化された星図が入力されています。そのデータと照合して、新しい小惑星がどうかを確認し、間違いがなければさらに正確な位置を測ります。それには、工場などで使う顕微鏡のXY座標測定器(メジャースコープを使ってミクロン単位の精密な測定をします。これら一連の作業を“整約作業”といいますが、それに要する時間は1個あたり30分程度かかります。しかし、コンピュータの普及で驚くほどスピードアップされました。
新しい小惑星であることを確認したら、いち早くデータ通信でアメリカの小惑星センターに報告します。そのデータ通信の日本の中央になっているのが、渡辺さんのホストコンピュータです。
小惑星センターに報告してから3日もすると、同センターから“仮符号”が付けられた旨の連絡が入ります。というのは、まだこの段階では、ほんとうに新しい小惑星がどうか確定できないからです。
発見した小惑星を座標測定器で位置を割りだしたあと、追跡観測をして暫定的な軌道を求めます。そして、その暫定軌道から今後の予想位置を推計し、さらに追跡観測をします。小惑星『北海道』発見のとき、その追跡観測を担当したのは美幌町に住む円館金さん(30歳)でした。
追跡観測は最低3夜の確認を必要とされ、4回以上の観測で、はじめて確定番号が付けられ、それに発見者が自由に名前をつける権利が与えられます。4回の観測は、必ずしも同一人である必要はありません。過去3回、世界中のだれかが観測したあと見失ったり、4回日の観測が遅れた場合でも、4回目を先に報告した人に確定番号が付けられる仕組みになっています。ですから、観測の勝負は4回目にあり、プロ、アマを問わず、世界中の天文家がここでしのぎを削ることになるわけです。
「地球上にいちど姿を見せた小惑星が、次回、ふたたび地上の観測位置にもどってくる“会合周期”は、ほぼ1年4ヶ月後です。ですから、過去に2回観測されていた小惑星をいま発見しても、来年の秋まで待って、もういちど観測しなければ確定番号はもらえないのです。もし、最初の発見だったら、5年間、見失わないように追跡しつづけなければなりません」と、金田さんは説明します。
しかし、小惑星『北海道』は上田さんたちの発見からはぼ2ヵ月後に確定番号が付けられました。それは、過去に3回観測されていた小惑星だったのです。
この3人は、1987年11月に目的の同じ仲間8人で『北海道彗星・小惑星会議』というアマチュア天文グループを結成しました。札幌に在住しているのは金田さんと渡辺さん。釧路に上田さんと松山正則さん、北見地方は円館さんのほか箭内政之さん、藤井哲也さん、高橋篤志さんがそのメンバー。札幌市南区郊外の滝野にはグループが共同出資して小惑星仕様のシュミットカメラを据え付けた観測所があり、それぞれに分業しあいながら観測ドラマに挑戦しています。上田・金田コンビは1987年3月に観測を始めて半年後の10月25日に最初の発見(UK-1)をしてから、今年5月中旬までに発見した小惑星の数は313個にもなりました。
「誘いあって小惑星の捜索を始めてからの半年は、来る日も来る日も見つかりません。やはり、口径16センチの望遠鏡では無理かと思いましたね。だから、やっとの思いで『UK-1』を見つけたときは、ほんとうに小おどりして喜びました。おそらく、16センチ望遠鏡での発見は、世界でも初めてだったのではないでしょうか」と金田さん。
「一つが見つかると、こんどは次々に見つかるんです。それから3日後の10月28日に発見した小惑星『北海道』はUK-11、つまり11番目の発見です。この2週間に、次々と16個も見つけたのです」と当時をふり返ります。
金田さんたちが見つけた313個のうち、現在までに確定番号が付いたのは16個です。次に多いのが円館さんで、110個を超えています。ホスト役の渡辺さんはすい星観測もやっていて、小惑星の発見は10個、グループでは400個を超えています。
道内第1号の『北海道』のあと、グループ員たちは命名権を得た小惑星に次々と北海道の地名をつけています。
『釧路』『京極』『知床』『摩周』『オホーツク』はグループが名づけた地名。「美幌」「小樽」「幣舞橋」は現在、申請中です。
それに加えて、現在スミソニアン天文台に勤務している中野主一さんが命名した『札幌』「イケヤ・セキすい星」の発見で知られる高知市の関勉さんからプレゼントされた『北見』が、火星と木星のあいだの軌道を未来永劫に回りつづけています。
「京極は金田さんの出身地です。町は金田さんを招いて講演会や夜間天体観望会を開く予定をたてるなど、ずいぶん喜んでいるようですよ。私たちが名づけた小惑星の名は、永久登録されて世界に通用するわけですし、北海道をフィールドにして発見しているのですから、これからも道内の主要なまちの名前をどんどんつけていきたいと思っています」と渡辺さんは話しています。
地名ばかりでなく、恩師や世話になっている友人、とくに陰になり日なたになって観測に協力している奥さんの名をつけてプレゼントしている人もいます。
小惑星1番の「セレス」が発見されて以来、200年間に発見された数は4千数百個。それも、ほとんどがプロの発見です。それを、まったくのアマチュアであるこのグループが、不可能といわれた小さな望遠鏡で1年間に100個以上も発見しているのは、まさに画期的なことです。
「アマチュアの小惑星観測家はアメリカ、イギリス、イタリアなどにもいますが、それぞれ1人ずつくらいなんです。日本国内では20人ほどおり、世界の発見の80%は日本人で占めています」と金田さん。
「私はスミソニアンをはじめ、アメリカのいくつかの天文台をまわってきましたが、工業技術を含めて、日本のアマチュア天体観測の技術的レベルはひじょうに高いのです。ですから、小惑星の発見では完全に世界をリードしていると言えますし、そのなかでも私たちをはじめとした北海道の活躍はめざましい」と渡辺さんも語ります。
「北海道の天文人口は、たしかに増えています。高校、大学のサークルをべつにしても、30グループくらいはあるでしょうね。各地の青少年科学館や博物館などの公的施設が核になって活動しています」と話すのは、札幌市天文台の石山勝則さんです。
天文観測には、流星観測、すい星観測、大惑星観測、小惑星観測、太陽の黒点観測、日食・月食観測・掩弊(えんぺい)観測(月が恒星を隠したり、天体が他の天体を隠す=星食)、変光星観測、それに天体写真撮影などがありますが、実動家はそのどれもを観測する場合が多いとのこと。また、スターウォッチングや天文教室も夏休みなどによく開かれ、天文ファンの幅を広げています。
一方、星をテーマにまちおこしを計画している地方自治体も、とくに北海道はその数を増やしています。
環境庁は1987年夏に「全国・星空の街コンテストをおこなったことがあります。これは、こと座のアルファ星(織女星)とイプシロン星と、ゼータ星を結ぶ三角形の中に見える星の数と位置を7倍の双眼鏡で観察してその記録を競ったり、星に関連した行事や活動に積極的に取り組んでいる街を選ぶものです。その結果、道内から札幌市、芦別市、留萌市、浜益村、美瑛町、上湧別町、陸別町、中標津町の八市町村が選定されています。
また、初山別村では東京以北最大の口径65センチの望遠鏡をそなえた天文台を完成させています。
ただ、天文ファンにとって共通の憂いは、都市では光害や大気の汚れで星が見えにくくなっていることです。
「星の観測をしているものの立場から実感するのは、この美しい星空を守っていきたい。子孫に対しても、きれいな星空を残していきたいという願いです」と金田さんたちは強調しています。
「趣味の楽しみ方はいろいろあります。登山にたとえれば、ハイキングを楽しむ人もいれば、エベレストをめざそうとする人もいます。私たちは、情報と技術力を蓄積して、プロとも互角に競いあっています。努力に比例して成果があがるのも励みですし、その成果は未来に残っていく。天文観測は科学です。私たちはアマチュアではあるが、科学者としての自覚をもって、からだのつづくかぎり小惑星に取り組んでいきたいと思っています」というのは、期せずして2人が語った共通の思いです。
小惑星は、かつてこの軌道にあった原始惑星が何かの原因で破壊されてできたものと考えられ、隕石は小惑星の破片とされています。年齢は地球などと同じ46億年です。小惑星は原始太陽系を解明するうえで重要な情報をもつものとして、近年、研究が進んでいます。そんななかにあって、このグループの活動は、その礎石となる大きな意味をもっています。
小惑星センターは、区切りのよい番号は著名人の名か、功績のあった人に与える特別な取り扱いをしています。その名誉ある4000番という確定番号を上田さんに、そして4,500番を金田さんに贈って、2人の努力に報いています。