ウェブマガジン カムイミンタラ

1990年07月号/第39号  [ずいそう]    

ズミの花
石城 謙吉 (いしがき けんきち ・ 北海道大学教授 苫小牧演習林長)

6月初旬の快晴の昼下がり、樹木園の片隅でズミの花に見とれている。まさに、息をのむような見事さである。溢れるような純白の花が豊かに枝垂れて芝生に届き、木全体が8メートルにも達する大きな花のドームになっている。

ズミという名前は、バラ科ナシ属のヤマナシやナナカマド属のウラジロノキの俗称としても使われているが、目の前にあるのはリンゴ属のズミ Malus Sieboldiiで、エゾノコリンゴに似て枝葉がずっと繊細な小高木である。そのズミが、今、満開の花盛りなのだ。

ほんとうに、見事な木になったものだ。そう思いながら、私の脳裏にはある光景が浮かんでいる。それは、荒れ果てた草むらにひっそりと咲いている、小さなズミの木の姿である。

今から17年前、この2,700ヘクタールの北大の研究林に責任者として赴任したばかりの私は、森の荒廃ぶりと構内一円の殺伐さに胸をつかれる思いだった、花といえば、衰えきった桜とツツジがわずかな花をつけるだけなのだった。そんなさ中に、私は樹木園の片隅で白い花を咲かせているこの木に出会ったのだ。今よりはずっとささやかな、しかし、それはここに来て初めて見た美しい花の姿だった。

それから17年。この木が年ごとに見事になるのを見続けてきた私は、今、18回目の花盛りを見上げている。花に見とれながら、私はこのズミを育てた17年の歳月が、ここのすべてを大きく変えるものでもあったことを思わずにはいられない。いつか森林の回復が進み、また樹木園は道内最大の規模に広げられ、毎年6万人もの人が訪れる所になっているのだ。ズミの木の周辺のかつての荒れ地は、今は美しい池と見本林になっている。しかし、この樹木園の私の原風景の中には、1本の小さなズミの木が立っているのである。

むろん、その17年の歳月が平坦なものであったはずはない。過去の17回のズミの花盛りは、私にとっては時には意欲に燃えた春であり、時には苦悩と焦燥の春だった。変わらぬ花の色とは対照的に、それにまつわる私の年ごとの想いは、さまざまな彩りに満ちている。

こうしためぐる想いに身をゆだねて、私は今、18回目のズミの花を見ている。

◎このずいそうを読んで心に感じたら、右のボタンをおしてください    ←前に戻る  ←トップへ戻る  上へ▲
リンクメッセージヘルプ

(C) 2005-2010 Rinyu Kanko All rights reserved.   http://kamuimintara.net