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1990年09月号/第40号  [ずいそう]    

散髪
藤倉 徹夫 (ふじくら てつお ・ 江別市総務部秘書広報課)

お盆の休みに、古い写真を整理しながら驚いたことがある。もう20年も前の写真だが、髪が肩まで垂れ下がっているのだ。

「こんな格好で、よう平気で役所通いをしていたもんだ」と、私は我れながら感心する。往時のロカビリー歌手顔負けの長髪なのである。

別段、反俗・反権・反役人を気取っていたわけではない。また、長髪で絶壁頭を隠そうとしたわけでもない。原因は、ただひとつ。床屋が大の苦手であったからだ。というのも、当時のことだから待ち時間が結構あって、床屋イコール時間の浪費ということがあった。それに、肌に刃物をあてられると顔面が硬直してしまう、神経の細さもあった。そして、そんなこんなの駄目押しは、稲垣足穂の「床屋へ行くような無神経な者は作家ではない」との言であったように思う。

ここまで書いて、あらためて指折り数えてみると、私はもう三十年近くも床屋に行っていないのだ。じゃあ、今も長髪のままかと聞かれそうだが、そうではない。しごく一般的なサラリーマン風髪型である。齢30を超え、さすがにむさ苦しく、足穂がなんだ、と床屋へ行こうと思った。と、またまた「自分の頭を人手にまかせる人間の気が知れない。それだけで芸術家の資格はない」との佐藤春夫の言に出会う。仕方なく、そこで鏡とニラメッコ、大虎刈りもなんのその、カミソリ片手の自力散髪時代が10年も続いたであろうか。

40歳を超えると、しぜん人前に出ることが多くなる。左右の髪が段々畑のような景色は、長髪よリ見苦しいとの顰蹙(ひんしゅく)を買い、それ以降は、妻の手で髪を整えてもらうことにしている。表の手なら、足穂や春夫の言にそむくことではなかろうと思うのだが、最近、拙いものを読んでしまった。最後の文士、上村暁の作の一部に「一人前の男が妻に髪を刈らせるなんて(略)と母でさえ腑甲斐ながるのだ」とあったのだ。ああ、なぜ髪は伸びるのか。こんな由無(よしな)ごとを考えたことはありませんか。

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