ウェブマガジン カムイミンタラ

1990年09月号/第40号  [ずいそう]    

ふるさと
山川 有古 (やまかわ ゆうこ ・ 歌人)

「また民族の大移動ね」家族とそんなことを言いながらテレビの画面を見ている。お盆と年未、ふるさとへ帰省する人の数は夥しく、日本列島がうねっている感じさえする。

日本人の大多数はふるさとを持っている。一見、大都市のサイクルにぴったりと寄り添って、国訛りなど微塵も見せないでスマートに生活していても、皆、耳の後ろや背骨のあたりにふるさとを抱いて暮らしているのだ。そうでなければ、空路、陸路、大変な難儀と経済負担を乗り越えてまでふるさと行をするであろうか。

ときに「ふるさと」ってなんだろうと思う。私は今、自分の生まれた町、北海道の広尾町に住んでいる。そして、やがてこの地の土に還っていくであろう。

若いころ、8年ほど町を離れた期間があった。口さの絶えない排他的な港町は、若者にとってどうにもやりきれなかった。私にふるさとの美しい山河が見え出したのは、町を外側から眺めた時であった。距離を遠くしても町のスキャンダルはいろいろな形で見えたし、聴こえた。しかし不思議なもので、第三者にわがふるさとの悪口を言いたい放題でこきおろされる時は、やはりいい気持ちがしないから困ったもの。まるで血を分け合ったはらからに相共通した愛憎が、ふるさとを思う心の中に存在していたのだ。

生活の事情から再びふるさとに戻って久しい日がつづいているが、今では地元の良さも悪さをも存分に知りつつ、ふるさとで一生を過ごせる倖(しあわ)せを嚙みしめている。ただ、批判精神旺盛な元気なげんきな住民であることは事実。

2年前になるが、広尾川上流が日本一きれいな水に環境庁より認定された時は、これまでの何よりもうれしかった。地球の環境破壊が拡大されていく今だからこそ、美しいふるさとは身を張って守ってゆかねばと思える。きれいな水、豊かな森林、バランスのとれた動物たちの棲息できる町がふるさとでなければならない。ふるさとのA面はもちろん、B面の顔もしっかりと抱きしめてゆこうと思う。

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