ウェブマガジン カムイミンタラ

1990年11月号/第41号  [ずいそう]    

神々の復活?
三津橋 彬 (みつはしあきら ・ 弁護士)

NHK字宙のオデッセイでおなじみケンブリッジ大学教授スティーヴン・ホーキング著「ホーキング宇宙を語る」の序文で、カール・セーガンは次のようにいっている。「宇宙を創造するとき、神にはどんな選択の幅があったのか、というアインシュタインの有名な問いに答えるべく、ホーキングは探究の旅に出た」が、「少なくともこれまでのところ、この努力から導かれた結論はまったく予想外のものだった―空間的に果てがなく、時間的にはじまりもおわりもなく、創造主の出番のない宇宙」。

さて、地上に目を転じると、ここでは即位の儀式が行われようとしている。即位のとき天皇が登る高御座(たかみくら)は、高天原(たかまがはら)で天照大神(あまてらすおおみかみ)から三種の神器を与えられた天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降りて座った神座に由来する皇位の象徴。また大嘗祭(だいじょうさい)は、天皇が斉田からとれた新穀で炊いた飯や醸造した酒を神に捧げ、神と共寝共食して霊力をつけ現御神(あきつみかみ)となる儀式。

昭和天皇は戦後の人間宣言で「天皇をもって現御神とする架空の観念」をおごそかに否定した。わかものは、天皇が現御神だといわれてもピンとはくるまい。

ところが、このたびの即位儀式は1909年(明治42)、天皇が現御神であったころつくられた登極令(とうきょくれい)によるという。大嘗祭儀式を含む一連の即位儀式は宗教儀式であるのに国の儀式とされ、123億円もの国費が支出されるということだ。マスコミもこのイベントに飛びついている。神々の出番のない宇宙の砂粒ほどのこの星のちいさな日本でこのような儀式が真面目に行われようとしているのをみて、ホーキングは何というか考えてみると可笑しい。地上の神々はまたしても復活するのであろうか?

ふたたび目を夜空に転じると、神々は星座の中に神話の主人公としてすまし顔でおさまっていた。

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