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1984年09月号/第4号  [ずいそう]    

大雪の聖花
田上 義也 (たのうえ よしや ・ 建築家)

このあいだ、西独の生物学者で旧友H氏の来訪をうけ、海抜2,290メートルの東洋のモンブランといわれる大雪山系の旭岳をぜひ見学したいとせがまれ、勇駒別に旅立った。翌日、3人で旭岳温泉に1泊、彼らは都塵を洗い流し、ぐんぐんと深い眠りに落ち込んでいった。

翌朝、山ホトトギスの声に目覚めた。窓外の晴れわたったプルシャンブルーの空にオークルジョンの旭岳の稜線が鮮明に切りこんでいた。山は、僕たちを呼んでいるのだ。

いそいそと宿を出て、ロープウエーに揺られながら旭平に着いた。白い噴煙が山腹から吐息のように柔かく吹き出し、その下に展開する景観を彼らは感動的に凝視していた。

小高い丘に立って眺めると、モクモクと茂るハイ松の群生、その起伏を縫って花に囲まれた細い野の道が美しい曲線を描いていた。

残雪は山肌の影にきらめき、冬は遠く去り、雪の衣をはらった旭平の夏山は、一面に咲き誇る高山植物の群落におおわれていた。彼女たちは私どもの歩く道の両側に微笑みながら、知的な明眸をまたたいていた。その稚拙な花々、白、黄、紅淡、紫の冴えざえとしたクリスタルな色彩に目を見張った。1ミリにも満たない、小さい生命の花は縦横に大地に根を結び合い、協力して山嶺の生地全面を埋めつくしていた。

私にはどうしても、南国の花を好きになることができない。彼女たちは真っ赤に、あるいは黄にと咲き誇っているが、それはあまりにも本能的、官能的でありすぎ、生命の果てという感じがして、時には嘔吐さえ催しそうに思える毒々しさがある。

それに比べて、北方の高山植物のなんと精神的なことか。その花は小さく、色もつつましいが、根を深く大地に張りめぐらせて風雪に耐える強さがある。彼女たちは決して独り奢ることなく、群落のなかで互いに隣と助け合う、共同体の営みをしているのだ。

その健気な姿を、大雪の聖花と名づけよう。

低く折伏して風雪に耐える茎は『鉄』!太陽の光を透かす葉は勇敢な『ガラス』!強靱に地下にはりめぐらした根は無数の神経の『組織体』である。

花の命は短いが、遠心的に開いた花びらは蝶を誘い、蜜を求めて集まる花の芯には雄しべと雌しべが結び合い、やがては花となり、実を結び、秋に散り、命は清新な春に復活する。

美と力の聖花の心は、北方建築のエスプリとして私は感情を移入したし、友は生物学の目をひらき、帰っていった。

鏡のように澄んだ姿見の池に、北方の精神を象徴するかのように、大雪の聖花は、咲き競っていた。

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