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1991年01月号/第42号  [特集]    札幌

「企業は社会」と障害者を積極的に雇い入れみんなが平等に働く職場のノーマライゼーション
企業と福祉 (株)共同印刷 札幌

  
 私たちの周囲には障害をもつ多くの人がいます。その人たちが、健常者と同じ社会で平等に、そしてふつうに暮らしていくノーマライゼーションの社会づくりが望まれ、それを実現する道のひとつとして企業の積極的な雇用促進が求められています。障害者の多くは、失った機能を補って働くことのできる能力と意欲をじゅうぶんに有しており、社会の一員として働くことのよろこびをともに享受したいと強く望んでいます。しかし、それにこたえる障害者のための雇用の道は必ずしもじゅうぶんに開かれているとはいえないのが現状です。そんななかで、障害者を積極的に雇用し、職場のなかにノーマライゼーションを実現している企業のひとつ、(株)共同印刷(木野口功社長(51)=060 札幌市中央区北3条東5丁目・電話011-241-9341番)がどのように障害者を受け入れているか、その考え方と社員の働く姿をたずねてみました。

手話通訳者が社長の話を通訳する毎週の朝礼

月曜日の朝8時15分、広い部屋に集まった135人の全社員を前にして、(株)共同印刷の木野口社長の大きな声が響いています。先週の経過報告と今週の計画、経済見通し、業界の動向―、ただでさえ忙しい年末に、コンピューター処理を駆使した700万枚におよぶ年賀状の印刷が追い込み段階にあって、この日の社長の話は一段と熱がこもっています。

見るとその横で、聴力障害者協会に依頼した手話通訳者が、社長の話を通訳しています。居並ぶ社員の前のほうで、その手話を懸命に読みとっている顔、顔。そこには、10人のろうあ者が出席しているのです。

脳性小児マヒで下肢に重度の障害をもつ2人の社員、人工肛門を使用している社員、事故で右手に障害をもつ社員など、この会社には法定雇用率の1.6%を大幅に上回る約10.4%、14人の障害者が働き、障害者を積極的に雇用する会社として知られています。

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社員の平均年齢は26歳。社内は明るく、活気に満ちています。障害者だからといって、いわゆる“3K職場”で下積みの労働に採用されているのではなく、部課長など管理職にも積極的に登用され、全社員がそれぞれが持てる能力を存分に発揮して働く。その総体の輸と、木野口社長の人間的な哲学に裏付けられた経営姿勢によって、同社は道内でも注目の成長企業と評価されています。また、同社長は、昨年北海道印刷工業組合の理事長にも選任されています。

文字情報処理をいち早く導入して急成長をつづける印刷会社

(株)共同印刷は、1965年(昭和40)の創業。とくに1974年(昭和49)に木野口社長が就任してからは、オイルショック後の低成長時代にもかかわらずコンピューターによる文字情報処理をいち早く導入して、就任当時5800万円の売り上げだった会社を、現在は資本金8000万円、年商20億円にまで成長させています。そして企画・出版の(株)共同文化社、高級カラー印刷を主業務とする田上印刷(株)をグループにしている会社でもあります。

この会社の企業理念は「お客様の期待におこたえする社会的役割を果たせる企業」になること。この理念を実現するための経営方針として、(1)民主的に(2)自主的・自覚的に(3)目標と計画を大事にする―を掲げています。

その「民主的な連営」とは、経理をはじめすべての情報を平等に公開することと、男女や障害の有無による差別をなくすことを挙げています。

朝礼ばかりではなく、部課長会議などのときも、1人のろうあ者の課長のために2人の手話通訳者を依頼して来てもらっています。それは、高品質化、多品種少量化、短納期化が求められる時代にあって、複雑化した業務内容をこなしていくためには、ろうあ者にも正確で公平な情報を伝える必要があるからです。だから、この会議は社長の都合よりも、手話通訳者の都合を優先して開かれるともいいます。

「企業は社会」みんなが力を合わせて社会に貢献していく

イメージ(各職場で健常者とともに明るく働く障害者の社員たち)
各職場で健常者とともに明るく働く障害者の社員たち

木野口社長は語ります。「私は、障害者であるとか、婦人・高齢者とかのラインを引くことはしません。人間の半数は女性ですし、高齢者もますます増えていきます。そして、世の中には必ず一定の比率で障害者がいるのです。企業は社会ですから、そうした人たちを排除するのではなく、みんなで力を合わせ、仕事を通じて社会的な責任を果たしていこうというのが私の考えです」。

そして「たしかに、障害者は一部の失った能力はありますが、そこだけが健常者と比較すればハンディーになります。しかし、それさえ問題にしなければ、残された能力はたくさんあります。私どもの会社は、その能力を存分に発揮してもらっているのです」。

差別をなくすために社員と論議したことが社風に

木野口社長が入社した当時の従業員20人のなかに、ろうあ者の社員が1人いました。見ると、そのミ員にばかり掃除をさせたり重いものを持たせるなど、ほかの社員がやりたがらない仕事をぜんぶ押しつけていたのです。そして、コミュニケーションが思うようにとれないものだから、侮辱的な言葉も使っていました。それを知った木野口社長は、社員のみんなを集め、長い時間をかけて論議をしたのです。

「どうして彼をそんなに差別をするか。彼は、本人の落ち度でろうあ者になったのではない。それをバカにするとは、こんな恥ずかしいことはないぞ。それよりも、みんなで彼の失っている機能を補いあい、会社のために力を発揮してもらおうじゃないか」

まだみんな若い社員だったこともあって、そうした配慮に欠けていたのです。しかしまた、若いだけに理解するのも早かったようです。

イメージ(社員の約半数は女性社員(総務部で))
社員の約半数は女性社員(総務部で)

そんな職場でしたから、そのろうあ者の社員もまた、意欲のない働きぶりでした。「きみも、もっと責任をもって仕事をしてくれ。時間がくれば、仕事途中でも帰ってしまうようでは困る。なぜ最後までやらないのか」と尋ねると、「いや、きょうじゅうにやる仕事と聞いていなかった」と答えるのです。そこでコミュニケーションの大切さに気づき、伝達事項は文書にして渡すとか、だいじなときには手話通訳を頼んでコミュニケーションをはかるようにした。そんなことがあって、しだいに障害者にも差別をしない社風が定着してきたのでした。

「障害者にも存分に仕事をさせてくれると聞いたので雇って欲しい」

ある年のこと、1人のろうあ者の青年が社長に面会を求めてきました。「わたしをぜひ雇ってください」というのです。「いまは欠員がないから」と社長は断ったのですが「共同印刷は障害者をだいじにしてくれ、仕事も思いきりさせてくれると聞いたので、今までの会社を辞めてきた」と引き下がらないのです。そばにいた総務部長の口添えもあって「そこまで言うのなら」と雇い入れることを承諾しました。その青年が現製本部の課長である宮下良夫さんです。

また、こんなこともありました。ろうあ者の社員が、社長の媒酌で同じ障害をもつ女性と結婚することになりました。ところが、道外にいたその女性の両親が「娘をどうしても自分の手もとで暮らさせたい。就職は向こうでさせるから」と彼を退職させて、連れて行きました。しかし、扶養家族もある障害者を雇ってくれる企業は、簡単には見つかりません。結局、ふたたび札幌に戻って来てある会社でアルバイトをしていたのですが、その仕事も切れてしまい、たいへんな苦労をした末に「また会社に戻して欲しい」と頼まれ、共同印刷に復職することになりました。

「この会社には何人もの障害者がいて、みんなと平等な待遇をしているので、温室育ちになりがちです。しかし、それがまだ通用しない社会であることを、彼は世間の風にあたってみて自覚したようですね」と木野口社長は語ります。

失われている機能は補うが甘えは許さぬきびしさも

障害者を採用するにあたって、木野口社長は「失われた機能は問わないし、肢体障害者に重い荷物を持たせるようなことはしない。そのかわり、残された能力を発揮するうえで、障害者だからといって甘えてはならない」と、きつく約束してもらうのだといいます。

イメージ(障害者のために階段の公配は緩やか)
障害者のために階段の公配は緩やか

かつて北海道にポリオが蔓延したときに罹患して、下肢に重度の障害をうけた現業務部長の佐藤せつ子さんが入社したころのことです。その年の冬、佐藤さんは3分、5分と遅刻する日がつづきました。足が不自由なため、凍りついた雪道に足をとられてなんども滑って転び、たいへんな思いで通勤していたのです。しかし社長は「入社時の約束と違う。甘えているのではないか」と、きびしく注意しました。佐藤さんは「申しわけありません。昨夜テレビの天気予報で、あすは雪だと報じていました。朝もう少し家を早く出るとかハイヤーを手配することもできたのに、私は甘えていました」と深く詫びるのでした。

イメージ(段差をなくした玄関)
段差をなくした玄関

ところが、ある会社の社長がそのことを聞きつけて「木野口さんは、きびしすぎるんじゃないか。障害者の1人や2人が1時間、2時間遅刻したって経営にひびくような会社でもあるまい」というのです。

それに対して木野口社長は、相撲取りは相撲に勝つことで自分を仕込んでくれた親方や面倒をみてくれた後援会に恩返しをする。野球選手もよいプレーをすることでファンやコーチに恩返しをすることにたとえながら、「われわれは印刷会社の社員ですから、印刷という仕事を通して、しかも美しい印刷、間違いのない印刷、お客様の情報を社会に伝えるための良い印刷物を作ることで、お世話になった人びとにお返しをしていくのです。

障害者、とくに重度障害者の場合は父母や祖父母がどんなに苦労して育て、学校にもあげてくれたことか。また、その学校でも先生がどんなに気遣って教育してくれたことか。さらに近所の人、クラスメートなど、みんなに支えてもらい、とても自分ひとりではできないような生活を送ってこれたのだ。その人たちに恩返しできるものは何かといチたら、印刷会社に働くものは良い印刷物を作ることに情熱をこめ、一人前の社会人として自立していくことでお返しすることなのです。遅刻をしないための努力は自分でできることなのに、それを甘えてやらないというのでは、お世話になった人たちに対して申しわけないではないか」と答えるのでした。

ともすれば、社会は「障害者だから」といって特別扱いし、家庭でも両親は「可哀そうだ」といつも手もとに置いて過保護に育てがちです。しかし、結局それは差別につながり、かえって本人をあとで苦しめることになるのです。

イメージ(現在は車椅子の社員はいないが、そのための設備も設けてある)
現在は車椅子の社員はいないが、そのための設備も設けてある

これも木野口社長の体験ですが、あるろうあ者の社員が自分の運転していた車で交通事故を起こしました。言葉が通じないものだから、社長の名刺を出して「連絡してくれ」ということになったようです。さっそく社長が飛んで行くと、そこに父親も来ていて、こう言ったということです。「息子も、もう大人なんだから自分の力で解決させてください。われわれは介在しないことにしましょう」。息子の人格を尊重し、一人前の社会人としての義務と責任をきびしく果たさせようとする父親の姿に、木野口社長は心を打たれたといいます。

道内の障害者雇用率は1.6% 全国平均より高いが理解は不足

イメージ(木野口社長)
木野口社長

『障害者の雇用の促進等に関する法律』には、63人以上の従業員が働く企業は障害者に無理な業種に対する一定の除外率を掛けた1.6%以上の障害者を雇用しなければならないことを義務づけています。その対象となる道内の事業所は1701社あり、そこに雇用されている障害者は5136人です。しかし、就職できる日を待っている障害者がまだ3175人もいます。道内の障害者雇用率は1.6%。なんとか法定雇用率を達成し、全国平均の1.3%に比べて高いほうですが、景気好調にもかかわらず昨年の雇用者数は一昨年の横ばい。その一昨年も前年より減少しています。しかも、対象事業所の43.9%は法定率を達成しておらず、一昨年よりさらに増えているのです。

いまひとつ指摘されるのは、99人未満の小規模事業所が1.98%の雇用率なのに、千人以上の大企業は1.41%と低いこと。業種別では木製造、クリーニング業、印刷業が高く、金融機関や小売業などのサービス業が低い。最近の障害者はOA機器訓練をマスターしている人が多いのに、この分野の求人も少なく、障害者の職業能力の向上に対する企業側の認識不足はいまだに改められていないようです。ただひとつの希望は、一昨年から実施した“集団お見合い”方式による「障害者雇用促進会」の成果です。昨年、札幌では54人、全道では83人の就職が内定しました。

障害者も安全に快く働ける製本工場を新設

イメージ(障害者多数雇用促進の助成を受けて新設された製本工場)
障害者多数雇用促進の助成を受けて新設された製本工場

共同印刷は、このほど北海道障害者雇用促進協会から重度障害者多数雇用促進のための助成を受けて、本社裏手に製本工場を新設しました。製本課長の宮下さんは「これまでは印刷と製本が同居していて狭かったほか、東苗穂、白石と分散していたので不便でした。新しい工場ができてからは作業がとてもスムーズになり、部下ともたいへんうれしい気持ちで働いています」と喜んでいます。社長も「職場環境がよくなったことで、さらに障害者の雇用がすすめばよいと思っています。しかし、これを障害者だけの工場にするのではなく、障害者も健常者も力を合わせて働ける場にしたい」と語っています。

また宮下さんの上司で、大勢のろうあ者を部下にもつ伊東千秋部長は「仕事上の対話にまったく不便はありません。多少手振りを入れてゆっくり話せば、彼らは唇の動きを読んで理解してくれます。給料も年齢給でまったく差別がなく、恵まれた職場環境で働けることをみんなが喜びとしています」と話しています。

共同印刷は、毎年社員の海外研修を積極的におこない、昨年は伊東さん、佐藤さん、宮下さんら12人がヨーロッパヘ研修旅行に出ました。技術革新の時代、進んだドイツの印刷・製本技術を学ぶためです。その合間に宮下さんは1人でどんどん買い物に出かけ、同行者の度肝を抜きました。「彼の身振り手振りが、現地の人に通じるんですよ。同行者のなかで彼がいちばん国際人でした」と伊東さんは笑っていました。

だれもが働くよろこびを知り、生きがいある生活をするために

木野口社長が名古屋の精神薄弱者の授産施設を訪問したとき、所長から「この人たちにとって、いちばん重い罰はなんだと思いますか」と尋ねられました。食事を抜くことか思ったら「あすの作業をさせない」ということにもっとも強い反応を示すのだそうです。そこで、だれもがその能力に応じて社会的な関わりを実感する労働の場を提供することの大切さを、あたらめて知ったといいます。

イメージ(昼休みの社員食堂)
昼休みの社員食堂

職業安定所でこんな実例も聞きました。たいへんな努力をして電話交換手の資格をとった全盲の女性がいました。なんとかその技術を生かして就職したいと思うのですが、ホテルなどの交換手はフロント業務と兼ねていてとても無理です。やっとのことでデパートの交換手として就職することがでォました。上司も同僚もとても親切にしてくれると、たいへん喜んでいたのですが、デパートは毎週各階の売り出しが変わり、めまぐるしく配置転換されます。届けられた文書を急いで点訳してもらうのですが、どんなに急いでも1週間はかかり、点訳があがってきたときにはもう役に立たないものになっています。とうとう半年で退職せざるを得なくなりました。しかし、その女性はこう言ったということです。

「働くことがこんなにも楽しいことだということを初めて知りました。みなさんから、言葉ではとうてい言い尽くせないほどの親切を受けました。6ヵ月で退職しなけれぱならなかったのはとても残念ですが、この半年間の貴重な体験は、私にとって一生忘れることのできないものになります」と。

ノーマライゼーションの社会はけっして遠くはるかな理想社会ではありません。だれもが同じ希望をもち、だれもが社会と関わりながら幸せに生きたいと願っていることを知るだけ、そしてほんのちょっとの、人間として当然の心遣いをすることから、それは実現していけるのです。

かつて社員たちが慰安旅行を計画したとき、車イスで使えるトイレがあるかどうかと、社員が手分けしてバス路線の町村に電話を掛けあいました。そして、忘年会の二次会の途中で、車イスを押して何丁も離れたホテルのトイレまで連れて行った社員たち。(株)共同印刷ではそんなことは、ごくしぜんの行為になっているのです。健常者の社員に「どんな心遣いをしてますか」と尋ねたら「身近すぎて、そんなこと意識したこともありません」と、だれもが答えます。

“共育”が社是でもあるこの会社の社員たちからは、社会生活にもっとも大切なことを学びあい、育てあおうとしている姿を強く感じさせられるのでした。

事業主の理解と協力を得るため親身になって求職紹介に努力

札幌公共職業安定所 総括職業指導官 鮱名 一民

私どもの「みどりのコーナー」は、障害者に就職を紹介する道内の重点窓口です。近年、一般の雇用情勢はきわめて好調ですが、障害者の就職だけは残念ながら“蚊帳の外”に置かれ、その就職数は減少傾向をたどっているのが現状です。

窓口には、毎日、求職を望む数多くの障害者が相談に訪れます。そこで適正と思われる職種を選んで求人事業主に紹介しますが、障害者と聞いてほとんどの場合は断られます。しかし、それにひるまず「面接だけでも」と粘り強く交渉します。面接が得られると、障害者のなかには有資格者など有能な人がたくさんおり、働く意欲がとても旺盛なことを理解されて雇用が実現するのです。

就職を望む障害者が私どもを心から頼りにしてくれていますので、親身になって対応するよう努力していますが、事業主のみなさんにも温かい理解と協力をお願いしたいと思っています。

障害者の雇用促進のために長く地道な努力が必要

(社)北海道障害者雇用促進協会 事務局長 中村 信吾

私たちの協会は、職業的自立をめざす障害者のために、事業主に対して雇用の促進をはかるとともに、障害者が安心して意欲的に働くことができる職場環境を整えるのに必要な助成をする団体です。(株)共同印刷の木野口社長は協会の理事でもあり、日ごろから心強いご協力をいただいています。

近年、事業主の理解と協力は深められつつありますが、障害者の職業的自立意欲の活発化と訓練内容の向上によって、いまなお求職待機者は増える一方です。その人たちのすべてが能力を生かす職業に就き、健常者と同じように労働を通じて社会の一翼を担い、生きがいのある生活が営める社会を築いていかなけれぱなりません。

わが国の福祉の歴史はまだまだ浅いため、その社会の実現には、行政も産業も、そして一般市民も長く地道な努力を積み重ねていくことが大切だと思っています。

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