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1991年01月号/第42号  [ずいそう]    

御来屋
杉岡 昭子 (すぎおか あきこ ・ 札幌国際交流プラザ事務局長)

山陰の小さな町、名和町御来屋。この地名を「ミクリヤ」と正確に読める人がどれ程いるだろうか。

その昔、隠岐の島に幽閉されていた後醍醐天皇を名和長年が救い出して上陸した地であるところから、この名前がついた。

伯耆の国には、白兎の因幡と国引きの出雲に挟まれた日本のふる里の風情がある。

定年の直前まで官舎住まいで、家や土地に何の関心も持たないように見えた父が、雑木林の中に埋もれて暮らしたいと買ったのが、この御来屋の桑畑であった。

前方に日本海、遥かに隠岐の島を望み、後方に国立公園の大山をおくという風光明媚な一画に家を設けた頃は、父が自分で12本の電柱を立てて電気を引き、野の花と日本海の漁火だけが友という生活であった。

幼い頃、姫路の禅寺に預けられた父は、勉強がしたくて寺を飛び出し、京大で日本文学(古典)を専攻した。卒業後、北京の日本大使館勤務の時に終戦。帰国後は室蘭、札幌など全国各地を歩いて、終の住家として、いかにも父好みの御来屋を選んだ。

桑の樹を取り除いた千坪の土地に、父は思うままに雑木を植えていった。南の風に、雑木は見る間に伸びて家を隠し、秋にはひと風ごとに落葉が庭を埋めた。

人が訪れる時、父は門から玄関までの小さな砂利の道を掃き清め、落葉を焚いた。床の間に一輪の花を生け、抹茶を点てて客をもてなした。

その一方で、若いときから外国に目を向けるロマンの人でもあった。北京に勤務したのも、私にアメリカでの勉学を許したのも、同じ気持ちからであったろう。父の心には、禅と洋の世界が共存していたように思う。

北国をこよなく愛した父は、庭の雑木の中に札幌のライラックとナナカマド、そして白とピンクのアメリカ花水木を植え込んだ。

今年の暮れに、父の13回忌を迎える。

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