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1991年07月号/第45号  [ずいそう]    

久保栄「林檎園日記」文学碑
西村 信 (にしむらまこと ・ 北海道文学館常任理事)

六月六日(月曜日)晴
 上田の畑からもとの新畑へかけて、今日ぐらゐがもう満開で、うちのは平均し三分咲きほど。乳いろにうす紅(べに)をぼかした花が五輪づゝかたまって咲く梢から、甘ずっぱい匂ひがして来て、そこらにいつぱいなるのをかぐと、どういふわけか、子供の頃、百人堀にそって山の湖水の方へかよってゐたガタ馬車の、あのピポ、ピポーと鳴らしてとほる笛の音が思ひ出されて、まだ丈夫だったお母さんが、いまわたしのしてゐる帆前掛をかけて園内作業をしている姿が、眼にうかんで仕方がない。

先日、平岸天神山に建った、久保栄「林檎園日記」文学碑の碑文である。

平岸は日本の林檎栽培の発祥地の一つとして、最盛期は280町歩の栽培面積を誇り、国内はもとより、遠くウラジオストック、上海、シンガポールにまで販路を求めていた歴史をもつ。二十数年前、同じ天神山に啄木の歌を刻んだ「平岸林檎園記念歌碑」が建立されたころ、わずかに残っていた林檎園の面影も今は全くない。

その林檎園を偲ぶよすがとして、この地に生まれ、現在も居住する作家の澤田誠一氏等の尽力で建立のはこびとなったのだが、この碑が久保栄文学碑であることが意義深い。

札幌商工会議所会頭もつとめた兵太郎の次男として札幌に生まれた久保栄は、東大を出て築地小劇場に人り小山内薫に師事、創作、演出に活躍したことは周知のとおりだが、なかでも生産部面を基底に、典型的状勢下の典型的性格を、細部の真実に即し、総合的社会像として比重正しく描くという“久保リアリズム論”を見事に結実させた『火山灰地』は、日本新劇史に燦然と光輝を放つ。

澤田氏は除幕式で野間宏の言を借りて、久保栄の位相は世界的レベルで計るべきものと讃えたが、残念なことにかつては新潮文庫などに入っていた作品が、今はほとんど手に入らない。しかし、これは北海道文学館の今後の課題と思っている。

ちなみに、碑文は第二幕冒頭の一節。除幕式は日付どおり6月6日に行われた。

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