ウェブマガジン カムイミンタラ

1991年09月号/第46号  [ずいそう]    

手しごと
伊藤 英二 (いとうえいじ ・ とい工房)

森や木が子どもの生活から遠くなった。春の雪どけを待っての笹ぶね流しや水車遊び、矢まで拾ってきた木の枝をナイフやナタで削って作ったパチンコやコマを得意気にポケットに持ち歩いたぼく達の少年のころとは、今では子どもの遊びも環境もすっかり変わってしまった。

幼稚園や保育園に行っても、木のおもちゃが少なくなってきている。かつては人形以外のおもちゃは、ほとんどが木で作られていたが、今では積み木、ままごとセット、砂場、すベり台とカラフルなプラスチックに変わってきており、林業の町といわれる地域のおもちゃ屋さんでも木のおもちゃを探すのは容易ではない。

このように、世の中が生活の合理化を追い求めているうちに、子どものまわりから木の文化が急速に姿を消してしまった。大量生産で安いコストのものを作ろうとすると、どうしても木という素材は不適当なのだろう。しかも、使い捨て時代、手づくりでおもちゃを作る子どもなど数少ない。

ぼくのおもちゃの家には、木の日(毎週木曜日)、土、日、休日になると、さまざまな人たちが訪れる。また、各地での工作教室や展示会をきっかけに木のおもちゃを作る人がずいぶん多くなった。お父さん、お母さんと一緒に親子で作るおもちゃ。ちっちゃな手に紙ヤスリを持ち、夢中になって磨く。「ホッペと同じくらいツルツルになるよ」といいながら、木の粉で白くなったホッペを輝かせる幼稚園児。ドリルであけた穴に丸棒をカナヅチで打ち込む男の子と、それを手助けするお父さん。子どもの目も親の目も、キラキラひかっている。

カナヅチやノコギリなどの、ものを作る道具はだんだん子どもたちの生活の中からなくなってきているので、はじめてカナヅチを握った子どもも多いかもしれない。「先生、できました」と、満足そうに見せに来る。どの子も、とってもいい顔をしている。

今では「いそがしいから」「不器用だから」を理由に手づくりのものを子どもに与えない親が多くなっているが、子どもたちの欲求は、上手だとか、美しい仕上がりではなく「お父さん、お母さんが自分のために作ってくれたもの」という感動ではないだろうか。

ぼくは、子どもたちに手仕事を通して作りだすよろこびを、できるだけ早い時期に体験させたいと、幼稚園や保育園の子どもたちを対象に「木のおもちゃ」づくりを実践している。はじめのころは、満足にヤスリやカナヅチを使えない子どもたちも、これらの道具と出合い、使い方をからだでおぼえていく。
「ぼく、1万円だって売ってやらないよ」と、出来あがった作品を宝物のようにかかえて帰る子どもたちを見ながら、木の温もりと手仕事を通して、もっともっと多くの子どもたちに、作りだすよろこびを味あわせてやりたいと願うのである。

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