気がつくと、私の頭の中にはいつも鳥の声があった。高校生まで、私は宮城県の海にせまった山の中に住んでいた。朝はいつも響きわたる鳥の声で目が覚めた。それもかなりの数の野鳥の声で、とても眠ってはいられずに、ずいぶん早くから目覚めていた。
いまは長沼のカラマツ林の中に住んでいて、幸いなことに毎日いろいろな鳥の声が透き通った大気の中から聞こえてくる。つい先日までは、ウグイスがとてもきれいな声で鳴いていた。季節あるいは朝昼晩の時間の変化により鳴き声が変わり、その声のすばらしさに思わず仕事をしていることを忘れてしまう。
笛作りをしていて、とくにピッコロにこだわりだしたころ、あの小さなからだで全身を共鳴体として響かせている鳥の声に心を動かされ、自分の作ったものをなんとかそれに近づけたいと思った。しかし、自然の中に身を置いている今、自分のピッコロの音を鳥の声に近づけようなんておこがましいと思うようになった。自然の中での生あるものの姿、それはあまりにも純粋で、それに似せようとする思いが、私自身のエゴだと思うようになった。それほどに、自然の中で生活をすると、生きもののすばらしさが見えてくる。
私の音づくりのイメージも、その中での目に見えない部分で影響を受けているのだろうと思う。私自身は無色透明といっても、自然光のような音をつくりだしたいと思っている。それを演奏家が表現の自由な変化として、一本の光がプリズムを通して引きだされるさまざまな色の変化、つまり音色が引きだせるような楽器を世に送りだしたいと思っている。
それにしても、あの鳥たちの冴えわたった透明感のある魅力的な響き、それはやはり私の永遠の憧れであり、永遠の神秘である。