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1991年11月号/第47号  [特集]    札幌

大学の知的蓄積を公開して地域社会と結び 幅広い文化的視点で北海道の未来を求めつづける
公開講座「北海道文化論」札幌学院大学

  
 休日の増加などによる余暇時間の増大に加えて、高齢者や家庭婦人などの知的欲求も活発化して、生涯学習に対する要求が強まっています。そんな時代の到来を先取りして、15年以上も前から大学の知的蓄積を開放して地域社会との結びつきを深めているのが、札幌学院大学(069 江別市文京台11番地 電話011-386-8111)です。各学部でひらく公開講座はどれも好評ですが、なかでも人文学部の「公開講座・北海道文化論」は、北海道の特殊性を文化的視点で多角的に考察するユニークな講座として高く評価されています。

道内有数の文系総合大学に成長した札幌学院大学

札幌学院大学は、札幌市東部の境界線に接して大学群が建ち並ぶ江別市文京台の中央部に位置しています。特別天然記念物の原始林が生い茂る野幌森林公園を背景に石狩平野を望む自然に恵まれた教育環境のなかで、学生たちは勉学に励んでいます。

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1946年(昭和21)に札幌市中島公園内に札幌文科専門学院を創立したのが始まり。4年後に札幌短期大学として商業科と英文科を開設したあと、1968年(昭和43)、現在地に札幌商科大学を開学しました。1977年(昭和52)に、当時全国でも数少ない人間科学科を設けて、そのユニークさが注目されました。

大学名を札幌学院大学に変更したのは1984年(昭和59)です。現在の学部は、商学部商学科、経済学部経済学科、人文学部人間科学科、英語英米文学科、法学部法律学科、社会情報学科、商学部2部の6学部7学科。学生数は4800人。私学では、道内屈指の文系総合大学として発展をつづけています。

開学の翌年から地域社会と結ぶ「公開講座」を開設

同大学は「学生に自由な学風を通じて独創的な学問の研鑽を尊重する教育を実践」していますが、もうひとつ特筆されるのは、地域社会との結びつきを重視していち早く“開かれた大学”の実践に踏み出したことです。

イメージ(若い学生達と机を並べて講義に聞き入る一般受講者)
若い学生達と机を並べて講義に聞き入る一般受講者

札幌商科大学が開学した翌年の1969年(昭和44)「現代と人間」をメインテーマに、隣接の大麻(おおあさ)団地住民に呼びかけて土曜公開講座を開設したのが、同大学の公開講座の始まりです。講座は「現代的人間」の考察をはじめとして、当時は真新しいテーマだった「情報社会と人間」「労働と人間」「ストレス」などの身近なもので、同大学の講師陣の23回にわたる講義を気軽に聴講できることに、地域の人はなかば驚きをもって歓迎したものでした。2年目は、ベトナム戦争が深刻化していた情勢をとらえて「現代と戦争」。3、4年目は社会問題化した「公害」を徹底的に考察する講義が集中的におこなわれました。

それから22年、1980年からは商学部第2部の特別講義にバトンタッチされて、毎年大麻公民館で開講されています。市民の受講者は毎年百人を大きく上回り、ほぼ8割以上の日程を出席した人には学長と大麻公民館長名で修了証も授与しています。今年も「流通」をめぐる諸テーマで5月11日から7月20日まで10講義が開かれ、主婦や高齢者などが学生に混じって熱心に受講していました。

公開講座のなかでとくに広く関心を呼んでいるのが、1978年(昭和53)から開講している、人文学部の「公開講座・北海道文化論」です。初年度は、前期と後期に分けて一講座ずつおこなわれましたが、翌年「北海道民衆のあゆみ」というテーマで学内外の講師6人による集中講義がおこなわれて、そのユニークさが大きな話題になりました。

イメージ(講座は明るい雰囲気のなかで進められる)
講座は明るい雰囲気のなかで進められる

第13回目を迎えた今年は、9月2日から6日間「北海道とアメリカ」をテーマに、開拓期と現代の文化交流について8人の講師による集中講義がおこなわれました。同大学の学生約70人に混じって、高齢者など一般の人も約30人が「明治期における北海道とニューイングランドとの交流」から始まる文化交流の歴史的経過と将来展望、さらに「アメリカ合衆国のインディアン政策とインディアン」など両国の少数民族問題にも言及する講義を熱心に聴き入っていました。

学問的体系にこだわらず地域文学を理解するために

この公開講座の開設に当初からかかわってきた人文学部教授の酒井恵真さん(地域社会学)は、公開講座開設のいきさつを次のように話します。

「1977年、人文学部に人間科学科が設けられて、カリキュラムに北海道文化論の授業が組み込まれました。ところが、まもなく担当の教授が亡くなられたため、担当する教授がいなくなってしまったのです。そこで、北海道文化論の授業はいろんな人を招いて“組み講座”をしようということになり、どうせその形でやるなら広く一般の人にも開放しようとスタートしたのが、この講座です」。

このとき、講座の一般公開が学内ですんなり認められたのは、開学の翌年から大麻団地で開いていた「土曜公開講座」の成果によるところが大きかったようです。

「ねらいは、地域に根ざす大学をキャッチフレーズにしている当大学として、北海道を意識的に取り上げてみようということでしたが、北海道の産業や経済についてはいろんなところですでに取り上げられています。そこで、カリキュラムの中の思想文化コースとジョイントして文化論としたのです。つまり、北海道に固有の文化はあるのか。あるとすれぱ、どんなものがあるのかを考えてみようということでした」。

イメージ(札幌市内で開かれた10月の「講演と音楽の夕べ」)
札幌市内で開かれた10月の「講演と音楽の夕べ」

「正直に言って、北海道の文化論についての体系的な認識のなかでやろうという構えはありませんでした。たとえば、北海道の農業を取り上げようとしたとき、農業は産業であって、文化としてとらえ得るのかという議論もありました。しかし、文化は人間の問題であり、そこに培われた精神を見詰めることでいいのではないか、という居直りで始めたのです。村おこし町おこしの問題にしても、まだ文化として成熟していないのではないかということがあります。しかし、彼らの文化を見る眼、理解する土壌はわかるはずです。文化のど真ん中だけをやるのではなくて、文化を生み出す仕組み、要件を扱うのもおもしろいと思えば気が楽ですし、それが成功していると思いますね」と酒井さんは振り返ります。

入植を始めて以来の浅い歴史の中で、北海道に住む人間がどのように生き、何を生み出してきたのか―。しっかりと足もとに視座を据えて、そこに育ち、展開されている「文化」を見詰めようとするこの公開講座は、時代の方向性を先取りしていた点でも画期的であり、将来にむけて躍進するステップ台とすることにもつながります。

講師に現場の人を登場させリアルな話で魅力を増す

「ところが、準備でもっとも苦労するのは、講師の人選です」と酒井さん。「学者だけがずらっと並んで話をするのでは、みんな退屈してしまいますね」。

そこで、実際にそのテーマに直結して運動したり創造活動をしたりしている人、つまり現場の人を当初から積極的に講師に招いてきました。

「学内の一部には、なにも外部から呼ばなくても、うちの教員がやればいいじゃないかという声がありました。しかしぼくは、うちの教員と外部の人が来てジョイントするところに意味がある。われわれが、その場を提供して接触する機関になるのはすばらしいことだ。大学とは、そういうところだと思っています」と酒井さんは主張して実現したのです。

「研究者だけの講義内容だと生々しさ、未確認な領域や隠れた世界が出にくいものですが、現場の人に入っていただくことによって授業にはない生の話を聴くことができるのです。その人たちの話すことは必ずしも体系だってはいないのですが、思いはあふれています。それが、学生たちを魅きつけるのです」。

イメージ(会場を埋め尽くした受講者)
会場を埋め尽くした受講者

「北海道の農業と農民」の講座のとき、農村婦人の証言として蜂須賀農場の小作争議を自分の娘時代に体験したおばあちゃんの田中初子さんが、女性史研究者の高橋三枝子さんに補佐されながら切々と話してくれました。女子学生たちのほとんどが、涙ながらに聴き入っていたということです。「北海道と少数民族」の講座でも、北海道ウタリ協会の小川早苗さんがアイヌである自分の子どもたちがどのような差別を受け、それにどう耐えてきたかを話すのを、受講者は身をのり出すようにして聴き入り、身近に存在する民族差別の実態に大きな衝撃を受けていたとのことです。

アイヌなど小数民族問題を現在の課題として積極的に

この公開講座では、11の総合テーマのうちに、アイヌをはじめとした少数民族の問題を、考古学を含めて4回取り上げています。

「特別に意識したわけではありませんが、北海道の特殊性、文化論を論議するときにアイヌなどの少数民族論は欠かせないテーマだったのでしょう」と酒井さん。そして、直接担当している考古学専攻の助教授、鶴丸俊明さんは、このテーマを積極的に取り上げている理由を次のように語ります。

イメージ(講演のあとは室内楽で)
講演のあとは室内楽で

「北海適の歴史を学ぶ場合、先住民の歴史や文化を抜きにしては学べません。しかし、そのことがあまりにも不当に評価されていますね。たとえば、アイヌの歴史、文化、民族の研究者は個々にはいても、それらを研究する公的機関はありませんし、学校教育の中にも組み入れられていないのです。この北海道は、和人といわれる日本人の植民地であることは否定できない事実です。日本人が鎌倉時代からアイヌの人たちに加えてきた罪の意識を教えることが歴史教育なのだけれども、それがまったくおこなわれていない。いま、世界じゅうで問題化している民族問題を考える場合も、まずアイヌの人たちに謝罪するところから再スタートしなければならないはずなのに、北海道における少数民族問題はどんどん風化しています。このことをどこも積極的に考えようとしないなかで、うちの大学で取り上げているのはうれしいことだと思っています」。

そうした視点に立っておこなわれる講義は、はじめ、若い学生にはピンとこないようですが、ウタリ協会の講師などから「独立」といった言葉を聴くとびっくりして、自分たちの住んでいる地域にも現実的に民族問題が内在していることを身近に考える機会になっているのです。

この講座には、少数民族に対する特定の意図はないのですが、古い文化や伝統だけにとどめるのではなく、アメリカインディアン問題などと組み合わせることによって、現代の問題としての国際性など、広がりをもたせてきました。その講義録の一部が、早稲田大学の英文科の教科書に英訳して採用されています。

「北海道文化論」を出版し より多くの人の学びに

イメージ(出版された「公開講座・北海道文化論」と「札幌学院評論」)
出版された「公開講座・北海道文化論」と「札幌学院評論」

この「公開講座・北海道文化論」の講義内容は、毎回テープに収録して文字におこし直し、それを出版しています。発行部数は、平均2千部。第1巻の「北海道民衆の歩み」から最近号の「北海道の現代芸術」まで、すでに9巻を刊行していますが、ほとんどが完売されています。なかでも第8巻の「アイヌ文化に学ぶ」は5千部が売れたということです。

「内容は必ずしも体系だてて展開しているわけではありませんが、この講座に直接来てもらえない多くの道民に、活字媒体を通じてそれぞれのテーマについて考えたり、大学を広く知ってもらう手かかりになっているという点で、出版のしごとはだいじです。こうして巻がそろってくると、それなりの成果が見えてきますね」と、酒井さんは語ります。「北海道文化論」は、アメリカ・ミシガン大学など数カ所の外国大学が定期購読をしています。

学生と机を並べて学ぶことで知的、精神的リフレッシュ

これまで大学は象牙の塔と呼ばれて、その閉鎖性が指摘されがちでした。そのため、どの大学でも、開かれた大学を目指す努力が試みられていますが、札幌学院大学が開学の翌年からこのことに着手しているのは特筆されることです。

「基本的には高校を卒業した18歳人口を受け入れることで成り立っている大学ですが、社会人入学、公開講座、聴講生など一般人を受け入れる窓口は少しずつできてきたと思いますし、それを今後もさらに深めていくのが大学の課題になってきています。もうひとつは、私たちが蓄積したものを学生だけに教えるのではなく、地域の人に活用していただくことも必要です。地域社会との接触が大きいことで、あの大学はおもしろい、育ててやろうと言ってくださるようになればうれしいですね」。

酒井さんは、大学が入試の偏差値の上下だけで評価されるのではなく、その大学がどのような教育や研究活動をおこなって学生や地域社会と結合しているという横の広がりで評価し、選択して欲しいと強調します。その思いがあって、どこの大学よりもいち早く公開講座の開設に踏み切ったのでした。毎年3回ずつひらく「市民講座・講演と音楽の夕べ」は、札幌では共済ホールを会場にしていますが受講者が毎年600人を超え、地方都市でも300人以上が集まるという盛況ぶりです。法学部でも生きた法律を学んでもらおうと、学生向けの講座を一般にも公開しています。札幌弁護士会所属の弁護士10人を講師にそろえて今年5月に開いた講座では、一般受講生を30人の枠で募集したところ4倍以上の申し込みがあり、急遽100人に枠を広げたほどでした。

どの公開講座も、終了後に受講者から感想を聞くアンケートをおこなっています。その回答を集約すると、社会人の多くはテーマにひかれて参加しており、「身近で興味ある問題を取り上げてくれて、ありがたい」という声や「いろんな講師がさまざまな角度から問題を提供してくれる」という声が大多数。そして「大学の講義のように問題を体系づけてむずかしくするのではなく、リアルな表現で話してくれるのがいい」と、わかりやすさを歓迎しています。

イメージ(「土曜公開講座」の終了証を手にする森田夫妻)
「土曜公開講座」の終了証を手にする森田夫妻

「土曜公開講座」を毎年夫妻で受講している江別市大麻団地の森田民雄さんと満智子さんも「老化防止のつもりで受講しはじめましたが、気軽に受講できるのがなによりです。必ずしも学的体系を踏んでいるわけではありませんが、常識の範囲を超えて学問的に裏打ちされた話が聴けるのが勉強になります。それに、若い学生といっしょに机を並べて講義を受けられるのは刺激になりますね」と話しています。

地域を人間の営みから見詰め北海道の将来を示す道標に

これまで、北海道論の多くが産業、経済を中心に論議され、文化論は単発的に展開されがちでした。そうしたなかにあって、この「北海道文化論」は地域に暮らす人間の営みに視座を据え、学問的視点と、そのテーマのなかで身をもって活動してきた人のリアルな証言を組み合せて集中的に展開している点で特筆される講座です。そこからは、北海道がいま抱えている課題が何かがはっきりと認識され、北海道の将来を導く道標が示されてきます。

その一方、主婦や高齢者が余暇を活用して知的欲求を満たそうとする人たち、そして知識の多能化が求められるようになってきた職場に働く人たちにとっては、貴重な再学習の機会を提供してくれるものです。そのため、大学側も「全年齢層の学習意欲に対応できるように人的、組織的な体制づくりを進め、さらに質的に吟味した講義を提供するとともに、夜間に開講することや必要な人には単位認定もできるような仕組みも考えたい」(酒井さん)と、この発展に意欲を示しています。

●公開講座『北海道文化論』の内容●

第1回(1978年)
前期「アイヌの生活誌」 北海学園大学教授 更科源蔵
後期「風土と民衆精神史」 専修大学北海道短期大学助教授 森山軍治郎

第2回『北海道民衆のあゆみ』(1979年)
「北海道民衆の発祥」 函館大学助教授 榎森進
「虐げられた人びと」 オホーツク民衆史講座会長 小池喜孝
「底辺の女性たち」 北海道女性史研究会主宰 高橋三枝子
「地域民衆」―野幌の場合― 関矢マリ子
「北海道民衆文化考」―民衆俳句を中心に― 専修大学北海道短期大学助教授 森山軍治郎
「北海道民衆史の動向」 札幌商科大学助教授 船津功

第3回『北海道の文学』(1980年)
「文学からみた北海道」 藤女子大学助教授 小笠原克
「北海道の小説」北海道大学文学部助教授 神谷忠孝
「北海道の詩」北海道文学館常務理事 佐々木逸郎
「北海道の川柳」元青函連絡船通信長 坂本幸四郎
「北海道の作家」 北海道新聞社出版局 小檜山博
「私と文学」 北見文化連盟会長 林白言

第4回(1981年)
「北海道文化論」 立教大学教授 富田虎男

第5回『考古学上から見た民族と文化』(1982年)
「考古学と博物館」 北海道開拓記念館 野村嵩
「道央の考古学」北海道教育庁 竹田輝雄
「道東北の考古学」 釧路市立郷土博物館長 澤四郎
「道南の考古学」 市立函館博物館 千代肇
「ウイルタ・ニプヒ民族とその文化」網走市郷土博物館長 米村哲英
「北方民族とその文化」 札幌商科大学教授 大場利夫

第6回『北海道の農業と農民』(1983年)
「北海道農業の展開と農村社会」 札幌商科大学教授 酒井恵真
「豆と農民」―十勝農業文化論―帯広畜産大学教授 西村正一
「火山灰地農業の今昔」 中札内農業協同組合長 梶浦福督
「農村婦人の証言」―蜂須賀争議から今日まで生きて― 札幌商科大学教授 高橋三枝子・田中初子
「農民運動の栄光と残照」 北海道大学農学部教授 太田原高昭
「北海道農業の文化史的考察」 札幌商科大学教授 矢島武

第7回『北海道と少数民族』(1985年)
「エスニック・アメリカから考える」 札幌学院大学助教授 西出敬一
「アイヌ」―生活・文化・世界観― アイヌ民族博物館 岡田路明
「アイヌの足跡」 北海道ウタリ協会理事長 野村義一
「アイヌ ネノ アン アイヌ」 北海道ウタリ協会役員 小川隆吉・小川早苗
「アイヌと和人の連帯」 釧路工業高校教諭 秋間達男
「少数民族をめぐる課題」 北海道ウタリ協会事務局長 田中了

第8回『北海道・マスコミと人間』(1986年)
「新聞をめぐる人々」 FM北海道 小林金三
「新聞と読者『北の女』その後」 朝日新聞社編集委員 木内宏
「好きです、さっぽろ」 月刊『さっぽろ』編集長 枝木順子
「聴いて得するラジオ」 札幌テレビ放送(株) 山崎甲子男
「テレビコミュニケーション論」北海道放送ラジオ局 船越一男
「おおーい北海道キャンペーン」 事務局長 有馬清喜

第9回『北海道・森と木の文化』(1987年)
『氷河時代からの森林の変遷』 古生物研究者 五十嵐八枝子
「先史時代における木の文化」 北海道大学文学部助教授 林謙作
「アイヌと木の文化」 日本口承文学学会理事 萩中美枝
「開拓移民と木の文化」 北海道開拓記念館 関秀志
「木の文化と環境破壊」―パルプを中心として― 札幌学院大学教授 林善之
「これからの森林とどう付き合うか」 自然環境研究室主宰 鮫島淳一郎

第10回『アイヌ文化に学ぶ』(1988年)
「アイヌ文化とは何か」「カムイとアイヌ」 札幌学院大学人文学部助教授 鶴丸 俊明・葛野辰次郎
「アイヌ語の歴史」 千葉大学文学部助教授 中川祐
「アイヌが描いた世界」 東京国立博物館第3資料室長 佐々木利和
「女性に伝えられたアイヌの衣服と文様」 アイヌ民族館特別研究員 児玉 マリ
「アイヌの食用植物」 静内町アイヌ民族資料館学芸員 吉原敏弘
「アイヌの文学ユーカラヘの誘い」 織田ステノ
「カムイユーカラ」(語り) 萩中美枝

第11回『北海道の現代芸術』(1989年)
「現代芸術の冒険」 とわの森三愛高等学校教諭 柴崎 伴夫
「舞踊創造の世界」 小佐輝佐子舞踊団主宰 小佐輝佐子
「北の彫刻の現在」 北海道近代美術館 佐藤友哉
「風土と建築」アーブルURB建築事務所 圓山彬雄
「北海道の現代音楽」 札幌大谷短期大学教授 木村雅信
「北海道の映像の歴史と現在」 イメージ・ガリレオ代表 中島洋

第12回『北海道の村おこし町おこし文化論』(1990年)
「村おこし町おこし北海道のいなおり」 札幌学院大学助教授 広江彰
「地謔テくりにおける生活と文化の役割」 池田町助役 大石和也
「木と暮らしとまちづくり」 置戸町教育長 沢田正春
「物作りは時流を考える心と創造」 匠工芸社長 桑原義彦
「地域活性化運動の素顔」 北海道新聞社論説委員 佐藤明
「あらためて北海道の地域文化を考える」 専修大学北海道短期大学教授 森山軍治郎

第13回『北海道とアメリカ』(1991年)
「明治前期における北海道とニューイングランドとの交流」 北海道開拓記念館開拓の村整備室長 関秀志
「アンビシャスヘの疑問」 札幌学院大学人文学部教授 高久眞一
「日米文化接触の歴史の中の北海道」 恵泉女学園短期大学教授 大山綱夫
「開拓使のお雇い外国人とアメリカ」 旭川医科大学教授 原田一典
「近代日本のアイヌ同化政策」 北海道教育大学札幌分校非常勤講師 竹ケ原幸朗
「アメリカ合衆国のインディアン政策とインディアン」 札幌学院大学人文学部講師 鵜月裕典
「文化の流入、交流、そして逆流?」―戦後から現在に至る北海道とアメリカ― 北海道女子短期大学特別参与 青木暢
「姉妹都市提携交流」―現状と将来展望― 北海道総務部知事室国際交流課長補佐 高橋寿一

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