ウェブマガジン カムイミンタラ

1991年11月号/第47号  [ずいそう]    

草原の遊牧民
中田 美知子 (なかたみちこ ・ FM北海道アナウンサー)

この秋、中国の北京を経由してモンゴルに取材旅行をした。事前に下調べをしようとしたが、モンゴルのガイドブックは皆無である。仕方なく、旅行記をもとに想像するしかなかった。人づてにきいた東京の旅行会社に頼んで、受け入れ先をモンゴル国営旅行社とした。

しかし、ウランバートルの駅に降りたってみると、派遣されたガイドは日本語はおろか、英語すらおぼつかない。あとで知ったが、彼はチベット語の通訳だったらしい。これじゃ仕事にならないと途方にくれているところへ、札幌の知人に紹介してもらったモンゴル男性がやって来た。彼の名はダシニマ。ウランバートルで初めて逢った、日本語の通じる男性である。

ダシニマは元情報局にいたためか顔が広く、ホテルのロビーに私たちが立っていると、人びとが声をかけてくる。そのなかに、モンゴル親善協会のトゥムルバートルがいた。トゥムルは「鉄」、バートルは「英雄」という意味である。その名のとおり精力的に動きまわり、私のために日本語のガイドを探してくれた。しかも、1日20ドルだという。

次に、取材したかった若き民主化の旗手・ゾリックとコンタクトをとってくれた。そして、ゾリックのいる政府庁舎まで、歩いて7分ほどの距離をわざわざ白タクで送り迎えしてくれた。希望がかない喜んでいる私に“鉄の英雄”は静かに言った、「私はお礼が欲しい」と。いくら欲しいか尋ねたら「私から金額は言えない」ときたもんだ。5千円と言ったら、考え込んでいる。結局、彼は1万円要求した。外国へ行ったらガイド料は2、3万が相場ときいていたから要求どおり渡したが、あとで聞げば半年分の給料にあたるそうだ。「だから日本人は…」と叱られた。

いま、モンゴルは揺れている。民主化以後外国からの観光客がなだれ込み、法外なチップを要求されるなどのトラブルが続いたそうだ。ちゃらちゃらと物見遊山で行くと、けっこう危ない。なのに、ときどきあの草原と遊牧民が懐かしくなるのは、モンゴル人の人なつっこさからかもしれない。

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