雛人形の広告が目につく季節になった。社会人の娘が、家にはなぜ段飾りのお雛様がないのかときく。家のはガラス箱に納まり、紅梅白梅の小枝を手にした男女の童人形だ。だから、娘のいう5段、7段飾りの豪華な雛人形ではない。20数年前、夫と私は娘の初節句の人形を探して、デパートや専門店を歩き回った。が、思うのがなく、その年は諦めることにした。
理由は、人形の「手」にある。当時の雛人形は時代を映して大型で、衣装も豪華で見栄えがした。新素材がおおかたで、金襴の袖から覗く白い手も光沢のあるプラスチックだった。高貴でふっくらとした土のお顔と、安っぽい手の質感がどうしてもしっくりとは感じられない。最後に行った店の主が「昔の手はよく欠けたけれど、今の手はプラスチックだから絶対に丈夫だよ」とすすめたが、私は厭だった。娘には、昔のままの木や土の素材のものが欲しかった。私にとってお雛様の手は丈夫でなくてもよいが、優雅でなければならない。
幼いころは、お雛様を飾る日が楽しみだった。母が木箱からとり出し、包んでいる和紙を外すと、懐かしいお顔や白いほっそりした手があらわれ、胸が高鳴った。人形を飾るのは母と姉で、私と妹はお膳だの箪笥道具をそろえて並べた。たまにお顔や手にさわって叱られた。お内裏様にうやうやしく冠を載せたりするいい役目はいつも姉だ。さし出された優美で華奢な土の手に、姉が注意深くそっと扇や酒器などを持たせる一瞬は、私も息をとめた。姉まで光々しく見えて羨ましかった。早く自分の番がくればいいと思った。プラスチックの手で、この経験はできない。
翌年も、翌々年も、思う人形は見つからなかった。娘が3歳になった春、不憫に思った姑が取り敢えずと1組の童人形を届けてくれた。人形を見て、娘は大喜び。それから1日じゅう、ケースの前に座り、人形に話しかけ、知っている歌をうたい、コロコロと笑った。満足気な娘をみて「手」へのこだわりは薄れていった。
あれから20年、姑のくれた童人形は、うちのお雛様となった。もうすぐ、桃の節句だ。