北海道八雲養護学校へ赴任して2日目に、生徒の死を知らされた。そして、数日後にもまた。教員生活を通して生徒との死の別れなどは、多い人でも数人が常識だが、その常識が非常識であることを知るには、1週間と必要ではなかった。
筋ジストロフィ症という難病を背負って、小学校から温かい親の手を離れ、全道一円から学校に付設された国立八雲病院に入院を余儀なくしている子。しかも、高学年になるにしたがい病状が重度化し、10代の半ばを境に花の盛りを散らすさだめにある児童・生徒たち。
小学生の終わりころには車いすの生活に入るのがおおかたで、それより徐々に病状が進行し、個人差はあるにしても、中学の終わりくらいで人生を全うする。彼らの行動半径は、車いすとはいえ数百メートルでしかなく、大小便は教師や看護婦の手を借りなければならない状態である。とくに、女子生徒の生理の時などは、どれほど辛く、悲しく、恥ずかしい思いをこらえていたことか。
食事も自分では食べられなくて、さらに追い討ちをかけるように、食べ盛りの子らに拷問にも等しく病魔は進行する。食べ物を噛む力までも奪ってしまい、スプーンで入れてもらったものを丸飲みにするか、さもなくば原型をとどめることのないくらい細かく刻まれたものや、ドロドロに液状になった食物をチューブ管を通して流し込んでもらう毎日である。「お食事、おいしかった?」と、言葉をかけてやることにも気をつかわなければならない。
私は、この病が憎い。1日も早く治療法が研究され、「お昼、おいしかった?」と聞いてやれる日を神に祈っている。