ウェブマガジン カムイミンタラ

1992年09月号/第52号  [ずいそう]    

PKO協力法は「狂気の時代」への一里塚
内田 信也 (うちだしんや ・ 弁護士)

法律というのは「判りにくい」と相場が決まっておりますが、「PKO協力法」……といった具合に横文字が入るとますます縁遠く感じられます。

「国連平和維持活動等に対する協力に関する法律」というのが所謂「PKO協力法」の正式名称です。

「名は体を表す」といいますが、この法律の場合「名」はその恐ろしい「体」を巧みにカムフラージュしております。本来ならば「自衛隊の海外派兵に関する法律」とでもすべきところです。

さて、自衛隊の存在が憲法違反であるか否かについては多少の議論があるとしても、少なくとも「日本の自衛隊が武器をもって海外に出かけていくことは、目的の如何を問わず憲法違反である」というのが今も昔も変わらない憲法学上の常識です。

PKO協力法というのは一言で言えば「自衛隊を海外に派兵するのを認める法律」ですから、憲法違反であることは誰の目にも明らかなんですね。

「目的が国際貢献のためという結構なことなのに、それを憲法違反というなら、そんな憲法のほうが間違っている」と居直る政治家や評論家がいます。しかし、「目的は手段を正当化しない」ことは近代社会のイロハです。

そもそも憲法というのは、それによって国家権力を縛り、その結果人権を守るところに意味があるのでして、本来的に国家権力にとっては煩わしいものなのです。

ですから憲法違反の現実が繰り返されるということは、あたかも凶悪な巨大怪獣を縛っている鎖を一つずつ緩めているようなもので、これが一旦動き出すと我々の命は「風前のともしび」になってしまいます。

ところが日本の国会は不思議なところで、明らかに「憲法違反」であるこの法律を、宮沢内閣と自公民三党がむりやり成立させてしまったのです。

それにもかかわらず、その直後の参議院選では宮沢内閣が維持されることになりました。内容の理解が浸透せず、時間がなかったということもあります。でも私の感覚では、選挙民の意識・見識も一考の余地ありと思います。

そこで何故そうなのか、ということを私なんかも考えるわけですが、一つの要素として個々人が自由に考え、自由に行動することができない日本の「企業社会」の現実があるような気がします。ドイツの哲学者がこう言っています。「過度の労働へののめり込みは狂気の社会をつくる」と。

日本人の労働時間が欧米に比べて極端に長く、「どうして死ぬまで働くのか理解ができない」と、驚嘆と蔑視で見られる日本の「企業社会」です。実は「暇」(自由に考え自由に行動する時間)というのは文化の基本なのですね。それが今の日本社会にはない。

「これはやっぱりおかしい! こんなはずじゃなかった!」と気がついた時には既に遅く、抗議の声をあげることすらできなかった、というのがあのナチス・ドイツの教訓でした。わずか50年前のことです。

21世紀を目の前にして、子どもたちにどんな日本を残してやることができるか……いろいろな面で親の責任は重大です。

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