ウェブマガジン カムイミンタラ

1993年01月号/第54号  [ずいそう]    

なぜ「善いこと」よりも「悪いこと」をしたがるのか
戸沼 礼二 (とぬまれいじ ・ (株)パブリックセンター代表取締役)

カムイミンタラとは『神々の遊ぶ庭』という意味のアイヌ語だそうであるが、この雑誌には『人間を大事にしよう』というひたむきな姿勢が一貫していて、毎号手に取るといささか襟を正す気分になってしまうのであった。その『神々の遊ぶ庭』に、雑多な精神が蠢いている動物丸出しの私が寄稿するなど、ひたすら恐れ多い話なのであるが、ぜひとの依頼に降参してしまった。

この1ヵ月、いろいろ考えてみて、結局わかったことは、私には何一つ人間や人生について結論めいたことがないということである。半面、結論を出すように、もっと考えつめてみてはどうかと思われる問題はいくつもあることもわかった。そのいくつかをピックアップして、これからもう少し焦点の定まった人生を歩むようにしたい。

なぜ自分は『善いこと』よりも『悪いこと』をしたがるのだろうか。
 (1)嫌がる社員を朝から口説いて毎晩でもマージャンをやりたがるのか。不況になるとそのマージャンを止めて押っ取り刀でキャンペーンを行い、業績がよくなると性懲りもなく再開する愚行を繰り返すのか。毎年がキャンペーンのつもりで自戒して励めばいいのに。
 (2)なぜ大事な女房がありながら、好い女に会うと惚れてしまうのか。尻を追いかけるような気がおきるなら、会社百年の大計でも考えていればいいのに。なぜ梅毒やエイズは恐いと知っているのに、時には岡場所に遊びに行きたいと思うのか。なぜ神や人間を恐れず、怖い病気を恐れて、岡場所行きをやめてしまったのか。こんな時こそ勇気を出して女性を助け、医学の進歩の実験材料になっていればいいのに。
 (3)なぜソマリアの子どもが毎日餓死していることを知っているのに、ラーメンを半分残しては変わった味を求めて3軒も梯子するのか。こんなに食物を粗末にしている奴が、なぜソマリアの惨状をテレビで見たときだけ何か送ってやろうと思い、そのくせ実行しないのか。せめて2キロ増えた、3キロ肥ったとわめかないで、泰然とビールを飲んでいればいいのに。

なぜ、精神の充実をはかる努力を傾注せずに、耳目口腹の欲にとらわれて小心翼翼たる人生を過ごしているのか。

戸沼礼二よ、しっかりせい! と言いたい。

神々の遊ぶ庭を汚して申し訳ありません。

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