お正月の5日、もうひとつのカムイミンタラ、古代エジプトの美術を学ぶための旅行に出かけた。
思ったより凌ぎやすい気温のカイロでのホテルは、目の前に壮大なピラミッドが見られ、コーランが聞こえてくるという異国情緒たっぷりの所であった。重厚な歴史の狭間に時が止まってしまったようなこの国を歩く時に私が感じたものは、その過去の文明の偉大さと、その宿命を背負って生きる人々の姿であった。
美術館の中では、カメラを持っている人を見つけると親切に良いアングルを教えてくれる。ライトも特別につけてくれる。内緒よと言ってフラッシュもいいよと言う。でも親切はイコール、チップである。砂漠の中で、どこからか馬に乗った少年が格好良く現われた。そしてポーズをとっている。絵になると思ってシャッターを切ると、またチップである。
観光客と見るとチップや、ガムや、チョコレートを欲しがる。あげくの果てにはボールペンまで要求する子供達。織物学校での見学の際にカラフルな服を着た可愛らしい子供達が見事な手さばきで糸を操っている姿はとても楽しい光景であった。ところが、やってみなさいと1本の糸を差し出されてつい手を出してしまったら、これもまたチップなのにはいささかがっかりした。このようなことは、どこの国を旅行しても観光地ではよく経験することで、珍しくはないことだけれど、あまりにも古代の文明とこの人々の姿が対照的で、私は非常にショックを受けてしまった。
しかし、改めて考えてみるとその背景には例え子供達であっても家族や自分の生活が重くのしかかっているのである。このことは日本の子供達も昔は学校から帰ると弟妹の面倒をみたり、家事の手伝いをして親達の手助けをしたのと同じかもしれない。
ところが、今はどうであろう。学校の講義よりもアルバイトの方が大事になって、そこで得た報酬は大抵の場合、遊びやファッション等に費やされてしまうようだ。都会は砂漠化して友達と外で遊ぶこともなくファミコンで病院へ担ぎ込まれる子供さえいる。更には受験戦争に心身を擦り減らす子供達や、落ちこぼれてしまう子供達もたくさんいる。物質には恵まれているけれど近代文明に押し流されそうな日本の子供達と、不自由な中にも自分達の生きる道を精いっぱい守っているように見えるエジプトの子供達とどちらが幸せなのかと考えても容易に答えは出せない。
あの大きな瞳で語りかけてくる子供達は果たしてどのような思いで毎日を過ごしているのであろうか。