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1993年03月号/第55号  [ずいそう]    

重箱の隅を突っつくような話
武井 時紀 (たけいときのり ・ 札幌市文化財保護指導員)

重箱の隅を突っつくような「札幌都市探訪」をやっている。NHK文化センターでのことである。概説めいたこと、観光案内的なものは出尽くしの感があるので、さ細なこと、つまらないことに目を向けよう、というのである。発想の転換とでもいえようか。幸い、受講する人が多く、胸をなでおろしている次第。その1、2を紹介。

大通西6丁目に「開拓紀念碑」がある。碑面に揮毫者の名がないので、だれの書か不明であった。が、最近、榎本武揚の書である、とする著書が何冊か出た。この字は、榎本の「内面の自画像でもある」とも書かれている。

では、なぜ榎本は、自らの名を碑面に彫らせなかったのであろうか。重箱の隅突っつき精神で調べてみた。

明治19年、この碑の建てられた時の新聞を丹念に調べてみた。由来の記事があった。約千年前、宋の大宗がつくった「淳化閣帖」という書の手本から、5字を選び、それを4百倍に拡大したものである、というのである。では、なぜ、それが榎本の書となったのか、そこまでの詮索は、重箱の隅突っこみ精神を逸脱するので、やめにしている。

大通西3丁目に、石川啄木像がある。当初案では、トウモロコシを手にしていたが、反対があって取り除いた経緯のある像である。像の裏面に「啄木像建立協賛者御芳名」というのがあって、10ほどの会社名が刻まれている。さらに「順不同」とある。寄付金が、同額で順位をつけられなかったのであろうか。建立関係者の並々ならぬ配慮と思慮深さに恐れ入るのである。

銀座6丁目に、数年前、啄木の歌碑が建てられた。その裏面には「銀座の人々これを建つ」とだけ彫られている。札幌と銀座の人びとの彫刻や碑に対する思い入れの違いが面白い。しかし、これ以上書くと、やはり重箱の隅突っつき精神に反するので、筆を置く次第である。

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