ウェブマガジン カムイミンタラ

1993年05月号/第56号  [ずいそう]    

早春のシンボル花
加藤 幸子 (かとうゆきこ ・ 作家)

東京の現在の住まいに越してから30年近くたってしまった。初めは周囲に植木屋さんの林が広がっていたり、近所に野菜畑があったりして、都内にしては田園の雰囲気がかなり残っていた。野花もあちこちに咲いていた。

――数年前からバタバタと様子が変わった。畑は無味乾燥な児童公園になり、植木林は切り売りされて、駐車場と大型マンション、ガソリンスタンドとファーストフードの店、そして最後に空にそびえたつネットを張りめぐらしたゴルフ場ができて、私をがっかりさせる。これらの施設で私が利用しているのは、24時間営業のファーストフード・レストランだけである。家の中がごたついているとき編集者と会うのに使ったり、原稿に集中できないときコーヒーを飲みながらそこで書くと、意外に筆が進んだりする。

犬の散歩も不自由になった。林や畑なら人目はばからず後ろ足をあげさせることができたのに……。それでも散歩は続けなければならない。3月に入ったばかりのある夕方、私は犬を連れてレストランの横を通った。磨きあげた窓ガラスの内側では、若者や家族がたのしげに食事をしていた。犬が動かなくなったので、私はあわてて綱を引いた。犬は足を地に踏んばって抵抗した。車置場の隅に残されたわずかな草むらの匂いを嗅いでいる。空色の小さい花が群れていた。オオイヌノフグリだ。以前は、春一番が吹くか吹かないかのころ、畑の傍でよく見かけた。それ以来の対面である。コンクリートのあいだによくぞ帰ってきてくれたものだ。

オオイヌノフグリに相当する北海道の早春の野花は、エゾエンゴサクではないだろうか。昔、札幌に住んでいたころ、私はこの花の澄んだるり色の群落に陶酔していた。今でもあそこあるだろうか。都市の発展につれての環境の変化は、ある程度仕方がないのかもしれない。でも、シンボルとしての自然だけは、残すほうがずっと価値がある。野生生物にも人間にも……。

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