ウェブマガジン カムイミンタラ

1993年07月号/第57号  [ずいそう]    

小さな親切
堂垣内 尚弘 (どうがきないなおひろ ・ (財)北海道体育協会会長)

新年早々、オーストラリアに出張中の友達から届いた手紙に、次のことが書いたあった。

「現地で借りた車で友人宅へ行き、玄関先に駐車したまま雑談していたら、ドアがノックされたので友人が返事をしたところ、『お宅の車でしょう。ライトがついたままですよ』という男の声。外へ出てみると、スモールライトが点灯したままであった。感謝の気持ちでお礼を言うとい中年の男性は軽く会釈をして立ち去った」。このことに強く感動した友達は、オーストラリアという国を見直したと書いてあった。

一見、何でもないことのようだが、日本人は、身内や知人には親切でも、見知らぬ人に対しては、なかなかできない親切であると私も思った。

最近、こんな話を聞いた。札幌の地下鉄の車内で、女子高校生風の3人が雑談していた。その前には、赤ちゃんを抱いた若いお母さんが荷物を下げて立っているが、その学生らはいっこうに席を譲ろうとしない。そのうちに、隣にいた大人の男性が立ち上がると、3人の学生らはその人の席をも占拠し、広く腰をかけ直してしまった。それを見かねたのか、横にいた30歳前後の女性が注意をし、席を譲るように促し、やっとそのお母さんが席につくことができたという。

この話を聞いたとき、これは学校教育以前の家庭のしつけが出発点だと思った。もし、このような女性がやがて母親となり、子どもを育てたとしたら、どうなるだろう。さらに、外国人がこのような日本人を見て、日本を軽蔑するのではないかと考えると、心が重くなってきた。

親切とは、相手の立場になって考え、行動することだと思う。小さな親切運動がささやかにおこなわれているが、この運動を進めなければならないのは、日本人があまりにも自己中心的になり過ぎたからであろうか――。

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