ウェブマガジン カムイミンタラ

1993年11月号/第59号  [ずいそう]    

モシリコロ・カッゲマッ
計良 智子 (けいらともこ ・ ヤイユーカラの森運営委員)

3日間の日程で慌ただしく北海道を駆け抜けたリゴベルタ・メンチュウを囲む札幌の集会で、私は5年来の憧れの女性を、初めて見ることができました。

本人も言っているようにハードなスケジュールの連続で、疲れていることが傍目にもよくわかりましたが、それでも舞台やロビーでにこやかに微笑み、手を振ってまわりに応えている姿はほんとうに可愛らしくて、スピーチの内容とともに胸を打ち、感嘆のおもいが心に広がりました。

1987年に日本語版が出版された『私の名はリゴベルタ・メンチュウ』を翌88年に読んだのが、彼女との(一方的な)出会いでした。21歳で祖国グアテマラを脱出したメンチュウが、23歳の時に訪れたパリで人類学者ブルゴスの家に泊まりこんで、1週間、25時間にわたって語り続けた彼女の半生をブルゴス女史が編纂した記録は、大きな衝撃と共感を私に与えました。

グアテマラ政府のエスノサイド(民族絶滅政策)の中で、ごく普通のインディオの家族と共同体が、なんの迷いも疑いもなく闘士として成長していく姿。「生き延びるためには、離散していること」と、離ればなれになった家族のそれぞれがレジスタンスのリーダーとして闘い、死んでいく姿。「聖書は、われわれに闘えと教えている」と、武器を持って闘うことこそキリスト教徒の生き方であると人びとを組織していく姿。そして、政府軍による破壊・拷問・凌辱・虐殺……。

なによりも魅力だったのは、グアテマラの先住民の生活・伝統文化・宗教観・世界観が、彼らの肌の温もりや息づかいを感じさせるほど身近に感じられたことでした。これらのすべてを語り続けたメンチュウの記憶力と、感性の細やかさに圧倒されたのです。

あれから5年。リゴベルタ・メンチュウは、やはり輝いていました。アイヌ語に「チセコロ・カッケマッ=家をとりしきる淑女」という言葉がありますが、札幌市民会館の舞台で、にこやかに「人間のあるべき姿」を話す彼女に、私は「モシリコロ・カッケマッ=大地を司る淑女」の姿を見たように思います。

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