ウェブマガジン カムイミンタラ

1993年11月号/第59号  [ずいそう]    

日本が没落するとき
山根 對助 (やまねたいすけ ・ 「北海道から」編集長)

中村隆英氏の好著『昭和史』に誘われて描いてみた私のデッサンは次のようなものだ。

……昭和のはじめに生まれた私たちの世代は、支那事変から大東亜戦争のさ中の日々、嚇嚇たる戦果に驚喜し、遠からず、大日本帝国の主導によって、新しい世界秩序(大東亜共栄圏)が建設されるものと、信じきっていた。

昭和20年8月15日、敗戦という形で、戦争は終わった。既成の権威も秩序も、そして、理想も、一挙に崩壊した。その衝撃は、とうてい言いつくすことができない。あらためて見廻せば、国土はたび重なる空襲を受けて、廃墟と化していた。加えて、その年の冷害が全土を直撃した。貧窮と飢餓に喘ぐ都市住民。また、子や父や兄・弟を戦場で失った多くの肉親・縁者は、それらの惨禍をもたらした責任者として、軍の指導部を憎んだ。すべての責任は彼らにあって、国民にはないとする「東京裁判」に異議を唱える者はほとんど見当たらなかった。

明治維新を経て、近代国家としての粧いで世界という場にその姿を現した日本は崩壊し、再出発を余儀なくされた。当時の流行語でいえば、「日本再建」は、マッカーサー将軍が主導する民主主義に靡き、その欽定憲法をおしいただくところから出発したのである。……

あの日からわずか50年、甦った日本は大戦後の世界で最も成功した国といわれるが、かかる現在は、そのすべてを否定したあの「過去」をも含み、その上に築かれた「現在」にほかならない。歴史の皮肉。

そして、もう一つの歴史の教訓(歴史学者のではない)。「盛者必衰」が世の理であれば、いつの日か、ふたたび没落のときは必ず来る。それが、いつ、どのような形で来るとしても、その時代を生きる人の大勢は、底に潜む没落への潮流に気づくことはないであろう。結果に憤るだけだろう。ほぼ昭和全史を生きてきた私は、そう思う。

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