日本の食糧事情は、コメの緊急輸入をはじめ、ガット(関税および貿易に関する一般協定)・ウルグアイ・ラウンド(多角的貿易交渉)で日本政府がコメの部分開放を決断したことなどによって、たいへんきびしい状況にあります。その要因のひとつとなったのが昨年の異常な冷害です。コメは7月下旬に出穂期(しゅっすいき)を迎えますが、そのとき低温にぶつかって不稔粒(ふねんりゅう)が大量に発生しました。私も道南地帯を学生とともに歩いてきましたが、桧山(ひやま)、渡島(おしま)の各地区は作況指数2という状態でした。作況指数2といえば、平年は10アールあたり約500キロは穫れますから、その100分の2で、10キロとなります。10キロとは1人2ヵ月分の消費量くらいにしかあたりませんから、たいへんな災害を被ったわけです。したがって、こうした地域の農家は飯米がなくて、農協を通じてコメを調達しているという現状を目にしてきました。
全国的な作況指数は74と発表されました。平年の作柄は、最近では1千万トンですから、74では250万トンくらい不足します。北海道についていえば、作況指数は44で、平年作の半分以下ということになります。ともかく、1千万トンの需要に対して800万トン弱しか穫れなかったのですから、単純計算をすれば差し引き200万トン強が不足しますが、日本は残念ながら在庫がほとんどない。政府の資料では昨年10月末現在では35万トンくらい残っていることになっていますが、これはあくまでも統計上の数字で、実際はほとんど在庫がないのです。ないのに加えて、昨年の冷害凶作。さらに収穫時期が平年より2週間程度遅れましたから、そのため一時的に需給のミスマッチを起こし、10月の2週間くらいは多くのお米屋さんでコメがなくなったという事態まで発生したわけです。
このコメ不足がとくに多かったのは、東北のコメどころです。青森、岩手、宮城などは軒並み作況指数が20台ですから、たいへんな不作でした。しかも、収穫が遅れました。農家は自分で生産したものをまず自分が消費していたのですが、9月、10月になると自分で食べるコメさえないので米屋さんに買いに行った。もともと米屋さんはそんな需要を見込んでいませんから、そういう突然の需要が入ったらとても対応できない。そんなことで、東北の米屋さんから一時的にコメがなくなったのです。
北海道でも、10月に入って大手のスーパーマーケットなどを中心にコメがなくなったということがありました。
ふだんは、コメは余っているだろうという認識のもとに、コメについては空気みたいな感じでいたわけですが、それがなくなってみたら、じつはコメというのはたいへんなものだという認識を新たにした人が多かったのではないかと思います。
では、昨年のコメ不足はなぜ起きたのか。言うまでもなく異常な天候という事情が大きいことは間違いありません。しかしながら、ちょっとした天候の変化で即コメ不足を起こすような農業政策の問題が問われなければなりません。コメの場合、それは食管制度でおこなわれていますが、食管制度の運用の仕方に、あるいは食管制度自体に問題がなかったのかという指摘が学者だけでなく、多くのマスコミあるいは一般の人からも起きています。
その制度的な問題に入る前に、昨年の異常気象は除き、とくに昨年に限ってのコメ不足をもたらした原因について、ひとつ言われているのが技術的な問題です。これは、出穂期に低温がくるようなときには、これまでは深水灌漑(ふかみずかんがい)といって、水田の水を増やして、日照で水を温めておく。そうすれば異常低温でもある程度はしのぐことができます。げんに深水灌漑をした水田ではそれほど大きな減収はありませんでした。もちろん異常低温ですから2割とか3割は減収していますが、壊滅的な打撃を受けずにすんだ田んぼが多かったのです。
深水灌漑をするためには、畦(あぜ)が30センチとか50センチとか一定の高さが必要です。ところが、最近の灌概は20センチ、25センチとひじょうに低い。なぜそんなに低くなっているかといえば、大型機械が水田に入りやすいように畦を低くしているからです。
1961年(昭和36)に農業基本法が制定され、それ以降、農業構造改善事業を数度にわたって実施していますが、そのなかで大型機械が入りやすいように大型圃場(ほじょう)をつくっていくという整備を進めてきました。たしかに、それによって機械化は進展したのですが、このように異常な低温がきた場合に深水灌漑ができないという問題が、昨年あらためて出てきたのです。その意味では、機械化による生産性向上一辺倒の農業政策のあり方が、昨年、ひとつの問題となって提起されました。
もう一点は、自主流通米制度が1969年(昭和44)以来実施され、最近ではコメの流通量の8割くらいが自主流通米で占められています。自主流通米は食味がよいコメですから、コシヒカリとかササニシキといったコメがどんどん売れてきました。その結果、いわばコシヒカリやササニシキが不適な農地にまで広がった。しかも単一品目を作付けする。たとえばコシヒカリは晩生(ばんせい)品種ですから田植えも収穫も遅いのですが、そればかりに特化して作付けしてしまった。昔から、農家は早稲(わせ)種と中手(なかて)と奥手(おくて)をうまく組み合わせ、労力分散をはかるだけでなくて、気象変動による災害の影響も緩和してきたのですが、自主流通米一辺倒の動きのなかで特定の銘柄米に偏った品種構成になってしまった。しかも、本来その土地に合わないところも、高く売れるがゆえに作付けが広がっていったのです。
たとえば、ササニシキは宮城県の古川で作られて庄内にまで広がっていきましたが、本来は古川のような土地にしかないコメです。ところが、最近では岩手のほうまで広がっている。コシヒカリも、もともとは北陸で作られたコメですが、それが北は福島、南は種子島まで広がっています。そんな状況では、ちょっとした気象変動ですぐ大きな打撃を被る。そんなことで、悪い面が昨年出てしまったのです。そういう点ではコシヒカリ、ササニシキなど銘柄米、自主流通米一辺倒のコメ政策がコメ不足をより激しくしたと言えるかと思います。
しかし、それ以上にもっと大きな原因は、長年にわたる食管制度の形骸化ないしは空洞化政策がすすむことによって、農家がコメ作りに対して意欲を失ってきたことです。また、減反政策の結果、多くの田んぼはすでにコメ以外のものに転作をして、それが定着することによって簡単にコメには戻れないという状態が生まれているということも指摘しておきたいと思います。
そこで、食管制度が近年どのように変わってきたのかということが、あらためてこのコメ不足のなかで検討されなくてはなりません。
1969年に自主流通米制度が発足しました。それ以前は全量政府買い入れ米、つまり政府が農協などを通じてコメを買い、政府の責任で放出をするという、政府米オンリーの世界でした。しかし、1969年以降、自主流通米制度という、政府が買うのではなくて、農協の全国組織から直接卸売業者にいくというルートが新しく生まれたわけです。それ以降、自主流通米がどんどん生まれてきました。
自主流通米制度が、なぜできたのか。それは、政府買い入れ米だけでは財政負担が大きすぎるため、政府買い入れ量を減らす必要がある。もっと民間の流通にゆだねる必要があるということから生まれたのです。
では、そうした財政負担はなぜ起きたのか。1967年以降、毎年のように豊作がつづいたことから、過大なコメ在庫を政府が抱えてしまったのです。
生産量は、1960年代前半は1,200~1,300万トン水準でした。それが1967年以降急増して1,400万トン台にはね上がります。その結果、需要は1962年をピークとして、その後一人あたりの消費量が減ってきましたから、生産量が増えた分だけ過剰になりました。このように、異常なコメ過剰が1960年代後半に起きたことが政府の財政負担を大きくし、その対応として自主流通米制度が生まれたわけです。
この時期にコメの生産調整がスタートします。これは1969年に試行的にやったのですが、本格的には1970年からはじまっています。要するに、コメ過剰に対しては、ひとつには自主流通米制度による財政負担の軽減を、もうひとつは直接生産調整によってコメを減らそうという農政が、このときからはじまるわけです。
それ以前のコメ需給はどうであったのか。政府が管理しているコメの在庫量は、1960年代後半に入って急増し、1970年(昭和45)には720万トンになっています。現在コメの生産量は1千万トンですから、その4分の3程度にあたる膨大な在庫量を抱え、それがコメの生産調整の引き金になりました。それ以前は、コメは不足していたのです。1960年代前半は、在庫がほとんどゼロになっています。それまでは、日本のコメ消費量がもっとも多いときにもコメの生産量はそれほど伸びていませんでした。不足する分は、大量の輸入でカバーしていたのです。
よく日本の食管制度について批判する人は「日本の食管制度はコメの輸入を認めていない」という言い方をしますが、それはたいへんな誤りで、食管制度には「米麦の輸出入を政府が管理する」ことをうたった条文があります。したがって、政府の判断で輸出、輸入ができるのです。げんに1960年代前半までコメの輸入は政府自身によっておこなわれていたのです。
戦後のコメ不足の時期や1950年代後半にかけては「外米(がいまい)」と称して、台湾やアメリカあるいはタイから大量にコメを輸入していました。これは食管制度によって輸入していたわけで、1966年までつづいていたのです。その年は、100万トンぐらい輸入しないと日本の必要なコメ需給量を確保できないという年でした。
そういうことでコメを輸入してきたのですが、その後、1966年までたまたま豊作年がつづいたこともありますが、1,200万トンくらいの生産があればよいところを、1,400万トン以上の生産が2年連続したことから、たちまちコメの過剰が発生したわけです。
こうしたことを見ると、政府は昨年から今年にかけて最大200万トンくらい輸入するという方針を立てているようですが、同時に減反の緩和をおこなって、単年度で65万トン、2年間で130万トンの在庫の積み増しをはかることを決定しています。その130万トンの在庫積み増しのうえ、さらに200万トンの輸入が加わったら、ふたたびコメの過剰が起きそうだということが、こうした過去の事態をみた場合に考えられるわけです。
ところで、1984年ごろコメの4年連続不作が原因で、在庫水準がほとんどゼロに近くなったことがあります。1984年は0.1万トンという、ほとんどゼロという事態のなかで韓国米15万トンが緊急輸入されました。しかし、減反政策の手綱は緩めなかったのです。
ふたたび、80年代後半に入ってコメの過剰基調がすすんできたものですから、さらに減反が強まってきて、89年(平成元)の減反目標は過去最大の83万ヘクタールになりました。日本の水田の本地面積、「水はり面積」と呼んでいますが、実際にコメを作ることができる面積の32%にあたる大幅な減反政策を、つい4年前までおこなっていたのです。加えて、自主流通米制度のなかで自主流通米は高く売れていったのですが、その半面で政府米の価格は極力抑えられてきました。
とくに80年代に入ると、行政改革がはじまります。81年から土光(どこう)臨調がはじまりますが、そのなかで食管制度は将来的には見直しをし、当面は政府米の価格を引き下げることによって政府米の量を減らして自主流通米を増やすことを打ちだします。そういうことで、政府米の価格が80年代に入ってほぼ抑制されてきます。
87年から、いよいよ生産者米価の引き下げがはじまります。もっとも、その前年の86年に米価審議会がいったん米価引き下げの答申をしたのですが、その当時の与党自民党や農業団体の猛反対にあい、それを引っ込めて据え置いたという経緯があります。それ以降、マスコミの農業批判がいっせいに高まったのです。
たまたまその年は、アメリカの精米業者が「日本のコメ市場を開放しないのは、けしからん」ということで、アメリカの通産省にあたる通商代表部に、「日本のコメの輸入禁止は問題だ」と提訴しました。加えて、米価引き下げ答申に対する農業団体や自民党のゴリ押しに対するマスコミの批判が高まっていたものですから、火に油を注ぐような形で一気にマスコミのコメや農業に対する批判が高まったのです。
そういうなかで、87年はすんなりと米価引き下げが進行しました。その年だけで5.6%引き下げたのですが、その後、3、4度にわたって引き下げがなされ、92年までに米価は約12%引き下げられました。
他方で、政府の売り渡し価格はどうかといえば、すでに政府、自民党では70年代後半から、それまでは「政府米の売買逆ざや」といって、政府の買い入れ価格のほうが政府の売り渡し価格よりも高いという、通常の商行為とはまったく逆の、逆ざや体系をとっていたのです。当然、そのことは政府の財政負担を増やします。その財政負担を削減するために、売買逆ざやを解消すべきだと、自民党と政府が76年に決定します。それ以降、政府米の価格が抑えられる半面で、政府の売り渡し価格がどんどん上がっていき、87年には売買逆ざやから順ざやに移行します。
政府の買い入れ価格が80年代はかなり抑えられ、87年から引き下げられていきます。それに対して政府の売り渡し価格は80年代にどんどん上げられ、87年以降、政府買い入れ価格が下がったなかでも連動して下げずに据え置いてきたことから、逆ざやから順ざやに変わっていったのです。
政府米価格が下がって、逆ざやから順ざやに変わったことは、コメの供給、コメの流通面に大きな変化をおよぼします。
コメの供給面では、農家の生産意欲が大幅に低下したことがあります。12%の米価引き下げは、農家の立場からいえば、たとえば、1千万円の粗収入のある稲の単作農家がいたとすれば、その経費はほぼ50%です。差し引き500万円が農業所得、米作所得となります。また12%米価が下がったということは、経費の五百万円は変わらないとして、粗収入は1千万円から120万円ダウンするわけですから、農家の所得は500万円から380万円にダウンすることになります。単純にいえば、所得のダウン率は24%、これは大変なことです。サラリーマンなどにそんなことが起きたら、暴動が起きかねません。そのようなことが、農家に対してはあったのです。
当然のことながら、稲作農家はコメに対して意欲を失います。コメを作っても儲からないということから、コメ以外の野菜など畑作へ転換していく。あるいは、まったくコメ作りをやめて兼業にいくという対応をとったわけです。こうして、価格引き下げのなかで日本のコメの生産力は大きく落ちてきました。
加えて、減反政策は89年がピークで、83万ヘクタールまで達しました。作付面積が大きく減らされたなかで、かつ農家の意欲が米価の引き下げで低下していますから、簡単に「これからコメを作ってくれ」といっても戻らないのです。
このコメ不足については、すでに2、3年前から「近い将来、コメは少なくなる」ということは農林水産省ではわかっていました。私たちもわかっていました。そこで、農林水産省は83万ヘクタールまでになった減反をなんとか緩和していこうと、とりあえず92年には83万ヘクタールの減反面積を13万ヘクタール減らして70万ヘクタールにしようということで、農協や農家におろしたのです。ところが、13万ヘクタールの緩和要請に対して、実際に緩和したのはわずか6万ヘクタール弱です。すなわち、7万ヘクタールは農家がコメ作りをすることを拒否したわけです。
さらに、この緩和は1993年もつづきました。この年はさらに減反面積を67万6千ヘクタールに緩和したところの新たな減反政策「水田営農活性化対策」を決定しました。しかし、最終的には減反目標の緩和が達成されず、実際の減反は目標の67万6千ヘクタールを上回って70万1千ヘクタールぐらいになってしまった。逆にいうと政府が予定しただけのコメの作付けがなされなかったのです。
さらに、昨年のコメ不足があらわれるなかで、政府は来年度以降、減反を緩和して60万ヘクタールにしようということで、なんと4年前からみれば23万ヘクタールの減反緩和を決定したのです。これによって在庫の積み増しを単年度で65万トン、2年間で130万トンを確保しようと計画しました。しかし、これもはたして達成できるかどうか、きわめて疑問視されています。
こういうなかでのもうひとつの問題は、87年以降、米価が引き下げられて政府米の逆ざや体系が順ざやに変わったのですが、それによってたいへん大きな問題が食管制度の面で出てきました。それは、ヤミ米の増加です。
農家は、本来ならば生産したコメは農協などの指定集荷業者を通じてしか出荷できない。出荷の前に食糧事務所の各市町村支所においてコメの検査を受けたものを、農協や指定集荷商人を通じて流通させるのが食管制度上の建て前です。しかし、農家は自分のところで穫れたコメを検査に回さないで庭先まで買いに来た業者に現金で売却する。そういう「不正規流通米」、いわゆるヤミ米がたいへん増えてきたわけです。
図3に示した「農家消費等」というのが、ヤミ米の発生源です。自主流通米と政府米が「政府管理米」で、これは食糧事務所で検査して流通しているコメで、正規流通米です。農家消費等のなかには、もちろん農家が消費する分が含まれています。しかし、その量は農家の実際の消費量に加えて、農家が親せきなどに送る縁故米を含めても、せいぜい200万トンくらいだろうといわれています。
しかし、最近、生産量が全体で減っているなかで、80年代の後半以降、とくに87年の米価引き下げ以降「農家消費等」というのが増えています。したがって、生産量に対する自主流通米と政府米買入量を合わせた政府管理米の集荷率が87年以降顕著に落ち込んでいます。86年ごろの集荷率は70%くらいでした。生産量のうち70%くらいが政府が管理する流通ルートで流れていたわけですが、その後、顕著に集荷率が落ちてきています。昨93年度産米においては、なんと59%に落ちた。あっという間に、10ポイントくらいの低下が起きたのです。
政府管理米の集荷率が減っているということは、他面で自由米、ヤミ米が増えていることを示すわけですが、これが絶対的にも相対的にも、近年異常な伸びを示しています。このことは、食管制度が内部から崩れつつある。ということを示す指標となります。
なぜ、そんなことが起きたのか。かつての逆ざや体系のときには農家が販売する価格のほうが高くて、卸売業者が政府から買うほうが安かった。そういうなかでは、ヤミ米業者が介入する余地はまったくなかった。農家から政府米よりも高く買って、卸売業者に安く売らないことには卸売業者は買ってくれませんから、商行為としてはあり得ないわけてす。だから、その当時はヤミ米などほとんどなかった。
ところが、それが87年以降逆転して、農家の政府に売る米が安くなり、卸売業者が政府から買う米のほうが高くなった。そのため、農家が政府に売る米の価格よりはヤミ米業者が少し高い米価で買い、卸売業者が政府から買う米よりも安い価格で売れば充分利ざやが得られるわけです。ということで、売買逆ざやから順ざやに変わって以降、にわかにヤミ米業者の活動が活発になっていったのです。
たとえば、新潟県などはコシヒカリだけでなく、かつてはアキヒカリのような早稲品種、8月ころから出荷する米がありました。逆ざや時代はみんな政府米で流れていましたが、順ざやになって以降、ヤミ米業者がそのコメをどんどん買っていく。それを新潟米だからコシヒカリと称しても売れたわけです。そういうことで、ヤミ米業者が活況を呈していきました。
もうひとつ、自主流通米については、1990年(平成2)に自主流通米の市場ができます。正式には「自主流通米価格形成機構」と呼んでいるもので、全農などと卸売業者とのあいだで入札をおこなって取引をしようという組織を、東京と大阪につくりました。それ以降、自主流通米の価格は大きく変動するのです。
自主流通米価格形成機構を開設した90年には宮城ササニシキなどの価格がダウンします。自主流通米市場が生まれた年には新潟コシヒカリのように量の少ないコメは上がっていったのですが、北陸のコシヒカリや関東のコシヒカリ、東北のササニシキなどは軒並み過剰基調のなかでダウンします。
農家は、出荷する時期に農協などの出荷団体から仮払いを受けるのですが、自主流通米の価格がダウンしたため、農協組織は仮払いの額を抑えました。すると、下がった分に対して、ヤミ米業者はそれよりも高い価格で買っていくので、自主流通米にさえヤミ米業者が入ってきました。そういうことで、自主流通米市場の設立は、かえってヤミ米市場を活発にする条件になってきたのです。そんなことで自由米がどんどん増えてきて、食管制度はかなり危機的な状況にあります。
政府米の量は顕著に減ってきた。最近では100万トンから110万トン程度しかありません。ところが、政府米はけっこう需要があるのです。標準価格米は、全量政府米です。最近はコメ不足のなかで標準価格米、中粒米のほとんどが新米ですから、それらはけっこう安くておいしいということで、その消費はさほど落ちていません。東京などではアジア系の外国人労働者が100万人とも200万人ともいわれるほど大量に入り、いちばん安いコメを買うので、標準価格米が店からなくなってしまう。また、いま繁盛している外食産業、生協食堂、病院の食堂なども標準価格米を使っています。そうした需要が200万トンぐらいあります。ところが、供給量が100万トンから150万トン程度ですから、たいへんな政府米の不足をきたしているのです。
もうひとつ、不足になっているのは加工用米です。この加工用米は、150万トンの需要があります。なかでもいちばん多いのが酒米(さけまい)で、これは50万トンから60万トン。最近ブームの純米酒はコメを多く使いますから、酒米のもと米とかけ米の需要がどんどん増えています。また、味噌、醤油の原料、焼酎の原料、モチの原料などを含めて100万トン近くあります。そうした加工用米は、元来、政府米の中から安く供給されていたのです。
かつて、政府米は在庫がたくさんあって、優先的に安く加工業者に売り渡しました。ところが、84年の韓国米の緊急輸入がなされた時から政府米自体が不足したものですから、加工用米に対する需要にこたえるため、政府は「他用途利用米制度」というのを設けました。これは、農家に対して手取りは60キログラムあたり1万円くらいで、あと政府が補助金を出して、ユーザーには5千円くらいで売り渡す。そういうコメを現在約50万トンくらい持っていますが、他用途利用米は価格が安いものですから農家は作りたがらない。そんなことで、政府米と他用途利用米の双方が不足してきました。
他方、農家は、政府買い入れ米価引き下げのなかで少しでも高いコメを作りたい、売りたいということで、北海道では「きらら397」に特化してきましたし、東北ではササニシキ、コシヒカリに特化をしてきた。最近では、いろんな新品種が生まれています。「はなの舞」「ひとめぼれ」「ほのか」といった名前の新品種が生まれてきていますが、いずれも自主流通米です。そうした高く売れる自主流通米に生産がシフトして、安い政府米や他用途利用米の供給が減ってきました。
そうしたことはすでに2、3年前から現れていましたから、政府は農協に強引な割り当てをおこなって、ともかく自主流通米だけでなくて、政府米とか他用途利用米を作らせようとしました。しかし、農家は金にかえられませんから安い政府米や他用途利用米は作らず、あるいは販売せず、高い自主流通米へと流れていったわけです。
しかし、その自主流通米がひじょうに気候変動に弱いコメだったことから、昨年のような異常な冷害、低温のときには、たちどころに生産の減収となってあらわれたのです。
以上のように、全量、政府が管理してコメを自給していくという趣旨をともなった食管制度の形骸化がすすんでいきましたが、その結果、消費者はいったいどういう影響を被ったでしょうか。
食管制度やコメに対するマスコミの批判のひとつは、コメは内外価格差が広がりすぎていることでした。その場合の内外価格差というのは、たとえば東京で消費者が買うコメと、アメリカのロサンゼルスで買う米国産米との価格の差をいっています。そこで、とりあえず政府は、87年から生産者米価を下げていきました。しかし、政府売り渡し価格は下げられませんでした。さらに、自主流通米の価格は、政府はほとんど規制していませんからどんどん上がっていった。要するに、政府の直接管理のできるコメの量が減って、逆に政府が管理できないコメが増えていくなかで、その管理できないコメの価格が上がっていった。それで、自主流通米や自由米がどんどん増え、末端の消費者購入価格が上がっていったのです。
マスコミなどの食管攻撃は、政府が管理するから消費者は高いコメを買わされているというものでしたが、事実はまったく逆で、政府が管理するコメが減少し、逆に市場原理で動くコメが増えることによって、末端の消費者価格は上がっていった。これは、まぎれもない事実です。
なおかつ、昨年のコメ不足のなかでどういうことが起きたのかといえば、いま、北海道でも「きらら397」の自主流通米の市場価格は、玄米60キロあたり約2万円です。90年当時は1万7千円くらいでしたから、4年間に4千円ほど上がっています。このように、まず自主流通米が上がってきた。加えて、昨年のコメ不足のなかで「きらら397であればいくらでも買う」という業者があらわれてきました。
東京・神田にある「自由米」の斡旋(あっせん)市場が発表する価格は、なんと「きらら397」が2万8千円以上です。コシヒカリ級では3万5千円を超え、新潟コシヒカリは4万円以上に達しています。
それだけ自由米の価格が上がっていけば、当然のことながらそれを買っている卸しや小売業者は、仕入れコストが上がるわけですから末端の小売り価格に反映せざるを得ないことになります。昨年末に発表された東京都の消費者物価のなかでは10月にまず何%か上がって、さらに10月から11月にかけて自主流通米の価格が6%上がったとなっています。共同通信社が調べた結果では、最大で30%の小売り価格の上昇があり、安くても7~8%は上がっている。「きらら397」でさえ、いまや10キロあたりの小売価格は5千2百円です。このコメは4、5年前に出た時は4千円くらいで、「安くて、おいしいコメ」ということで消費者の需要も広がったのですが、いまはササニシキ並みの価格をしています。
これから3月、4月にかけて国産米がなくなり、消費者価格ははね上がっていくことが予想されます。こうした経過を見た場合、政府が管理できないコメが増えていけばいくほど、コメ不足のなかでは価格がはね上がっていく。消費者の負担が増えていくということがはっきりわかります。それでも、なおかつ食管制度があるがゆえに、本来ならばもっと上がるはずのコメが、行政指導によって抑えられているという面があるのです。
自主流通米の市場は90年に開設して、昨年で4年目ですが、このコメ不足のなかで、昨年、取引は最初の2回おこなっただけで中止してしまいました。いま自主流通米市場は対前年平均価格の7%を上限にしていますから、毎回ストップ高です。やっても意味がないということで取り止めてしまいました。そのかわり食糧庁は、自主流通米を全農あるいは経済連が相対(あいたい)取引で卸す場合は、7%から10%を上限として売るように指導しています。こうして、現在、自主流通米はなんとか行政指導によって価格は抑えられていますが、ヤミ米については手の施しようがない。ヤミ米の量は、最近では150万トンから200万トン、自主流通米が350万トンから400万トン、政府米が100万トンから150万トンです。
そういうなかで、だんだん政府の管理を離れたコメが増えることによって影響を受けているのは生産者だけではなくて、消費者と加工、販売、流通業者なのです。
食管制度が形骸化してきた結果、その矛盾が消費者に近いほうにしわ寄せされていることから、あらためて食管制度の意義が確認されるのではないかと思います。
ところで、コメの世界市場はどうなっているでしょうか。いくら自由化しても、コメの世界の輸出量が充分あって、日本が好きな量だけ、好きな時に輸入できれば、それはそれで一定の問題の解決にはなります。しかし、コメの生産はアジア地域に約93%も集中しています。コメは、他の主要穀物である小麦や粗粒穀物のトウモロコシのように世界じゅうに散らばっているという状況ではないのです。小麦やトウモロコシも日本は大量に輸入していますが、仮にアメリカが不作になっても、オセアニアやヨーロッパでは豊作だということで、あまり世界の需給バランスに変化はありません。しかし、コメの場合は93%がアジア地域に集中しているため、アジア地域に局地的な気象変動による災害が起きれば、たちどころにコメの全体生産が減少していきます。
それは、近年の穀物国際価格の動向を見れば一目瞭然です。コメの国際価格は長いあいだ1トンあたり100ドル程度でしたが、74年には500ドル以上と、一気に5倍にはね上がる。その後、200ドル台に下がったと思ったら、また450ドルくらいに上がってくる。日本がコメの大量輸入を決定して以降、国際的なコメ価格はまた急騰してきました。アジア地域にコメの生産が特化しているということは、気象変動にともなう生産変動と価格変動をひじょうに大きくしているのです。
それとともに日本のコメ輸入という観点から考えた場合、日本人が食べているコメはジャポニカ系の丸いコメで、これは中粒種ないしは短粒種のコメです。それに対して、世界の生産量のなかで多いインディカ系のコメは長粒種です。世界の生産量をみると、インディカ米が全世界の生産量の90%を占め、ジャポニカ系はわずか10%、量的には3,400万トンにすぎません。そのうち、1千万トンが日本です。だから、残りの2,400万トンしか外国では作られていないのです。
さらに問題なのは、その貿易量です。世界で輸出あるいは輸入にまわる量は、インディカ米がわずか1千万トン、ジャポニカ米で200万トン、合計1,200万トンにすぎません。生産量の合計は3億4千万トンですから、貿易量の比重は生産量に対して3%前後にしかすぎないのです。しかも、日本人が必要とするジャポニカ系のコメの貿易量はわずか200万トンにすぎないということです。
それで、どういうことになるか。量的な問題では、たった1,200万トンくらいしか輸出にまわる量がないなかで、日本が200万トンもの大量輸入をおこなうとしたら、たちまち国際米価の急騰をもたらします。加えて、ジャポニカ米の輸出量は200万トンしかないのですから、いったいどんな価格になるかということは予想もつきません。
いまのところ政府が輸入しているのはタイを中心とした加工用米のインディカ系ですからまだ輸出の余力がありますが、仮に加工用米100万トンを入れたとしても、残り100万トンくらいはどうしてもジャポニカ米で輸入しなければ、日本人は今年の夏には食べるコメがないということになります。しかし、それだけの輸出をするコメがはたして世界にあるのか、ということが問題になってきます。
国際米価はどこで決まるかというと、タイが現在最大のコメ輸出国です。タイは、ふつうの年で400万トンを超える輸出をおこなっています。そのタイに輸出業者協会があり、120社ほど加盟しています。そのうちの十数社が集まって、毎週、来週の基準となる輸出米価を規格ごとに決めています。その指標となる米価が、日本がコメの輸入を発表した昨年秋以降の1月半のあいだに、なんと60%近く急騰しました。金額では、それまで1トンあたり250ドルくらいだったものが390ドルに上がり、いまは500ドル近い水準になって、市場最高値を記録するかもしれません。それほど国際コメ市場は底が浅いのです。
コメはアジア地域に特化していて、なおかつコメは多くの国の主食です。最大のコメ生産国の中国は、輸出はほとんどしておりません。自給でさえ、最近ようやくできるようになった。インドもそうです。インドは世界第2のコメ生産国ですが、通常の年では自分の国で食べるのが精いっぱいで、とても輸出するようなコメはありません。例外的に輸出しているのがタイとアメリカと、近年、ドイモイ政策によって急速に農業生産を伸ばしているベトナムです。この3国が、いま世界のコメ輸出の80%以上を握っているのです。逆にいうと、このタイやアメリカ、ベトナムが仮に気象変動などによる不作で輸出が止まったら、たちどころに世界に出回るコメの輸出量がダウンするという、変動の激しい市場です。
このように国際米価が上がっていくと、もちろん日本は困りますが、それ以上に困るのは、現在コメを輸入している日本以外の国々です。コメは、重量のわりにはひじょうに高タンパク、栄養の高い食品で、近年、アジア地域だけでなく、中近東、アフリカ諸国にまでコメの需要が増えています。しかし、中近東やアフリカはまだコメの生産がほとんどありませんから、現在タイやアメリカ、ベトナムが供給しています。
ところが、このように国際コメ価格が上がったら、当然、既存のコメの輸入国にも大きな影響を与えます。アフリカにしても、中近東にしても、アジアにしても発展途上国ですから、そんなに外貨がありません。日本の輸入によって国際価格が上がると、外貨不足のなかでは輸入する量を減らさざるを得ない。それは、その国内のコメの供給不足、場合によっては栄養不足や餓死に直結していきます。そのような重大な国際問題を、いま日本は引き起こしているのです。これは、まだそれほど注目されていませんが、これからかなり国際的な批判が高まってくるものと思われます。
もうひとつは、安全性の問題です。昨年末、日本子孫基金協会という団体がアメリカ、オーストラリアなど全世界からコメを買い入れ、横浜国立大の研究所に持ち込んで農薬の検査をしてもらいました。その検査によると、とくにアメリカのコメに日本で使われていない農薬が入っていました。しかも、その数値は、コメについては日本で許可されていない農薬ですから、果物の基準値の3倍とか4倍という数値が出たと発表されました。
また、子孫基金協会はいろいろな実験もおこなっています。たとえば、日本米のコシヒカリを左に置き、右にアメリカ米を置いて密封容器に入れ、そこヘコメの好きなコクゾウムシを放しました。すると、コクゾウムシの多くは日本米のほうに集まって、アメリカ米にはあまり寄りつかない、という結果が出たのです。これは何を意味するかといえば、アメリカ米には殺虫剤がかかっているから寄りつかないのです。日本米は殺虫剤を使っていない、あるいは量的にアメリカ米より少ないから、日本米のほうにコクゾウムシが寄ってくるのです。アメリカ米は虫も食わないというわけです。
では、タイはどうか。91年に調査しましたが、タイは農薬を撒くだけの金がないから、あまり使っていません。だから、タイの米は安全です。
一方、オーストラリアのコメは、日本とちょうど気候が逆ですから、一時期コメ不足がはっきりした昨年の夏の段階で、オーストラリアと契約栽培を結んだという新聞報道がありました。これはあとで、政府は否定しましたが、そういうことはありうる話です。オーストラリアは日本の秋に田植えをしていますから、春に新米が出てきます。そんなことで、オーストラリアのコメを買うことは必至だと思います。しかし、日本子孫基金協会が以前調べたデータでは、アメリカ以上に有害な農薬が検出されました。ところが、日本でそのニュースが出て以降、オーストラリアは気をつけたのでしょうか、最近のコメではいっさい有害な農薬は出ていないことになっています。
では、なぜアメリカでこのように殺虫剤が大量に使われているのか。アメリカではコメを稲作農場の貯蔵庫にモミで保管しています。ところが、屋根と壁とのあいだに、通気上若干の隙間があり、そこから虫が入ってくるのです。それを避けるために、貯蔵庫に入れる段階で殺虫剤を直接振りかけるので、大量に使われた殺虫剤は精米にしても残留します。アメリカ人のコメを食べる量は少ないので殺虫剤を使っていてもさほど影響はないでしょうが、アメリカ米にはそうした安全性の問題があります。
さて、日本のコメ部分開放による輸入は、消費量の4%から8%、量的には40万トンから80万トンという大量になります。はたして外国には、それだけの安定的な供給力があるのでしょうか。
まずアメリカの場合、生産地の大部分はカリフォルニアとミシシッピー川の南部諸州アーカンソー、テキサス、イリノイなどに集中しています。しかし、日本人が食べる中粒種ないしは短粒種は、カリフォルニア地域くらいしか生産されていません。もちろん、南部諸州でも生産してできないわけではありませんが、もともとジャポニカ系の中粒種、短粒種は温帯地帯のコメであり、南部諸州のように熱帯に近い気候には合わないのです。
タイ産のコメのほとんどが長粒種であるということも、じつはそういう理由があります。日本のコシヒカリをタイで作ってバンコクの日本人商社マンなどが食べています。実際にそのコメを扱っているスーパーマーケットヘ行ってみましたが、品質的にはきわめて悪い。見た目も悪く、食べてみてもあまりおいしくない。亜熱帯地方ではジャポニカ米の栽培は合わないのです。
アメリカで中粒種、短粒種のジャポニカ米を供給できる唯一といってもよい、カリフォルニア州のコメの生産事情はどうでしょうか。飛行機で上空を飛ぶと、カリフォルニア州に入った途端、まったく黄色い大地です。土が赤茶けた乾燥地帯です。その乾燥地帯がどのようにして大きな農業州になったかといえば、州の東部にシェラネバダ山脈があって雪がたくさん降る。その雪解け水を延々と運んでダムをあちこちに造り、さらにそのダムから水を持ってきて、この一帯をコメ地帯にしたのです。
ところが、5、6年前から、異常気象の影響なのか、冬に降る雪が減って、ダムの貯水量がどんどん低下しています。私が3、4年前に訪れたとき、ダムの貯水量は30%くらいでしたが、それが改善されたというニュースをいまだに聞いておりません。
そういう状態のなかで、まず都市に水を回す必要があります。その結果、もっとも多くの水を使う稲作農家には、水がカットされていきます。その結果、やむなく20%とか30%の減反を強いられている。それがカリフォルニアの稲作の現状です。
アメリカは「日本に対して100万トンくらいいつでも簡単に輸出できる能力がある」と豪語していましたが、実際に輸入契約交渉に入ったら、どうですか。いまだにカリフォルニアとのあいだではコメの大がかりな輸入契約はまとまっていません。コメがないのです。もちろん、なんとか自由化にもっていくために国内に回る量を減らしてでも日本に回すようなことになるかもしれませんが、構造的には水不足のなかでアメリカにはそんな輸出能力はありません。
もうひとつの輸出大国であるタイはどうでしょうか。タイにも91年、1ヵ月にわたって北大のグループで調査しましたが、アメリカ以上に水不足は深刻です。
タイには、バンコクに注ぐメナム川が流れています。この流域沿いに大きなコメ地帯の中央平野があります。東北部にもコメ地帯はありますが、ここはもとは山岳の密林地帯で、木を切り倒して入植してきました。したがって、ひじょうに地力が低くて、コメは年1回しか穫れず、なおかつモチ米が主体です。そのモチ米は東北部の農家の人たちが食べている自給用のコメで、ほとんど輸出に回りません。
タイのコメは11月から12月ごろに収穫する雨期作米と7月、8月ごろに収穫する乾期作米に分かれますが、大都分は雨期作米です。雨期作米はほとんどが天然の雨、天水に依存したコメです。だから雨が降ったら田んぼに苗代を作って苗を作る。次の雨が降って水が溜まったら田植えをする。たまたま雨が来なかったら、せっかくの苗が長くなりすぎて使えなくなるので、もういちど苗を作り直す。そういうお天気まかせの生産をしています。
それに対して「灌漑をして安定的な供給をすればいいではないか」といいますが、この中央平原は冗談で「平(タイ)ランド」と呼ぶほど、まっ平らな地形です。そのように上下差がないので、この国はダムを造るのがひじょうにむずかしい。しかも上流部はかつては森林地帯でしたが、日本などが大量に木材の輸入を進めて以降、大量伐採がなされていて水源酒養能力が失われているので、雨が降ればそのときは勢いよく流れますが、貯水能力がないため、この国も構造的な水不足をきたしています。
昨年は雨が不足で都市の水の供給は15%削減を強いられています。この結果、昨年の乾期作、これは灌漑用水を使って人工的に水を供給することによって作付けをしているのですが、「乾期作米の収穫量は通常の年の20%から30%は減少するであろう」と、新聞で報じていました。このように、タイにも水問題があって、いくら日本が輸入を拡大したくても、それにこたえられるだけの量を確保できないという問題を抱えています。
この二大国でコメの輸出量の70%くらいを占めていますから、今後ともコメの安定的な輸出は期待できません。加えて、これから世界の消費はどうなっていくのだろうかという見通しをしたところ、フィリピンの国際コメ研究所で試算した結果では、西暦2025年には世界のコメ需要は今年より70%増加するとしています。なぜそうなるかといえば、コメの生産国イコール消費国はアジアです。そのアジア地域は、現在は貧困のなかでコメを食べたくても食べられない地帯が多い。今後、国民所得が上がっていけば、コメの需要はどんどん増えていくだろう。それが70%増加するという推定の根拠です。
その半面、コメの生産は世界的に増やす余地がどれだけあるのか。農地自体が、砂漠化の進行のなかで減少しています。毎年、日本の耕地面積に当たる約500万ヘクタールくらいの耕地が砂漠化によって消えているという推定があります。なおかつ、熱帯雨林の伐採によって、いちど木を切ってしまったら、あとに残るのはラテライト土壌という赤茶けた土で、すぐ乾燥して風化してしまうような土です。
熱帯林は三層構造になっていて、いちばん下に低い木、真ん中に中木があって、その上に高木があります。雨が勢いよく降っても、三層の樹林の中で下に落ちる段階ではポタポタとしか落ちないので表土は熱帯林があることによって維持されていますが、もともとこの表土はひじょうに薄いのです。そういうなかで、熱帯林を切ってしまったらどういうことが起きるか。もともと薄い表土を雨が直撃すれば、たちどころに表土は流れてしまいます。そういうことで、どんどん耕地面積が減ってきています。また、耕地になるような土地もなくなってきています。そういうなかでは、コメにとどまらず、農産物の需要は今後とも増えていきそうな状況ですから、海外市場に主要食糧を依存するということは日本の国内をとってみても問題があるし、農産物の輸入価格を高騰させるという点でもたいへん問題があるわけです。
では、市場開放がおこなわれることになった日本は、これからどうすべきなのでしょうか。
自由化の問題はなにも今回のウルグアイ・ラウンドにはじまったのではなく、1960年代から主要な農林水産物が相次いで自由化されてきました。記憶の新しいところでは92年の牛肉、オレンジの自由化があり、そのほかほとんどあらゆる品目がこの20年のあいだに自由化されています。非自由化品目として残っていたのは、わずか20品目足らずです。そのなかに米麦やバター、脱脂粉乳、澱粉(でんぷん)、雑豆(ざつまめ)などが入っていたわけです。
この自由化政策の結果、日本の食糧輸入量は顕著に増えてきました。食糧自給率は品目によって大きな差がありますが、野菜も、いまや10%くらいを輸入に依存しています。かつてタマネギという大きな品目が端境期(はざかいき)を中心に輸入されていました。現在はアスパラ、カボチャ、ブロッコリーなどの輸入が多い。カボチャなどは日本のタネ屋さんがタネを持って行き、ニュージーランドやメキシコでエビスカボチャを作っています。ブロッコリーが年じゅう店頭にあるのは、スーパーマーケットがアメリカや台湾と契約してどんどん輸入している結果です。
野菜の輸入は、このように目に見えないところでどんどん伸長しています。そのように、いろいろな品目でまさかというようなものが輸入に依存しています。その結果、食用農産物の総合自給率は1956年の91%が、現在は67%に落ち込んでいます。穀物自給率も1960年の82%が、現在は29%に落ち込んでいます。
一方、供給熱量自給率は、通称カロリー自給率と呼んでいます。これは、家畜が食べる飼料のカロリーもすべてカロリー計算をしてそれに食用農産物の自給率を加えて、それを分母にして国産の割合を示したのが供給熱量自給率、すなわちカロリー自給率です。これは、1991年の数字では46%に落ちています。すなわち、日本人が必要とする平均2,600カロリーのうちの1,400カロリーくらいは、じつは外国に依存しているという実態なのです。
では、こういう状態は先進国ではどうなのか。アメリカは113%、フランスは143%、西ドイツ94%、日本に似ているイギリスでさえ73%と高い。日本だけが先進国の中では46%と半分以下です。しかも、その割合は70年当時60%あったのが、いまでは46%まで減らしている。そのように大きな減少があります。
この大量の輸入量は、現在でも世界最大です。主要国の農産物の純輸入額の推移をみると、日本はすでに20年ほど前から世界第1位で、第2位以下との差をますます広げています。
このように、日本はいまや農産物の世界最大の輸入国です。これに加えて、これからコメ、あるいは乳製品、雑豆、澱粉といったものが入ってくる。牛肉も、現在、関税率は50%ですが、94年からは40%になる。そうすれば、ますます国産牛肉は追いやられます。
根釧原野(こんせんげんや)にパイロットファーム、新酪農村ができて20年になりますが、最近どんどん離農が増えています。離農が増えているいちばんの原因は、もちろん乳価が10数年前の数字に下がったということもありますが、乳価の下落を埋めていた子牛の販売収入が激減し、最高時の10分の1にまで落ちています。なぜかといえば、ホルスタインの雄子牛を買って肥育する農家が、輸入牛肉の増大のなかで国産の牛肉価格が低下していますから、経営的に成り立たないということで子牛を買うのを控えているからです。それが酪農家の販売する子牛価格の暴落となってあらわれており、酪農家の経営を直撃しています。他方で、彼らは何千万円という負債を抱えていますから、いまの乳価と牛肉価格の低下のダブルパンチのなかでたいへんピンチになって、離農することもできない状態もあります。
そうした危機は、単に農家だけにとどまりません。北海道でとくに自由化の影響が大きいのは、馬鈴薯(ばれいしょ)澱粉、牛肉、乳製品、それにコメです。そうした、北海道に関係した農産物が本格的な自由化段階に入ってくることになれば農家経済を大きく圧迫し、ひいては北海道の経済にも広範な影響を与えるものと思います。
農業を地域経済や国民経済のなかできちんと位置付け、保護していくことの必要性は、単に農家の生活や経営を守るだけでなくて、消費者に安定的で安い、しかも品質の良い農産物を供給するという意味でも、また地域経済を活性化する意味でも、ますます必要になってきています。
これからは、ガットをめぐる国際情勢が大きく動いていきます。しかし、そのなかでも最終的には国の決定権までは奪うことはできません。仮に国際的にひとつの取り決めがなされたとしても、それを実際におこなうのは日本の政府です。
げんに、アメリカはガットをいまだに批准していないのです。そのアメリカが、ガットを盾にしてものを言っているのは、たいへんおかしなことです。さらに、アメリカはガットの条項の中にウェバー条項といってアメリカが現在農産物の価格支持をしている十数品目については、輸入制限が継続してできるようにしています。そのように、アメリカはかなり手前勝手なことをやっているわけです。
たしかに、ガット・ウルグア・ラウンドは国際的な取り決めではありますが、日本の国民経済、地域経済ないしは食糧の安定供給を守るうえで必要であれば、例外なき関税化を仮に受け入れるといっても、先延ばしをしたり、再交渉したり、あるいは高率関税を掛けて保護したりすることは、やってやれないことではないと思います。それを決めるのは、すべて国民世論です。だから、国民各階層のなかに農業を守り育てるコンセンサスをあらためて広げていくことが必要な時期に、いま、きているように思います。
(北海道中小企業家同友会経営者大学の講演から、
一部加筆、要約したものです)
1943年東京生まれ。北海道大学農学部農業経済学科修士課程終了、同博士課程中退。現在、北海道大学農学部教授(農業市場学講座担当)。農産物の市場・流通問題を研究。特にコメ、青果物を対象とした業績が多く、最近は(1)日本、韓国、タイを対象に、コメの管理制度の比較研究、(2)有機農産物の流通に関する研究にも取り組んでいます。近著に「自由化にゆらぐ食管制度」(責任編集)「経済摩擦と日本農業」(共編著)「米流通・管理制度の比較研究―韓国、タイ、日本」(共編著)などがあります。