ウェブマガジン カムイミンタラ

1985年01月号/第6号  [ずいそう]    

角のない牛
宝賀 寿子 (ほうが としこ ・ 版画家)

丑年にちなんで牛を描きに行き、初めて乳牛に角がないことに気づいた。これまでなんども本物を見てるし、絵本や写真を見てきたはずだ。それらに角があった気がするが確信持てず、母や会う人ごとに問うても首をかしげるばかり。日本では角は禁止されている、乳牛には角がはえない、牡のみはえる説もでる。巷ではペットや野生生物に関する報道や一般書が多いのに、家畜のは少ない。牛の絵はたいがい角がある。恥ずかしながら、私は高校のころまで牝は成年になると鶏の卵みたいに自然に乳が出るものだと思っていた。

それではと本で調べ、専門家に電話で尋ねた。それらを要約すると、牛は脊椎動物門哺乳動物綱偶蹄目反芻類のウシ科で3属あり、おおよそ雌雄とも角がある。ホルスタインは雌雄とも角がはえるが、成長してから切ると痛みや出血、傷の治りなど問題が多いので、生後3ヶ月ほどに焼きゴテかかせいカリで成長点を処理する。法律で決められてはいないが、多頭飼育上、管理の便から角をとりのぞく酪農家が多い。

肉牛はどうかと会ったことのない母の従兄の家に行く。白老で黒毛和種を飼っている。立派な角を持つ。冬のみ畜舎で、あとはほとんど山で放牧し、種牛以外、牡は肉質向上のため去勢するが、自然のまま繁殖させている。野生では角なしでは生きられないという。五日間滞在し、戻ってからも傍観者ながら農畜産業の問題点について考えた。

版画を始めて10年目。直感も大切だが、対象を素直に熟視して表現しよう、作為はそのあと。はじめはただ夢中だった。見ること作ることから好奇心・疑問が生じ、調べ体験することになり、事件・現象・存在に対する認識法が変わってきた気がする。常識や発表されたものに対しても間い直すこと、些細なものにも含む意味、自分も見えてくる。

視野が広がり、描く楽しさ、手段が拡大する一方、こだわり過ぎたり、自分への疑間・限界から表現することに戸惑い、陥むことになる。版画である必要はあるのか、そして私は――牛と角は世界と自分 あってもなくてもなくても地球は回る 人が牛の立場なら角の存在誰決める――

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