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1994年05月号/第62号  [特集]    美唄市

科学的、普遍的視野から 日本最大のマガン寄留地と周辺農家の暮らしとの共存共生の道を求める
宮島沼とマガン 美唄市

  
 北海道美唄市郊外にある宮島沼は、日本最大のマガンの寄留地です。ここ数年とくに飛来数が増し、昨年4月には3万5千羽を超え、今年は4万羽に達するのではないかと予想されています。そこで問題となったのが、周辺で暮らす麦作農家におよぼす食害と一時期大勢の人が押し寄せる観光公害です。地域の人の暮らしを守り、天然記念物マガンの貴重な寄留地を守る最善の方法はないか――。農家や一般市民、学識経験者、隣接自治体を含めた行政関係者らが『宮島沼を考える会』を結成。1年間の検討を重ねて、先ごろその「報告」をまとめました。それは、人間の生活と野生生物環境維持のあり方に科学的、普遍的視野から指針を求めようとしたところに大きな特色があります。

夕日の空を埋めて迫ってくるマガンの編隊は感動的

長い冬の眠りから覚めてまもない早春の夜明け―。ひと群れ、ふた群れと思う間もなく無数のマガンの群れがけたたましい鳴き声と、すさまじい羽音をとどろかせて一斉に飛び立つ。その数は、じつに35000羽。付近の水田地帯で稲の落ちモミ(落ち穂)をついばんで採餌するために飛び立つのです。そして午前9時ごろ、三々五々、水面に帰ってきて休み、午後3時ごろふたたび採餌に出かけます。

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「とくに壮観なのは夕方、帰ってくるときです。夕日がことのほか赤く見えだす時刻、東や南の空のはるか彼方に、最初は点のように見え、まもなく煙のように見えたものがみるみる大きく広がって棹(さお)になり、鈎(かぎ)になって迫ってきます。耳をろうするばかりの鳴き声と羽音が、周囲の音のすべてを掻き消します。やがて、規律正しい隊列を組んでいた家族連れのマガンが、頭上で隊列を乱して水面に降りてきます。その間、約20分くらい。あとは、あかね色の残照を映す沼が黒い島影に埋め尽くされ、しばらく鳴き交わしたあと眠りについて静寂に戻ります」と話すのは、2年前まで美唄市内で教職のかたわら宮島沼のマガンと野生生物の観察に半生を投じ、いまも調査、観察をつづけている草野貞弘(62)さん。かつて美唄市内で教鞭をとっていた星子廉彰さん(当別町在住)とともに、全国組織の「雁を保護する会」の会員です。

約30ヘクタールの小さな沼に35000羽のマガンが逗留

宮島沼(国所有)は、美唄市街から約14キロ西へ行った大富地区の水田地帯にある面積約30ヘクタールの小さな沼です。この地域は1893年(明治26)ごろ新潟から移住してきた宮島佐次郎という人の手で開拓され、その農地にあった沼をいつしか「宮島沼」と呼ぶようになったのです。沼は、最深部でも2メートルほど。大半はハクチョウが首をのばすと沼底の水草の根を掘り出せる深さで、水鳥には絶好の採餌、休息の場です。また、沼が浅いため水温が高く、付近の稲作農家にとって田植え時の灌漑用水としても大切な沼です。

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近くには親子沼、手形沼のほか、石狩川の水路が切れてできた三日月湖などもあり、マガンをはじめ多くの水鳥は有史以前からこの地帯を渡りの中継地に利用していたと思われます。しかし、明治以来の開拓の進展で渡り鳥の数は少なくなり、草野さんの調査では、マガンが国の天然記念物に指定された1971年(昭和46)の飛来数は約1千5百羽程度でした。保護鳥となって銃猟が禁止されてからはしだいに回復しはじめ、1979年は4千5百羽に。そして84年には10000羽を超え、86年に20000羽、91年に30000羽を超えるようになりました。昨年春の渡りでは3万5千6百羽にまで増え、今年は40000羽に達するのではないかと予想されています。秋にも、春のほぼ半数が飛来します。ほかにハクチョウが数千羽、カモ類なども多数寄留します。

雁行や鳴き声に旅愁を誘い 古代から民俗に密着した鳥

マガンはガンカモ科の旅鳥で、現在知られている範囲では東シベリアのアナドゥーリ低地帯で繁殖。秋、約4000キロを南下して、9月末から約1ヵ月間宮島沼で羽を休め、苫小牧市のウトナイ湖を経て秋田県八郎潟に立ち寄り、宮城県伊豆沼周辺で冬を過ごします。翌年3月、太陽の高度を感知して秋の渡りの経路を逆行して宮島沼に立ち寄り、5月3日ごろふたたび繁殖地の東シベリアに帰って行きます。

マガンは雁(がん)、かり、かりがねとも呼ばれ、体長は70センチ、翼の長さは40センチ前後。額に白い帯、成鳥は胸に黒い横縞が点々とあります。

イメージ(宮島沼のマガン生態を30年以上も毎日観察している草野貞弘さん)
宮島沼のマガン生態を30年以上も毎日観察している草野貞弘さん

「マガンはハクチョウなど大型の鳥と同じように家族のきずなが強く、採餌のときも飛ぶときも、つねに家族単位で行動します。飛び立つとき、家族の長が首を横に振って合図をし、家族みんなも首を横に振りあって同意します。1羽でも同意しないものがいると飛び立つのをやめてしまいます。ハクチョウは首を縦に振って合図する、という違いがありますね」と草野さん。渡りの時期が過ぎても、家族の中に怪我や病気フ鳥がいると、その鳥が回復するまで待ちつづけます。以前、宮島沼でハクチョウやマガンに鉛中毒が続発したときは、家族がいつまでも死骸の側を離れず旅立ちの時をのがしてしまうため、いち早く死骸を取り除いてやろうと沼の周囲を探し回ったことがあるともいいます。

イメージ(宮島沼を飛翔するマガン)
宮島沼を飛翔するマガン

「昔は日本全国、どこの地域でもマガンの渡る姿が見られ、かつては関東の利根川流域もマガンの寄留地でした。万葉集には、新羅(しらぎ)(朝鮮)に派遣された使いびとが、異国の地でマガンの姿を見て望郷の思いを詠んだ歌があります。源氏物語にも、常世(とこよ)(理想郷)から渡ってくる“かりがね”の和歌が詠まれています。マガンの編隊を組んで飛ぶさまを「雁行(がんこう)」といい、古い童歌にも謡い継がれています。東北地方の屋並みに「雁木」という呼び方があります。また、和菓子の「落雁(らくがん)」は、食べるときパラパラとこぼれ落ちるのをマガンが降下する様子になぞらえて付けた名前。そのほか、日本の民俗にマガンにちなんだ言葉が数多くあり、古くから日本人の生活に密着した鳥だったのですね」と草野さん。

北海道猟友会が銃猟を自粛し安全な、水鳥の楽園に

つい半世紀前まで日本全国に寄留していたマガンは、エサ場の水域が開発によって失われ、現在の越冬地は伊豆沼周辺だけに限られてしまいました。近年、日本で越冬するマガンの数はほぼ2万数千羽といわれます。ところが、宮島沼の飛来数はその数を大きく上回っています。「おそらく、朝鮮半島や中国大陸で冬を過ごしたマガンが渡って来るのでしょう」と草野さんは推測しています。しかし、宮島沼にこれほど多くのマガンがやって来るようになったのは10年前ごろからです。

イメージ(数家族はかぎ型に並んで飛ぶ)
数家族はかぎ型に並んで飛ぶ

「30000羽を超えるまでになった大きな要因は、北海道猟友会が銃猟を自粛したため」と草野さんは指摘します。1989年の春、宮島沼で33羽のハクチョウが鉛中毒をおこして死に、大きな問題になりました。沼底の水草をエサとするハクチョウは、消化をたすけるために小石を食べる習性があります。しかし、宮島沼周辺にはほとんど小石はなく、沼底に沈んでいる散弾の鉛粒をわざわざ採取するのです。マガンは天然記念物なので禁猟ですが、カモ類その他の鳥は猟をすることが許されているのでレジャーで銃猟をする人も多く、鉛散弾が散らばっています。そこで、北海道猟友会はその年の秋から宮島沼での銃猟を自粛することにしました。宮島沼が安全なエサ場になったことを感知した水鳥たちは一気に増えだし、水鳥の楽園となったのです。

減反政策による麦への転作がエサ場を狭め、農家に食害を

すると、また新たな問題が発生しました。そのひとつは、農作物の食害です。

マガンの主食は稲の落ちモミ、副食に青草を食べます。宮島沼周辺は3000ヘクタールにもおよぶ水田地帯。秋の収穫後、春の耕作前の田んぼには落ちモミが豊富です。「一羽一日の給餌量は約130グラム。30000羽が1カ月に食べる量は120トンにもなります。カモ類も穀物を食べますから、その量は膨大な数量です」と草野さんは試算します。

イメージ(周辺農家の坂本憲市さん)
周辺農家の坂本憲市さん

「落ちモミを食べてくれているうちは、まったく問題なかったのさ。被害を受けているのは、麦の芽を食われるため」というのは、宮島沼の近くで農業を営んでいる坂本憲市(58)さんです。宮島沼周辺の農家は154戸。隣接の北村にも120戸の農家があります。本来は純米作農家でしたが、国の減反政策によって麦への転作を強いられ、13町歩ほどが麦を作付けしています。秋まきの麦は成長していて回復力がありますが、春まき麦は短く、根こそぎ抜かれるので被害が大きいのです。「マガンの食害を受けるので、この地域は減反しないでくれと掛け合ったが、聞き入れてくれなかった」といい、ここでも無配慮で画一的な減反政策が農家を苦しめ、貴重なマガンのエサ場を圧迫していたのです。

観光公害とのダブルパンチ、行政の対応にも反感が増幅

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もうひとつの被害は、観光公害といえるものです。天然記念物のマガンが大量に飛来し、ハクチョウをはじめヒシクイ、カモ類など多くの水鳥が観察できることが知れわたると、愛鳥家などが大挙してやって来るようになりました。昨年の春はじつに22000人の入り込みがあったと推計されています。「宮島沼周辺は未舗装の狭い道路しかなく、駐車場もない。春、秋とも耕作や収穫時期で機械の移動など農家のもっとも忙しいときに、自家用車が道路の両側を占拠してトラクターも通れない状態になり、肥料を散布してある田や畑にも無遠慮に入り込んで来る」と、マナーの悪さが農家の人たちを憤慨させていたのです。

「麦の被害にしても、2、3割程度の減収であったり、収穫時期が遅れるといった程度。それも気象条件その他の原因も考えられるので正確に推計することはできない。実被害はそれほど大きいものではないが、精神的な打撃が大きいんですよ」と、坂本さんは農家の心情を訴えます。

イメージ(夕日に映えるマガンの美しさは感動的)
夕日に映えるマガンの美しさは感動的

さらに、農家の人たちが反感を抱いたフは、行政の対応のまずさです。農作物の被害を訴えると農政課へ回され、マガンの対策を訴えると天然記念物なので教育委員会の所管だといわれる。観光公害に対策をといえば商工観光課へとたらい回しをされ、責任の所在が不明確。そして、地域住民の意向を確認せずに鳥獣保護区に指定しようとしているなどの声を聞いて「許せない」という気持ちになったのです。

「役所が対応してくれないのなら、自分たちで銃を撃って追い払おう」とまでの意見も出て、3年前、周辺農家3連合会全員で『宮島沼銃猟禁止区域指定特別対策協議会』を結成するほど感情的な対立がみられるまでにいたりました。

人と自然の共生へと立ち上がり まず役所内に横断的連絡会を

「たしかに、行政の対応の遅れがありました」と、市企画広報課(郵便072-0026 美唄市西3条南1丁目 電話01266-2-3131)主幹の高橋邦夫さんは率直に認めます。

そこで昨年春から、地域住民の暮らしと自然との共存共生に向けて立ち上がったのです。昨年3月、市民に問題意識を提起して関心を高めようと、シンポジウムを開催しました。しかし、直接被害を受けている地域の人たちにとって、目に見える解決策が得られないため不評でした。

「農家の人たちの第一の不満は、行政側のたらい回しにあったものですから、まずその解決に着手しました。昨年4月、企画広報課が窓口になって市教育委員会、農政課をはじめとして関係7課による『宮島沼に関する連絡会』を設置して、総合的に統制のとれた対策を講じようと庁内体制を整えました。そして、宮島沼やマガンに関連するすべての問題は、企画広報課が窓口になって対応できるようになったのです」と高橋主幹。

そして、昨年4月30日、周辺農家をはじめとした市民各層の代表者、学術経験者、農業団体、近隣町村の代表がひとつのテーブルについて本音で話し合う『宮島沼を考える会』を発足させたのです。

感情的対立を解決し、調和ある共生を探った『考える会』

この会の座長を務めたのが、タンチョウの研究者で市内の専修大学北海道短期大学教授の正富宏之さんです。

「すでに周辺農家と市との対話もほとんどなくなっていて、農家の人のイライラがつのっていました。この感情的対立を解決しなければ話の整理は進まないだろうというのが、私の最初の気持ちでした。そのうえで、宮島沼をどのように保護していくか、野鳥と地域の人の生活をどのように調和しながら維持していけるかという普遍的な問題の解決を目指しました」と正富教授はいいます。

対立点のもっとも大きな問題は、被害補償の要求でした。しかし、ここで野生生物の被害補償をするとなれば、道内でもっとも大きいエゾシカをはじめクマ、キツネその他の被害補償問題にもおよび、一地方自治体単独で解決できるような問題ではありません。

イメージ(『宮島沼を考える会』座長を務めた 正富宏之教授)
『宮島沼を考える会』座長を務めた 正富宏之教授

「伊豆沼のように周辺3カ町村で補償しているケースはあります。しかし、鳥は広域的に広がるため近隣町村全部にかかわる問題なので、とてもすぐに足並みがそろうとは思われません。それに、国内でもコンセンサスを得られていない問題なので、こうした大局的な課題は上部機関の解決に待たざるを得ない。農家の人も、野生生物との接点でトラブルが起きた場合は、それを防除するための自助努力をしてくださいと、理解を求めました」ということです。「野生生物が一定の地域に集中して軋轢(あつれき)が生じるのは、開発など人間の活動がつくった結果なのだが、やはり人間が手を入れて管理せざるを得ない。残念ながら、人間と野生生物の関係はそういう状態にまでなっている」と正富さんは話します。そこで、「国が天然記念物に指定して保護することになっている野生生物によって被害を受けても、その共済制度がまったくないというジレンマはあります」と高橋主幹は農家の気持ちを思いやりながらも、補賞問題は将来の課題に残すことにしました。

次は、観光公害への対策。これには、道路と駐車場などを整備してほしいという、ある意味では当然の要求があります。しかし、大きな資金のからむ問題ですし、一方ではできるだけ自然の状態を保つことを考えなければなりません。さらに、来訪者への対応についても観光対策の立場ではなく、あくまでも自然環境の保護、人間と野生生物との共存共生のあり方を求める視点で1年間の論議をつづけ、今年の4月初旬、その結論をまとめて市長に『報告書』を手渡しました。

“三方一両損”の考え方でそれぞれに協力しあう

報告の内容は、応急対策から将来への方向づけにおよびますが、緊急な具体策は麦畑での防除対策です。別の場所にエサ場の草地を確保して被害の分散をはかるため、石狩川河川敷の雑草地を利用しようということになりました。市は論議の結論を待たずに北海道開発局に協力を求め、今年4月早々融雪剤を散布して、麦畑よりも先に草地を確保しました。また、防除方法は、釣り糸のテグスを張ると効果が期待できそうなので、その資材を全麦作農家に無料配zしました。農家はテグスを張る労力を提供して自助努力をする。これには一般市民も奉仕することが期待されています。

農家からもっとも要求の強い被害補償については、被害実態の掌握がむずかしいため長期的に科学的データを集積して分析する。そのため、市の試験圃場での実験を継続してもらうことにしました。

観光客など来訪者への対策と環境整備についても、自然保護と地元生活者重視の姿勢がつらぬかれています。駐車場については、沼の近くに新設するスペースはありますが、小さな沼岸にそうした人工物を設置することは利便性はあっても景観上望ましくない。野鳥の観察は、その背景や雰囲気など田園情景と一体で楽しむものであるとして、簡易駐車場を確保するにとどめることにしました。

一方、農作業の支障となる来訪者に対しては、沼の南東にある大富会館裏と南岸あるいは東側の一部に限定して誘導することにしました。その交通整理には、専修短大の学生がボランティアで担当してくれるようになり、事前に研修を受けて観察者の質問にも答えられる知識を身につけました。

「こうした当面の解決策は、周辺農家も自助努力をする。来訪者も一定の制限を守る。そして行政側も対策費用などを負担する。いわば“三方一両損"の裁定にそれぞれが協力しあう。その根底には、すばらしい自然は地元の人たちの努力と負担によって維持されているのだから、みんなが相応の援助をしようという合意点がありました」と正富教授。

イメージ(白鳥やカモ類も1万羽以上が寄留する)
白鳥やカモ類も1万羽以上が寄留する

宮島沼では、現在、市が民間の大富会館を借り上げて観測場に利用しています。しかし設備が不充分なため、近い将来ネーチャーセンター設置の必要性が論議されました。とくに、伊豆沼周辺では農業用水や生活雑排水、鳥のふんなどによる水質の悪化、一極集中によるウイルスの感染などが心配されています。そうした伊豆沼をはじめ、ナベヅルの本州での唯一の越冬地である山口県熊毛町の八代盆地などの例にみられるように、野鳥の寄留地はますます狭められ、広い視野での対応が求められる段階にきています。そこで、このセンターでは野鳥の動態や寄留地分散の方法、自然環境の変化などをモニターリング(継続的調査)する一方、集積された情報を農家や地域の人の生活に役立つよう還元していく考えです。

周辺で生活する人の痛みを知り自然への憧憬と感動の場を守る

イメージ(春季年度別最高羽数)
春季年度別最高羽数

「マガンは、アジアの全地区で減少していますが、なぜか日本だけが10数年前の10倍というほど急激に増えています。繁殖地はロシアなどが責任を負っていますが、越冬地の重要な地点は伊豆沼周辺であり、渡りのエネルギーを蓄える最後の寄留地が宮島沼なのですから、極東の、というより世界のマガンの生息に日本が全責任を負っているといっても過言ではありません。その認識をもってマガンとの共生を考えることが大前提でなければなりません」と正富教授は強調します。

「自然を守ることは、破壊される側の痛みを理解し、人間の側から譲歩していかねばならない。それは、被害を受けている農家の立場に対しても同じです。1年間丹精をこめて栽培し、たった1回しか収穫できない作物を食い荒らされることの痛みは、農業の経験のない人にはわからないことですが、そこを理解することから自然保護の問題解決にあたらねばなりません」と高橋主幹。

イメージ(市企画広報課主幹 高橋邦夫さん)
市企画広報課主幹 高橋邦夫さん

「自然保護の出発点は、まず感動です。それがなければ、失うものに対して心の痛みを感じることはできない。宮島沼で一斉に飛び立つマガンを見て、ワーッと思わず叫ぶ。その感動なしに保護を語ってもほんものではないと思います。宮島沼は、そうした自然への憧憬と感動を体験する場として利用したいものです」と正富教授は語っています。

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