ウェブマガジン カムイミンタラ

1994年09月号/第64号  [ずいそう]    

猛暑の夏に思う
チカップ 美恵子 (ちかっぷ みえこ ・ アイヌ文様刺繍家)

7月末から8月初旬まで、仕事で東京へ行っていた。夏本番のころだから、暑さを覚悟しての上京だった。

東京での20年間にわたる生活にピリオドを打ち、札幌に暮らして、すでに6年がすぎている。北海道の快適な気候に、体はすっかり馴染んでしまった。そんないまは、東京の真夏の暑さは少々体にこたえるのである。それでも、何とかそれを乗りこえて札幌に戻ってきた。札幌に戻れば、夏とはいってもそこは東京の暑さと暑さが違うと思っていたのだが、なんと東京の暑さどころではない。昨年の冷夏から一転して、気象庁はじまって以来の全国的猛暑だという。

札幌に引っ越してきたとき、友人にもらった古い冷蔵庫は夏のはじめに壊れてしまった。そんなわけで、この暑さの中、ただひたすら水道水の冷たい水と、その水で冷やした果物で涼をとっている。それにしても真夜中だというのに、風もなく、この暑さ。いったい、どうしたっていうのだろう――。

この数年間、世界的規模の異常気象が伝えられていて、その原因は環境破壊にあるといわれている。近代文明の恩恵にどっぷりつかってしまっている私たちは、毎日の暮らしで、どれだけ地球的規模の環境破壊をしているか、はかりしれないということだ。自然を征服の対象としてきた人類の驕りが、こうした異常気象をもたらしたといえるのである。これを私たち人間への自然界からのメッセージとして受け止め、いま一度、日々の暮らしを見つめ直してみる必要があるのではないだろうか。

数年前、やはり電気釜が壊れたことで、私はガスを調整しながら、ご飯を炊いている。

暮らしのすべてを文明の利器に頼らずとも、何とかやれるものなのである。

「大地は子孫からの借り物」という私の好きなことばがある。未来へのメッセージは私たちの生き方にある、ということだ。自然に対して、私たちはもっと謙虚でありたいと思う。

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