ウェブマガジン カムイミンタラ

1994年11月号/第65号  [ずいそう]    


三森 礼子 (みつもり れいこ ・ 北海道難病連代表理事)

3、4年前から新聞などの小さな文字を読むと目が疲れるようになり、しまいこんであった姉の形見の眼鏡をかけてみると、やはり、ハッキリクッキリ。爾来、手放せなくなった。姉はこの眼鏡をあまり使わないうちに、46歳で逝(い)ってしまったので、その眼鏡とのおつきあいは私の方がずっと長いことになる。

姉は22歳で結婚して、妊娠中毒症から腎臓を患い、その半生は病気と共にあった。

ある時、私がトイレから出ると姉が立っていて「あんなにたくさん、勢いよく出て羨ましい。私なんかトイレに入ったら、たくさん出ますようにって、手を合わせ、少しでも出たら、ありがとうございましたって、また手を合わすんだよ」と言った。私は姉の日々の苦しさ、辛さがわかっていなかった。

10年前になるだろうか。映画館のロビーで見覚えのある初老の紳士を見かけた。その特徴のある風貌から、姉が長いこと憧れ続けてきた、恩師のM先生であることを確信し、挨拶した。姉のことにふれると、今どこに、住所は、と矢継早に質問してきた。そして3日もしないうちに、千葉に住む姉から電話があった。夢にまで見たその人から、ある日突然手紙がきた!驚くやら、嬉しいやら、困惑するやら、どう気持ちの整理をつけたものかという内容だった。それから先生が上京の折など、年に1、2度逢っていたようである。

亡くなる3年ほど前に、姉はこんな手紙を私に書いてきた。「あれ以来、先生の夢をピタリとみなくなりました。逢って幻滅したとか、夢が壊れたとか、そういうこととは全くちがいます。叶うはずもない夢が叶ってしまうことは、もしかしたら悲しいことなのかもしれません。先日、学生のころから書いてきた日記類をすべて処分しました。女学生の妄想のようなものでも、私が死んでから家族が読んだら、きっと、いやな思いをするでしょう。でも、あなたには本当に感謝しています」。

そのM先生も今年6月、亡くなられた。

私は姉の歳を超えた。遺してくれた眼鏡は、私にどんなものを見せてくれるのだろう。

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