ウェブマガジン カムイミンタラ

1995年03月号/第67号  [ずいそう]    

1月17日 受け止める歴史
加藤 玖仁子 (かとう くにこ ・ 美術評論家)

リーン、リーンと4、5回鳴った電話のベルが、いつもより長く澄んで聞こえたのを覚えている。

「玖仁子さん。お母様いらっしゃいますカ」と、リボリア・アルベルス先生の特徴のある冴えた声。代わった母は、しばし無言で聞き入り、幾度も丁重に礼を述べてから受話器を置き、心に何かを受け留めた表情を残して台所へ消えた。父親の帰宅を待って明かされたのは、私に留学の道が開かれていることだった。

その日、1月17日は、一生を方向付けた記念日として、1960年はその一歩を踏み出した起点の年として記憶するようになった。

高度成長期を前にした1960(昭和35)年の夏、インド、フィリピン、ホンコンからの留学生と裕福な米国人を満載したアメリカン・プレジデント・ラインのウイルソン号は、横浜港で日本人を乗せ、ロサンゼルス目指して2週間の太平洋の旅に出た。

それから35年、換算レートは1ドル360円から100円を割り、2週間の船旅は10時間をきるエアバスにとって代わり、海外留学は条件が整い、意思が固まれば誰にでも手の届く選択肢の一つとなった。

30余年の歳月は、個人のカレンダーに記すには余りある豊かな出会いと出来事で満たしてくれた。渡米前にリボリア先生に伴われて訪問したインターナショナル・スクールの初代校長アルレッタ・セルサー女史(現ベッカー夫人)、ウイルソン号の留学生仲間シャンカ・ベナジー氏(現博士)にはじまり、世界各地の芸術家探訪と国際的な行事への出席が増えた。70年代以降はマグダレーナ・アバカノヴィッチ女史やダニ・カラヴァン氏と親交を保ちながら、調査研究を続行している。

マリアン・カレッジ卒業後30年目の昨夏、リボリア先生は他界され、1995年1月17日、大原美術館でのカラヴァン展オープンの朝、大地震が阪神地方を襲った。

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