旭川の周辺には、至る所に美しい丘があり、丘にまつわる思い出も多い。青春時代、私の詠んだ短歌に次の一首がある。
萩群るる彼方に牛は移り行き夕日の丘に二人のみなりき
三浦は、この短歌を見て、名画の1シーンのようだと言ってくれた。確かに私の青春のひとこまと言えるかも知れない。
当時、私は既に結核療養の身ではあったが、まだギブスベッドに縛りつけられる以前であった。春光台の丘には、前川正に連れられて幾度か行った。
彼は私をキリストに導き、戦後、虚無の淵に沈んで、何もかもむなしくなっていた私を立ち直らせてくれた医学生であった。悲しいことに、彼は35歳の若さで結核のために世を去った。その頃、寝返り一つ打てない病床生活に入っていた私は、彼の葬儀にも行けなかった。
丘に佇(た)ち君に写されゐし時もこんなに淋しい顔をしてゐたのか
挽歌の一つに、こんな一首もある。
自伝『道ありき』に詳しく書いていることだが、彼が死んで1年が過ぎた頃、三浦が訪ねて来た。前川正に実によく似ていた。そして5年目、私は三浦と結婚し、やがてものを書くようになった。思えば私が短歌を学んだことも、内外の文学に触れ得たことも、すべて彼に負うところが大きい。
結婚36年、癌、難病等、苦しい目にも遭ったが、何とか今日に及んだ。三浦もよく言うように、生前の前川正の祈りのおかげであろう。それにしても、私はよく重い病気をしてきた。ヘルペスで失明を危ぶまれたことさえあった。その時の三浦の歌がある。
見晴らしよき丘の病院ぞ雪一筋消残(けのこ)る遠き尾根を妻よ見よ