スペクタクル『五稜星(ほし)よ永遠(とわ)に』は、市民創作・函館野外劇の会(郵便040-0002 函館市柳町3番6号 0138-56-8601)によって毎年7月下旬から8月中旬までの毎金~日曜日10回公演で開催されています。今年、第8回の初日は7月23日。午後3時半過ぎ、五稜郭南側の土塁裏に設けられたキャスト村に人の数が増えてきました。幕開けは4時間後に追っています。テントハウスで出演者の受付準備をしている若い女性、軒を並べたプレハブの衣装小屋で、アイヌ衣装、コロポックル(アイヌ伝説の妖精)に扮する子どもたちの着る色とりどりの可愛い洋服、武士団、旧幕府軍・官軍の兵士たちが着る時代衣装を点検している主婦と思われる人、そして小道具係の若い男性などがかいがいしく働きはじめています。本部小屋には、制作部長の小林勲さん(52)も待機しています。「わたしは第1回から野外劇に参加していますが、やはり初日の緊張感は格別です」。
5月28日の祝祷祭(しゅくとうさい)いらい毎週末に練習を重ね、2日前にはゲネプロ(総けい古)、前日は市内の子どもたちを招待して上演ずみですが、本番初日ともなれば、独特の雰囲気がキャスト村に張り詰めています。
午後5時過ぎたころから、キャスト村はが然にぎわいだしました。出演者の市民たちが集まりだしたのです。渡島支庁や函館市役所の役人グループ、陸海自衛隊、消防署の職員グループ、北電や北ガスをはじめとした企業グループ、さらに町内会、仲間が呼びあった個人グループ、ホームステイで滞在中の外国青年たち、またたくまに5百人ほどの出演者がキャスト村を埋め尽くしました。さっそくミーティングをはじめる一団、心が急いて早々と衣装をつける人、それぞれに興奮が高まっていきます。
「去年、会社から指名されて渋々参加したが、あのときの楽しさが忘れられなくて、今年は自分から名のり出て参加しました」というビジネスマン。「野外劇の舞台に立たないと、わたしの夏は来ないのさ」という初老の人。「この変身ぶりが最高。ハイライトがあたるとスターになった気分」と小道具の鉄砲の手触りを楽しんでいる若者。「ぼく、第1回から出てるんだよ」という少年は、聞くと小学6年生とのこと。メイクを終わり、裾の長いドレスを着て、ちょっとおすましなOL、町娘の着物姿ではしゃぎあっている女子学生群…。「飛び入りでも参加できるんですか」「大歓迎です。演じる役はたくさんありますよ」といわれて大喜びの観光ライダー風の若者もいます。
「みんなボランティア出演の人たち。わたしたちは、自分自身が楽しみながら参加してもらうことを、いちばん大切にしています」と小林さん。
午後7時半の開演は間近。あたりは夜のとばりが色濃く垂れ込めはじめました。小林さんがマイクを持って台の上に立ちます。
「まもなく初日の開演です。ケガのないよう、遊び心で楽しくやりましょう。観客は入場料を払って来てくれているので、時代考証というほどではありませんが、腕時計やイヤリング程度ははずしてください。眼鏡はかまいません」と簡単なあいさっと注意。舞台表の堀をはさんだ観客席には、1500人ほどが開演を今かと待っています。
掘の中に設けた“水舞台”の中央がハイライトに照らし出されました。観客席の後ろ13メートルの高さに組まれた司令塔で、ライトを操作しているのは野外劇実行委員長の外山欽平さん。ハイライトを浴びて開演のあいさつをしているのは、函館野外劇の会の理事長・関輝夫さんです。
一瞬、照明が消え、まもなく土手上の5000本もある桜の樹に3000個の豆電球が星ときらめく。虫の声、小鳥の声が聞こえ「美しい山川…」と歌いだす佐々木茂さん(北海道教育大学函館校教授)作曲のコーラスが流れて、舞台全体に美しい自然が描きだされます。と、思うまもなく、一転して地鳴り、不気味な風の音、落雷、稲妻。火柱が立ち、大地に溶岩が流れる。噴火と地殻変動。函館山創生のシーンです。色とりどりの照明が走り、スモークが舞台いっぱいに噴き出す。裏方が大活躍です。
―はるかな昔、地殻は激しく揺らいだ。そして炎の海のただなかに山々が隆起した。やがて川が土をはこび、波が砂を寄せ、大地が形成されていく。水と火と風と土と神の声、それら5つの大いなる意思により函館は生まれたのだ―という男声のナレーション。従来までは故益田喜頓さんなどプロに依頼していたナレーションを、今年は函館ラ・サール高など市内の高校生8人が担当しました。シナリオを創作したのは函館出身の詩人・原子修(はらこおさむ)さん。毎年ほぼ同じ台本を基本に演じられます。
やがて、舞台は雪の情景。クラシックバレエチームによる白鳥の舞。その中に蕗(ふさ)を手にした可愛いコロポックルたちがコミカルに踊る。アイヌ衣装の一団が現れ、川でサケをとり、シカやウサギを追い、クマ祭りに興ずる。
―函館は北の楽園、コロポックルの故郷。ムックリ(口琴)の風にのり、流れるユーカラ(アイヌの叙事詩)。水とたわむれ、風と語り、花に埋もれて神に話しかける敬虔な心を持ち、ひたむきに生きる人びと。カムイに祈るのは天地の恵み。望みは、いつまでも続く安らかな暮らし…―こんどは女生徒のナレーション。それも束の間、和人の渡来によって、その暮らしは崩れていく。アイヌの人びとと和人の争いであるコシャマインの乱のシーンが展開されます。舞台裏の小林さんの指示、司令塔の外山さんの演出司令が飛び交う。舞台上に近郊の牧場から借り受けた馬が騎馬武者を乗せて現れる。右往左往する和人の武士団、アイヌの軍勢。群雄割拠していた和人の館(やかた)は次々に陥落したが、コシャマイン父子は和睦の儀式のなか弓で射られて果てる。アイヌたちは全員殺され、和人も松前、江差へと廃墟から去り、函館は空白の時代に耐える。
江戸時代、大千軒岳の金鉱を安住の地と思って本州を逃れてきたキリシタンたちに弾圧の手がのび、アンジェリス神父ほか106人の信者が火刑に処されるなど悲劇のシーンが続いたあとは、回船業の豪商・高田屋嘉兵衛の来航。そして江戸時代末期、ペリー提督率いる黒船来航によって開港。一躍、国際都市として繁栄するにぎやかなシーン。武田斐三郎(あやさぶろう)とその配下による五稜郭造営、さらに箱館戦争と、スペクタクルはクライマックスヘ向かいます。
この野外劇の創案者で、名誉会長でもあるフランス人のフィリップ・グロード神父(68)は、今年の野外劇の感想を次のように語ります。
「今年良くなった点は4つあります。1つは水上舞台が広くなったこと。上下に袖舞台を作ったのが大きな進歩です。2つめは、出演者が固定し、子どもや若者の参加がいっそう多くなったこと。3つめはナレーションを高校の放送部員に読ませたことで、とても新鮮です。4つめはテンポが速くなり、場面のチェンジがとても上手になりました。1シーンが3分くらいで進み、退屈させませんね」。
グロードさんの野外劇にかける熱意は並々ならぬものがあります。
「私は1954年(昭和29)宣教師として函館に赴任し、初めて五稜郭を見た瞬間から、これはソン・エ・ルミエール(光と音のスペクタクル)のために最高のロケーションだと思いました。ところが、そのころの五稜郭は市民からも忘れられていたようで、草は茫々、堀はゴミ捨て場にもなっていました。それから10年ほどたち、五稜郭タワーが完成したことで、市民は五稜郭を見直そうという気持ちになったみたいです」といいます。
1986年(昭和61)、函館市に日仏協会が結成されました。理事でもあったグロードさんは竹内能忠(たけのうちよしただ)会長に「五稜郭で野外劇をやりましょう」と宿願を持ちかけたのです。竹内会長は、フランスでルネッサス時代の城を舞台にして盛んにおこなわれているソン・エ・ルミエールを観ており、よく承知していました。そして、フランス西部ヴァンデ県の小さな農村ル・ピデュフの古城で1978年から開催している野外劇が、世界トップクラスと評価されるまでになっていることを紹介したのです。
「とにかく、いちど観てみようということになり、1986年(昭和61)に日仏協会のメンバー10数人をフランスに案内しました。ル・ピデュフに2日間泊まって観劇し、村の人たちと交流。みんな、たいへんな感動でした。そこで、ル・ピデュフと姉妹スペクタクルをやろうということになり、翌年、野外劇の会を設立して姉妹提携を結んだのです。ほとんど準備はできていなかったのですが“とにかくやろう”と、たいへんな意気込みでしたね」とグロードさんは振り返ります。翌1988年(昭和63)7月、海底トンネルが完成し、「青函博」が開催されているなかで第1回公演が開催されました。観客数は、10日間の公演で14000人。ル・ピデュフから21人も観劇のためにやって来ました。
「五稜郭は、日本ばかりでなくアジアにとってもユニークな城郭遺跡です。徳川幕府は北方防備のための近代的城塞として7年の歳月をかけて造ったが、時代が遅れましたね。途中で予算もなくなって手抜きされ、城郭の中に奉行所を建てたり、役人村をつくったりしましたが、軍事施設としてはほとんど役立たずに終わり、結局、榎本武揚(たけあき)による戊辰戦争の最後の戦場となっただけでした。しかし、約25ヘクタールの面積を持つ城郭の周囲の堀は幅約30メートル、堀の深さ約4メートル。五稜郭の値打ちは五稜星の形に張りめぐらせたこの堀にあります。私は、この軍事施設が函館市民によって平和的に利用されることこそ望ましいと思っています。つまり、日本の平和公園は長崎、広島、そして函館五稜郭と、世界にアピールしたいのです」とグロードさんは真顔です。
「だからこそ、五稜郭で野外劇をやる意義があるのです」と、さらに語り続けます。
「函館野外劇の目的は、第1に人びとのつきあいを豊かにします。第2には、新しい芸術の可能性を探ることにあります。第3は、ボランティア・スクールであることです。日本人は、組織化された社会の流れのほかに、もうひとつ自分の持っているものを自由に発揮できる場を持つことが必要と思います。文部省や文化庁が函館野外劇を高く評価しています。文化的ボランティア・スクール、生涯学習の場だとね」。
「そのなかで、私がいちばん意義深いこととして力を入れたいのは、愉快な人間関係をつくる仲間づくりです。精密な機械のように組織化された日本の社会の中で、ふだん、つきあいのない人同士がいっしょになって野外劇をする。これが、おもしろいですね」といいます。新しい芸術の創造では「日本では、野外スペクタクルが案外少ない。現代的なものでは国体やオリンピックの開会式や閉会式の時におこなわれるマス・ゲームくらい。伝統的なものでは行列型の祭り。薪能(まきのう)などは野外でおこなわれますが、限られた人で範囲は狭いですね。ところが、日本のようにエレクトロニクスの発達した世界にはレーザー光線、旋律の変化に反応する噴水や花火をはじめ、新しい音響技術、美しい照明効果が得られる機械がいくらでもあります。これらを駆使して夜のスペクタクルを表現するのは愉快です。そこには新しい芸術の可能性も生まれてくると思いますね」と強調します。
舞台に進軍ラッパが鳴り響き、榎本軍が馬を先頭に続々と舞台中央に集まります。
―函館の歴史は、ふたたび戦火にいろどられる。榎本ら旧幕府藩士2800名は五稜郭を本営として蝦夷共和国を樹立したが、新政府から賊軍の汚名を浴びせられ、箱館戦争がはじまった―。激しい銃撃戦、砲撃戦、白兵戦が舞台狭しと展開され、ついに榎本軍は全滅。榎本の全面降伏のあとに、客席前の大砲2台が火をふき、土方歳三が倒れる。この間に、敵味方の別なく負傷者の治療に奔走し、日本の赤十字精神の先駆り者といわれる高松凌雲(りょううん)医師、榎本とフランス人ブリューネ大尉との友情、死体を手厚く葬る侠客・柳川熊吉とその子分たちなどのヒューマンなエピソード。そして、戦争で散った武士たちの霊を慰める灯篭を堀いっぱいに浮かべる子どもたち。それも束の間、街は焦熱の炎につつまれる。命がけで大火に立ち向かう消防隊。この演者たちは本物の消防員です。さらに第二次大戦末期の函館空襲と矢継ぎ早なクライマックスシーン。時計は夜の8時半を過ぎていきます。
「ル・ピデュフ野外劇も、フランス革命時代に農民や教会を中心にしてこの地方でおこった反革命的反乱の史実が組み込まれています。フランス革命の内実はひどいもので、王朝時代にはなかった兵役が農民に課せられ、農民がもっとも忙しい夏の刈り入れ直前に徴兵令が来たのです。教会も迫害をうけました。我慢できずに立ち上がったこの反乱で30万人が殺されました。そこヘナポレオンがやって来て、おまえたちの戦いぶりは巨人的だ。むこう10年間は兵役を免除しよう。教会は、ローマ教皇と契約して自由を保障しようと約束し、反乱はうそのようにおさまった。それが箱館戦争と同じように、ル・ピデュフ野外劇の見せ場のひとつになっています」といいます。
ル・ピデュフは、人口2000人にも満たない小さな村。周辺15の村を合わせても3万人ほどしかありません。そこへ1万3000人の出演者がボランティアで集まり、毎年6月中旬から9月第2土曜日まで24回公演。昨年の観客数は31万人という大規模なものです。
「この野外劇の効果で、ヴァンデ県地方の歴史を語るテーマパークができました。大資本は導入せず、自分たちの手で毎年少しずつ増設し、現在30ヘクタールにまで広がっています。テーマパークは、年間170日以上開催しています。放送局も開設し、地域のニュースや音楽、文化情報などを24時間体制で放送して視聴者の人気を得ています。野外劇で使う馬50頭を自分たちで飼育し、馬術教室を運営して優れた馬術選手をたくさん輩出しています。野外劇では、さまざまな踊りがとり入れられており、そのなかからバレエ教室も生まれました。シーズンオフには巡回公演をしています。また、フランス革命で破壊された城を修復して、歴史資料館を開設しました。中世からの歴史資料、ゆかりの作家の絵画や彫刻などを集め、すばらしいコレクションになっています。そればかりか、考古学グループが野外劇のなかに生まれ、いろいろな発掘調査をしています。その成果をもとに、テーマパークのなかに12世紀のコーナーをつくり、その時代を再現したレストランを経営しているんです」。
テーマパークの昨年の入場者は62万人とのこと。野外劇の30万人と合わせると100万人近くをこの小さな村が集客しているのです。まさに、村おこしの世界的な成功例です。ですから、グロードさんは函館野外劇の可能性にも夢を広げるのです。
「函館の観光資源は、函館山と五稜郭です。函館山にテーマパークをつくり、野外劇で使う馬を自分たちで飼育・調教して乗馬散歩を楽しめるようにしたいし、函館山に生息する生物の資料館をつくるのもいいですね。五稜郭では、四季のイベントができます。現在、冬に五稜郭をイルミネーシヨンで飾り、幻想的な『夢の五稜星(ほし)』をセスナで上空から眺める催しがとても好評です。雪のグラウンドでは、親子そろって野外ゲームを楽しむ冬フェスティバルが開かれ、ブタ汁パーティーも好評です。春は、桜の花見。これは定着していますね。5月は箱館五稜郭祭。維新パレードや開城セレモニーなど歴史再現イベントが繰り広げられています。そして、夏は野外劇。これらをもっともっと肉付けして、大きなイベントにするといいですね」。
秋のイベントが空白ですねと質問すると、「ヴェネツィアにも負けない“仮面舞踏会”をやりたいです」と即座に答えが返ってきました。「野外劇の会には、さまざまな衣装がたくさんあります。野外劇手持ちの和船は屋形船にして、お堀一周はデートコース。ローソク1本が消えるまでに、恋人同士はプロポーズをするの。友達同士はおしゃべりに花を咲かせればいいです。ただひとつの条件は、全員、仮面をつけること。野外劇の関係者は、そんな函館の文化的観光資源を創りだす運動のオピニオンリーダーでありたいですね」。
函館野外劇の会の大きな悩みは、資金難でした。初期の段階では衣装や機材の購入に出費がかさみ、赤字が累積しました。「年間の事業費は約4100万円。収入は鑑賞券の売り上げ、広告料、各種文化団体の補助金で賄いますが、そのうちの3000万円以上は照明や音響機材、会場設備費に消えていきます。しかし、単年度ではどうやら黒字にこぎつけましたよ。たしかに財務はきびしいが、われわれにはそれに耐えるよろこびがあります」と小林さん。
函館野外劇は、日本の野外劇運動の草分けとして1990年に日本芸術文化振興会の助成団体に選ばれたのを皮切りに、サントリー地域文化賞など数々の賞を受けています。
今年の公演中に、町の100年記念として野外劇の開催を企画している石狩町、ふるさと運動のメインイベントにしようと計画している北見市が視察に訪れるなど、函館野外劇の運動は他地域にも波及しています。
「野外劇はスケールの大きいスペクタクルが似合います。五稜郭の舞台は間口150メートル、奥行き100メートル。天井は無限の星空です。本物の樹木、本物の水面、本物の風があり、室内スペクタクルにはない壮大さがあって、感動も倍加します」とグロードさんはその魅力を語ります。
舞台に、フィナーレの曲が流れだしました。出演者全員が登場して、未来を象徴するコロス(輪になっての踊り)が展開します。掲げたペンライトがきら星のよう。
―ひたむきに生きてきた先人たちの思いが私たちの血をたぎらせ、炎となって夏の夜空を染める。輝け、五稜の星よ。平和の象徴、五稜郭―ナレーションの高校生全員が声をそろえ、歌うように語る。噴水があがり、花火が満天を彩って炸裂する。観客は総立ちになって感動の拍手。席を離れ、堀をはさんで出演者に手を振り、声援を送っています。舞台からも観客に手を振ってこたえています。
すばらしい野外劇をつくろう、その一点の目標に向かって情熱を燃やした満足感がどの顔にも輝いていました。