北海道に生まれ育って六十余年。前半は生地の歌志内市と勤務地の札幌市だけしか知らず、その中で北海道の全体像を勝手に温めてきたに過ぎない。小説を書くようになってから事情が変った。
取材や講演や会議やらで否応なしに全道を歩くようになり、行く先々でそれまでの思い込みや机上の知識がひとつずつ無力化されてゆくのだった。
函館を中核とする南西部では北海道の揺籃期を偲び、稚内を頂点とする最北の地では離島を含む冷厳な暮らしを学び、網走に象徴されるオホーツク沿岸では流氷の試練を肌で知り、道東沿岸では北方四島にかかわる国際性に目ざめ、道内一帯では太平洋性地理学の多様性に心をひかれた。それぞれに辿り着く過程の内陸面は必然に自家薬籠中のものとした。
こうして北海道の広さも気候も地上の自然環境も、すぐれて大陸的であることを今さらながら再認識させられてきたのである。本州内地とはどういいようもなく尺度が違う。といって、ひと口に北海道の風土は、と問われても答えようがない。
後半生を北海道と濃密になじみ合いながら、いまだに客観的におどろいているようでは私はほんとの道産子とはいえないかもしれない。
まだある。目下のところ同心円のように抱えている、もうひとつの北海道がある。それが十勝平野だ。昨年、その一角の鹿追町にある「神田日勝記念館」の仕事をするようになって十勝通いが始まった。そこで何に魅了されたかというと、大地と一対をなす空だ。
夏時分も冬季も変りなく、晴れあがったときの空の高さと青さには驚嘆を禁じ得ない。空を褒めてもしかたないといわれるかもしれないが、大地の鮮烈な緑とマッチした空の宇宙的な美しさには、何度訪れても見倦きることがない。月に一、二度の十勝参りだが、いまのところ私は空を見にゆくといっていいだろう。道産子のくせに何というざまかと思う。だが、しかたがないではないか。このあとオホーツクの空が待っている予感がする。