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1995年09月号/第70号  [ずいそう]    

写真甲子園95
市根井 孝悦 (いちねいこうえつ ・ 山岳写真家)

第2回全国高等学校写真選手権大会(写真甲子園95)が7月29日閉幕した。私が顧問をする函館白百合学園高等学校写真部も2度目の出場を果たした。この大会への選考方法は、各校1チーム生徒3名で、与えられたテーマを8点で組写真として表現。それをテーマ性・技術力・表現力の3要素に基づいて、著名写真家など10名で総合判断し、全国8ブロックより12校を選び、東川町、上富良野町、美瑛町で行なわれる写真甲子園本戦に招待するものである。本戦では自然・風土・人間をテーマに3ステージが行なわれ、その3日間の総合得点で日本一の座が決定する。この大会、高校生には少々ハード過ぎるが、参加校の質が高く、非常に魅力的な大会である。

7月26日、本戦が開始された。第1ステージの撮影会場は、前夜天人峡と知らされ、これを2位の好成績で通過。そして次のステージで本校は総合1位に立った。残すのは3日目第3ステージである。しかし、2位との差は近差で、逆転される可能性は十分にあった。

そこで本校は、テーマ・人間を求めて東川町の病院を訪ねた。廊下を通った時、病室で入院する6人の老婦人の姿が眼に入った。許可を得て、早速撮影を開始した。撮影後間もなく、ふと気がつくと、今日まで先頭に立って部員を引っぱってきた部長飯塚麻紀の姿がない。その時、私は少々慌て、この大事な時にと腹立たしく思った。しかし、廊下に出てみると、彼女は一人蹲(うずくま)り、眼を赤くして泣いていた。私は理由がわからず当惑し、何度も説得したが、とうとうカメラを向けようとはしなかった。こんなことは今まで1度もなかったことである。

その夜、いよいよ最終審査会がはじまった。全国優勝が決定するというので、報道関係など多数の人々が広い会場を埋めている。審査会は公開で、生徒は作品発表の前に撮影の意図を説明しなければならず、これが大変な苦痛で、本校は4番目であった。

この時初めて、彼女は余談として、その時のことを言葉で表わし、思い出したのか声を詰まらせた。カメラを向けると老婦人は「来てくれて本当にありがとう」と感謝の心を身で表わした。本来であれば、感謝するのは私なのに。この言葉の中に、彼女はふと、老婦人の心の中の奥にさびしさを強く感じとったのである。この予期せぬ出来ごとが、今まで重苦しかった会場に、さわやかしい風となって、会場の人々の心をつつみこんだ。そして、質問する審査員の声にも涙を感じさせるほどであった。

数時間後、本校初夏勝のアナウンスが館内に流れた。

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