ウェブマガジン カムイミンタラ

1995年11月号/第71号  [特集]    

歴史の真実をしっかりと伝えられていない“不幸”を痛感し、責任を受け止める戦後世代
戦後世代と戦争責任

  
 “戦後50年”。日本はいま、近・現代日本の歴史認識と第二次世界大戦での戦争責任の負い方とについて世界からも指摘されています。10月16日、韓国国会は「1910年の日韓併合条約は無効であり、日本政府はこの点を認め、必要な措置を取るように求める」決議を満場一致で可決しました。歴史家の家永三郎氏は日本の戦争責任をきびしく追及し「戦争の惨禍をできるだけ具体的に理解することの必要」を強調しています。前長崎市長の本島等氏も「(昭和)天皇の戦争責任はある」と議会発言をしました。ヴァイツゼッカー前ドイツ大統領は戦後40年に際した国会での著明な演説で「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、また同じ危険に陥りやすい」と自戒し、人間として心からの和解を求めました。さらに同氏が、その過去を引き受けていく若い人に対して「自由を尊重し、平和のために尽力し、公正を拠り所に、正義を内面の規範として可能な限り真実を直視しよう」と呼びかけた言葉は、日本人の心にも強く響いています。

――太平洋戦争中の加害行為は、銃後の北海道でもおこなわれていました。それは、10万人ともいわれる朝鮮人・中国人の強制連行による炭鉱やその他の鉱山、土木事業所での人権を無視した過酷な労働と虐待でした。その3割近くは過労や栄養失調、病気によって死亡したといわれています。中国人の劉連仁さん(83)は、北海道の鉱業所に連行され、暴行と酷使に耐え切れずに逃走。当別町の山中に穴を掘って12年間も隠れ住むという極限の体験をした強制連行被害の生き証人です。

平和憲法を維持し戦後補償を解決してアジアの信頼回復を

イメージ((上)8月20日、12年間の山中逃亡生活から解放されたときの発見者である袴田清治さん(78)と再開した劉連仁さん(写真中央)。当別町民から記念碑建設のプランのあることを知らされ『子供たちの教育に役立つのなら」と答えていました)
(上)8月20日、12年間の山中逃亡生活から解放されたときの発見者である袴田清治さん(78)と再開した劉連仁さん(写真中央)。当別町民から記念碑建設のプランのあることを知らされ『子供たちの教育に役立つのなら」と答えていました

中国人強制連行被害者・劉連仁(リュウリェンレン)さんを囲む集会に協力した 佐藤博文さん(弁護士) 1954年(昭和29)生まれ

劉連仁さんは、この夏、日本政府に謝罪と補償を要求して来日。解放の地の当別で思い出の人と再会のあと、8月21日には札幌で『劉連仁さんを囲む市民のつどい』が開催されました。劉さんはこの席で「中国人強制連行で生き残っている人はみんな高齢になっている。日本は1日も早くこの事実を認めて、名誉の回復と補償問題を解決してほしいしと訴えていました。この集会の司会を担当したのが佐藤さんです。

劉さんの事件は、最近までまったく知りませんでした。寒さのきびしい季節の長い北海道で、12年間もよく生きていられたと思いますね。この集会のときに「鉱山を抜け出して助かるあて、生きていく見通しがあったのですか」と尋ねると、劉さんは「見通しはなかった。しかし、こんなところで死ぬよりはいいと思った」と答えるのです。ほんとうに、極限状態の決断だったのだろうと思います。

戦争被害者への救済については、戦争加害国である日本において、われわれが加害者の側としてもっと早く取り組んでいなければならなかった。その点、人権を守る弁護士としての反省があります。

もう一方で、深刻な戦争による人権侵害は、被害者自身に声をあげてもらうことがこの問題を社会問題化するうえでは大事なことです。この数年来、その人たちによる被害補償要求が出てきた要因の一つは、戦後50年という節目であること。また、韓国も民主化がすすみ、中国も開放政策がすすんだ、その他、これまで言いたくても言えなかったアジア諸国の人たちがはっきりと要求できるような政治状況になってきた。その両面が相まって、大きくクローズアップされるようになったのだと思います。

戦争の真実を正しく伝えない大人の責任

戦時中、朝鮮を支配していた日本兵がクリスチャンの村を襲い、村びとを教会に押し込んで火をつけ、焼き殺してしまったという残虐な行為がありました。今年の4月その教会の何代目かの牧師さんが来日して札幌でも講演されましたが、高校生をはじめ若い人が何10人も来ていました。その人たちにとっては初めて聞く話でしょうが、実際に戦争でそのような残虐行為がおこなわれ、自分の子どもや夫が目の前で火をつけられて焼き殺されていく様子を聞かされ、大きなショックを受けていたようです。

しかも、韓国ではこの事実を子どもたちに教えています。そして、日本の児童生徒が修学旅行でヒロシマヘ行くのと同じように、かつてその地域でおこなわれた日本による侵略戦争の実態を過去の歴史としてしっかりと勉強していると聞き、そのことにも、若い人たちは大きな感銘を受けていたようです。今日まで、日本ではそういう機会があまりにも少なかった。最近になって、ようやくその機会が増え、若い人も刺激を受けたり、考えさせられる機会が得られるようになってきました。

年配の人たちの多くは、いまの若い人たちは“平和ぼけ”していると批判します。そして、戦争をくぐってきた人たちが、いかに苦労をしト今日の日本の豊かさ、平和な社会をつくってきたかを語ります。われわれ若い者の側からすれば「そんなに言うのなら、なんで若者にそのことをきちっと教えてこなかったのか。若者が平和ぼけして、戦争をわかっていないと言う前に、歴史を先に歩んできた者として、若者に伝えるべきものを正しく伝えてこなかった大人に、責任があるのではないか」と言いたくなります。

じつは、私は北海道大学の教育学部出身なのです。教育学を修めた者として感じるのは、外国の歴史の教科書は近代史ないしは現代史から始まっていることです。フランスでいえば、歴史教育はフランス革命から始まります。つまり、個人の尊厳、自由、民主主義を認めるようになったフランス革命の理念、住民が主人公となって悪政を打ち倒した革命運動から歴史の勉強をするのです。それ以前の歴史に遡るのは、興味あって勉強する人や学問の対象であって、一般的な義務教育では近代史から学ぶ。ほぼ、どこの国も同じです。ところが、日本は鎌倉時代の荘園制度についてはくわしく知っていても、現代の日本国憲法下における国家制度についてはよく知らないという、いびつな実態があるのを痛感します。

太平洋戦争についても、若い世代は考える機会を与えられていないという感じがします。若い人は、直接、あの戦争をどう思うかと尋ねられると、やはり加害国の責任として、戦争被害者に対してきちっと償いをしなければならないと思うことでしょう。しかし、思うとは言っても、なぜ日本があのような侵略戦争をしてしまったのか、そのことによってどれだけの人びとに非人間的な苦痛をあたえたかについての認識がなければ「アジアの人に迷惑をかけたと思います」と言っても、まったく感情のこもらない言葉でしかないと思います。

戦争の実態といえば非常に多くの場面があるわけですが、これだけ情報社会なのにその材料は非常に不足しています。国民のほとんどは、抽象的・一般的には“核”は反対であり、「フランスの核実験に反対だ」という意識は、若い人のあいだにも強い。例外なく「そんなのはやめろ」という意見です。しかし、それが50年前の戦争の歴史に裏付けられた、もう少し理性的な認識にまで高まっているかとなれば、そこにはやや弱点があるような気がします。

建て前からいえば、太平洋戦争は国民が勝手に徒党を組んで起こした戦争ではなく、国が起こした戦争です。したがって、その責任は国家が負うべきでしょうが、この50年の歴史のなかで、国家がその責任を認めないばかりか、逃れようとしています。戦争責任を考えている若い人たちには、国家が自らの戦争責任について明らかにしないことに対する、怒りと不信があります。その中で、もっとも大きいのは、やはり慰安婦問題だと思います。従軍慰安婦の問題は弁護士会で取り組んでおり、私も仕事柄、調べたことがあります。朝鮮や中国では、軍隊がテントを張って朝鮮や中国の女性を相手に兵士が性的行為をする。旧軍隊の書類の中から「これは健全な公衆便所である」と書いた文書まで出てくるのです。そのような資料や情報に接している立場から言えば、いまだもって「あれは民間が勝手にやったことだ」と国家の関与や責任を否定する態度に、腹立ちを禁じ得ません。

しかし、高度経済成長期のなかで順風満帆で育ってきた若い人たちは、企業や国家そのものに対する不信感はあまり強く持たないようです。このことは「民主主義」の点からいえば心配なことです。民主主義とは、国家に対する不信、為政者に対する疑心暗鬼、いかにして為政者に悪いことをさせないようにするかということから生まれ、発展してきた理念です。1人の人間に権力を集中させたら悪いことばかりするから、三権分立という形で権力を分散させ、抑制しようとしているのです。地方自治体にリコール制が認められているのも「選挙で選ばれても、悪いことをするかもしれないから、住民が罷免できるようにしておこう」ということであって、住民がつねに監視をする。それには、疑問を持って客観的にみること、それが民主主義なのです。

その意味では、いまの若い人たちは抽象的・一般的には、平和を望み、核兵器に反対し、戦後補賞に対しても「日本が過去にそんなひどいことをしたのなら、補償しなければならない」と思っています。ところが、戦争責任を認めないような日本の政府は許せないから、きちっと国家責任を認める政府や内閣につくり変えようとする意思や運動が若い人たちのなかから起こるかといえば現在のところ、そんな政治変革のエネルギーにまで高まる気配でもありません。

平和憲法が日本の治安や道義的意識の確立を生む

ところで、日本が私たちの世代にこれほど経済的に豊かになっているのはなぜかといえば、私は2つの理由があると思います。その1つは、第9条で「軍隊を持たない」という“平和憲法”のためだと思うのです。たしかに日本の防衛費はGNP1%を超えてしまいましたが、それでも所詮1%なのです。ルかの国々はGNPの数%から、ソ連は20~30%を軍事費に注ぎ込んでいました。日本は、その分を経済活動に振り向けることができた。ここに経済的な発展の要因の1つがあったわけです。

もう1つは、西ドイツなどは周辺の国々に対して、ずっと戦後補償という国家財政上の負担を負ってきました。日本はそれを負担していないので、その支出分を経済活動に回せました。つまり、払うべきものを払わないで自分の懐を豊かにするという国家経済―、そのことで現在の経済成長があるのです。

いま、前提的にアンケートをとってみると「自衛隊存続やむなし」という声が8、9割を占めると思います。私は、弁護士として若い人たちの学習会の講師などに招かれると、日本国憲法の第9条がどのようにして生まれたかを話します。すると、若い人たちは「自衛隊はないほうがいい」「軍隊のない国のほうが、もっとも望ましいのではないか」と考えます。しかし、マスコミ報道や教科書でも「自衛隊違憲論」がだんだん小さくなっていますから、若い人たちはそれを見ていて、表だって「自衛隊は違憲だ」と思う人は少ない。しかし、中身を話していけばよく理解してくれます。

われわれの弁護士会は、アメリカの平和運動や市民運動をすすめている弁護士との交流が活発です。アメリカには、学者や弁護士を中心にした『憲法9条の会』というのがあります。この人たちは、アメリカでベトナム戦争反対をはじめ、いろいろな平和運動をしていました。ベトナム戦争が終わったと思ったら、こんどは中東、アフリカでと、地球上からいっこうに戦争はなくならない。いまも地域紛争を支援する米軍兵士に、たくさんの犠牲者が出ています。そうしたなかで、彼らはつねに“軍縮”を訴えつづけていましたが、軍隊のない国はあり得ないと思っていました。それが世界の常識なのです。ところが、日本国の憲法9条を見た彼らは考えを変えました。「国家が軍隊を認めること自体が戦争の原因ではないか。軍隊がなければ、戦争が起きることはない」。このグループは、いま、非武装の面からアメリカの社会を見直そうという運動をすすめているのです。

アメリカでは、銃を使った凶悪犯罪や殺人事件が多く発生しています。それも、ベトナム戦争など大きな戦争があったあとに、銃犯罪が1~2割も増加するといいます。なぜかといえば、若い兵士は軍隊で人殺しの訓練を受け、げんに人殺しをして国に帰ります。そして、酒を飲んだときには「あの戦場で、このようにして殺してやった」というのが日常会話になっていると言うのです。「戦争は人間の倫理観、道義観を失わせる。それが、アメリカが犯罪大国であることの1つの原因なのではないか。アメリカから犯罪をなくすために、銃をなくするのも1つの方法かもしれない。刑法の処罰規定を重くする動きもある。しかし、それは根本的な解決にはならない。軍隊をなくすか、段階的にでも縮小して、若者には人殺しの訓練をさせない。人を殺すことのない文化、社会づくりを実現すれば、当然、殺人事件は減る」と彼らは言うのです。

さらに、彼らは言います。「日本の社会が“治安がいい”と言われるのは、日本の警察が優秀だからではない。日本の社会は70歳、80歳代のお年寄りが過去に中国大陸で人殺しをした経験がある程度で、ふつうの人たちは兵役の経験すらないので、人を殺すということが日本の文化や人間の行動意識の中にない。だから、日本は凶悪犯罪の少ない国なのだ。もし、日本がアメリカのように軍隊を持って、実際に戦闘行為をするようになれば、アメリカと同じように犯罪が増えることを覚悟しなければいけない」と。私は、すごく説得力のある話として聞きました。軍隊があることは、若いときから人殺しの訓練をさせることですから、そういう文化、社会は結局、戦争と平和の問題だけではなくて、治安とか、国民の道義的な意識の問題に大きな影響をあたえるのは確かだと思います。若い人たちは、日本の治安のよさを実感しています。そこへ、この話を憲法に即して語りますと「そうか、自衛隊は合憲、違憲かというだけの問題ではなく、社会生活の隅々にまで影響のあることなのだな」と、非常によく理解してくれます。

それでは、今後どうするか。私はやはり平和憲法を維持して、そんな非生産的なことに金を使うのではなく、軍隊は持たないこと。げんに自衛隊があることを前提にしても、それを縮小し、その分を国民の経済活動や福祉に回せるようにする。また、戦後補償をきちっとおこなうこと。いま、世界的、経済的に見ても、アジアには豊かな自然と、人と、資源と、エネルギーとがあり、大きく発展しようとしています。日本がアジアの一員として将来も経済発展していこうと思うならば、戦後問題をきちっと解決し、アジアとの友好関係を結ぶことが大事です。日本が、経済侵略といわれるような形でアジアに工場を持って行き、また60年代のように公害をたれ流して儲けようとするのではなく、きちっと戦争責任を認め、被害補償もして、アジアの人たちとほんとうの信頼関係で結ばれることが、日本の平和と安全にとっても、経済成長にとってもプラスになることだと思います。戦後補償をすることは、けっして受身的、消極的なのではなく、アジアのなかで日本が平和を維持し、経済成長をしていくうえにも不可避な課題だと思っています。

――日本の戦争の真実は、きわめてあいまい、希薄にしか知らされていません。とくに国際的なかかわりが深まる若い世代にしっかりと伝えていないことが、かえって彼らへの負担を増すことが懸念されます。そんななかで、教師と学生・生徒自身によって戦争の真実を学ぼうとする活動がすすめられています。北星学園は「戦後50年を考える平和のつどい実行委員会」を発足して“平和宣言”をおこない、「平和の旅」を企画してヨーロッパでのユダヤ人虐待の跡をたどり、韓国では現地青年との交流をしました。札幌藻岩高校は、放送局員が細菌兵器研究の『関東軍731部隊』を取材したビデオ番組を制作。北海高校では学校祭に戦争パネル展を開き、釧路ほか道内各地の高校生も戦争問題に取り組んでいます。小中学校でも教師の熱意によって「戦争と平和の授業」がすすめられています。そうした教育現場から声をたずねてみました。

韓国の学生から日本の戦争を教えられるって、なぜなの?

イメージ(「平和の旅」の印象を語る月坂さん(左)と佐藤さん(右))
「平和の旅」の印象を語る月坂さん(左)と佐藤さん(右)

北星学園大学の『平和の旅』に参加してヨーロッパ、韓国の戦禍の跡を視察した 月坂 尚巳さん(学生) 1973年(昭和48)生まれ

「平和の旅」は日程を凝縮し、駆け足で回ったのに、すごく重い印象の旅でした。

韓国の学生との交流の席で「なんでアジアじゃなくて、ヨーロッパに行くのか」と問われたときは、なにか自分たちが悪いことをしたような気持ちになりました。でも「私たちだって平和を考えたい。自分に何ができるのかを探すために、たまたまヨーロッパを選んだだけ」という気持ちもあるんです。ですから「何も考えていないんじゃない。過去のことを見つめる気持ちはあるのに、同じ世代の学生や高校生から、どうしてこんなに責められるんだろう」と思いました。でも、ソウル市内で日本が戦争でやったことの跡を見せてもらいますと、韓国の彼らが私たちを責める気持ちが少しわかったような気がしました。

韓国のガイドさんがすごくベテランの方で、第二次世界大戦中は青春時代だったとのことでした。たまたま、旅行者から従軍慰安婦の補償問題についての質問が出たんです。「民間レベルで補償すると言っていますが、それではいけないんですか」って。すると、ガイドさんの目の色が急にものすごく変わり、お話のトーンも変わって「そんな、お金の問題じゃないんです。日本という国が、ほんとうに悪いことをしたという気持ちがあればできることなのに、その謝罪をしようとしない。その気持ちが許せないのです」と言われたことが、すごく強い印象で残っています。

戦争責任に対して、日本政府がとっている態度は情けないですよね。日本にいたらわからないけど、ソウルに行って学生と交流していると、ほんとうに情けない思いでした。私たち若い世代が戦争について知らないこともそうですが、PKOについても、アジアの人から見てみれば脅威なんだということは、外国へ行ってみなければわからない。でも、それを支持しているのは国民じゃないですか。政治家や官僚がやることにも「ああ、それでもいいんじゃないの。勝手にすればあ」という感じの風潮をつくっているのは国民なのですから、ほんとうに情けないな、って思いました。

韓国の学生から、たくさんのことを教えられました。私たちが知らなかったことを相手が知っている、これは何なんだ。たしかに自分たちがしたことじゃないから「関係ない」と言っていたら、国際社会で孤立してしまうのは目に見えています。

将来のことを考えると、私たち若い世代の人たちとの個人的な交流から始めることだと感じました。戦争責任のことを話していても、同じ世代に生きている若者ですから通じ合えるものがたくさんあって、話をしたら、すごく楽しいんです。そんなところから理解しあって、国家間のおつきあいも始まるといいなと思います。

私たちが戦争責任を背負っていくかと問われたら、簡単に「はい」とは答えられないですね。こんなに重い責任を、充分に謝罪もせずに長いあいだ放置しておいて、これから社会を担っていく世代に負い被せられるんじゃ、恨んじゃうな、って気持ちです。その覚悟をするには、自分にも無関係じゃないと、関係づけられるかどうかが問題じゃないかなと思うんです。多くの人たちが、過去の戦争責任が自分にも関係あることだという歴史観が持てるようになればいいなと思っています。

戦争責任を解決し、手をとり合って平和を守る活動へ

イメージ(アンネ・フランク博物館を見学する「平和の旅」の学生たち)
アンネ・フランク博物館を見学する「平和の旅」の学生たち

北星学園『平和の旅』の途上、韓国学生との交流で加害責任の重さを痛感した 佐藤 寿恵(ひさえ)さん(学生) 1975年(昭和50)生まれ

韓国の学生に「どうして韓国や中国に行かな「でヨーロッパに行くのか」と質問されて「日本が直接危害を加えたのがアジア諸国なのだから、まずアジア諸国のことを勉強すべきではないか」と指摘されたときはショックでした。よい答えなんか用意していませんでしたので、とても辛く、あらためて私たちは向こうの人たちに許されていないんだなという感じがしました。とりあえず「勉強不足です」としか答えようがありませんでした。私たちは広島とか長崎とか、こちらが被害をうけたことについては勉強していますが、正直言って加害者としての教育は受けてきていないのです。向こうの人は「謝罪などよりも、きちんと正しい歴史事実を学んでほしい」と強く願っているようで、日本の教育のあり方についても重く感じさせられました。

正しい事実を学べない国民は、ほんとうの意味で、幸せなのかなと思います。私たちは温室の社会の中で生きているため、ほんとうのことが見えなくなっているのかな。アウシュヴイッツをいちばん見学するのはドイツ人なのだそうです。ドイツ人は、自分たちが犯してきたことをしっかりと見つめて勉強しているのに、私たちはそうじゃない。どこの国に行っても、戦争問題とか、自分たちの国の政治のことを考えたり議論するのは当たり前で、すごく知識があり、自分の信念をしっかり持っています。韓国では、徴兵制度があり、お会いした大学生も「来年から軍隊に行かなくてはいけないので、大学も休学しなければならない」と言っていました。そういう現実が、隣の国にはあるんです。その点、日本は平和ですし、好きなことを学べる時間はあるのです。戦争や核、軍縮の問題だけじゃなく、環境問題、人種問題、飢餓の問題なども学び、自分にできる限りの行動をしていけるようでありたいなと思います。

私たちの時代は、一つの国だけで生きてはいけない世界になっていると思うんです。いろんな人種や文化を持つ人たちと手をとっていかなければなりません。日本は戦争問題や過去の蛮行について早く解決し、世界の人と国境を越えて手をとりあって、平和を、そしてこの地球を守っていく活動をしなければと思います。

戦争で罪もない人を平気で殺す人間とは何なんだろう

イメージ(「関東軍731部隊」をビデオ製作した札幌藻岩高校放送局の生徒たち)
「関東軍731部隊」をビデオ製作した札幌藻岩高校放送局の生徒たち

『関東軍731部隊』を全局員で取材しビデオ番組を制作して反響を呼んだ 札幌藻岩高等学校放送局 大山春名、小林達、坂本峰紹、櫻井聖子、進藤光、塚田ゆい、本田瑞希(各2年) 菅原孝雄(1年)のみなさん

「制作前に『731部隊を知っていますか』と市民の人たちにインタビューをしました。かなり多くの人に聞いたのですが、知っている人は1割もいないほどでした。

いろいろ調べていくと、生体実験など、ふつうでは考えられないことをやっていたことを知りました。そんな、とても大事なことなのにだれも知らないというのは、おかしいんじゃないかなと思いました」

「生体実験で赤ちゃんとか、妊娠している女のひととかを実験につかっていることがわかって、もう、こんなこと絶対やってほしくないなと思いました」

「ほんとうに、731部隊は生体実験などで人間を道具みたいに扱っている。いったい、そんなことをする人間とはなんなのかと思いました。そして、そのことを番組で作ってみたいと考えました」

「日本の戦争については、おじいちゃんからいろいろと聞いて、中学校のころから自分では調べてきています。太平洋戦争の話を聞いていると、必ず残酷な話が飛び出してきて、なんでこんなことになってしまったんだろう。日本で暮らしていたときは善良な市民だったのに、戦争に行って兵士になった途端、なんの罪のない人をどんどん殺してしまう。何がこんなに、その人を変えてしまったんだろうと思っていました。親戚にも当時の軍人が何人かいるので聞いてみたけど、その答えは全然わからなかった。戦争がそうさせた、と簡単に言ってしまうことはできるけど、そこに何があったんだろう。それがいま、ぼくの疑問です」

「日本の国民全員が望んで、戦争をしたわけではないよね。教育の場で、国家のため、国民のため、天皇のためなら死んでもいいという感じにさせてしまう。上のほうの人たちは、日本が戦争をやって勝てば世界支配ができ、優位に立てると思ったんだろうけど、平和に暮らしていたふつうの人たちまで巻き込み、新聞報道なんかも規制して、日本は勝ってるんだと言いつづけて終戦まで戦っていたんだよね。そこまでして、戦争する必要があったのかな」

「あれは、明らかに侵略戦争だった」

「ぼくは、必ずしも侵略一方だけではなかったと思います。あれは“戦争”だったと思うんです。侵略とか防衛とか、全部が組み合わされてあの戦争になったと思うんです。悪い面を見てしまえば完全に侵略ですし、罪もない人を殺してしまいました。そして戦争犯罪を数多く繰り返して、日本という国のイメージを完全に悪くしてしまいました。戦争を始めたのは、中国に日本が介入して占領し、日本の支配下におこうという時代遅れのことをしましたよね。そして、どろ沼化してきた日中戦争のなかで、身動きできなくなって、ついうっかりアメリカに手を出し、真珠湾攻撃にいたってしまった。これは、日本という国がいかに明確な国策がないというか、方向性がなかった結果だと思います。クラウゼヴィッツという人は“戦争は政治の延長である”って言っていますけど、日本にはまったくそんなものはなかった。その結果、日本の国民自身も傷つけられることになってしまったし、まわりの国の罪もない人を殺してしまうことになってしまった。なんて日本は罪深い国なのかと思います」

「侵略戦争かどうかと議論したって、もう終わっちゃったことなんだからさ。従軍慰安婦問題や、いろんな悪いことやってるのは事実でしょう。げんに中国の人だって、日本に補償をしてくれと言っている。それはちゃんと国でこたえることで、民間から募金を集めるようなことじゃないと思う。やっぱり国が『すみませんでした』と謝って、お金を払うべきだと思う。被害をうけた人にちゃんと謝罪と補償をして『もういい、許しましょう』と言われるまで全部終わらせてから、侵略戦争だったかどうかの話はしたほうがいいと思う」

「ぼくらにとっても、被害をあたえた人に対して『おれたちに関係ない』で済む問題じゃない。客観的にみて、もし日本が悪くて補償することになったら、日本人として生まれた者としてその責任をとるべきだと思う。それはお金だけの問題じゃなく、誠意とか、もっと大きな意味で、ほんとうの賠償をするべきだと思う。それを『おまえたちが払え』と言われたら、当然、払わなければならないことだと思う」

「ぼくのおじいちゃんなんかは『自分が戦争を起こしたわけじゃなく、いきなり戦争が起きて、引っ張り出されて戦ってきた。そしてボロボロになってようやく帰って来た。それでまた国民で補償をしろと言われると、おれたちにすれば、なんか理不尽な気がする』と言っていました。日本という国の単位でみれば、過去にたいへんな悪行をやってきたんですから、その悪行をすべて精算するというか、せめてもの償いはしようという気持ちをぼくたちが持たなければ、日本という国の誠意というか、責任のとり方が問われると思います」

「この前“戦後50年国会決議”って、あったよね。あれは、ぼくらにも謝っているのかどうかよくわからないけど、相手の国から抗議運動があったよね。それでは、こちらの気持ちが伝わっていないということだから、意味ないんじゃないの。あの決議は相手の国にむけて決議するもののはずだから、相手がわかってくれないものを決議したって、バカみたい」

「国として、あの戦争についての決議とか宣言を出すのは無理なんじゃないかと、ぼくは考えているんです。日本の国の一人ひとりがいろんなことを考えているわけですから、国民の意見を全部出させて平均的な意見をまとめようとしても全然意味ないと思います。あんなあいまいな決議をしてもアジアの人の反感をかうだけですから、ほくはむだだったと考えています」

「ぼくたちの時代は、世界と人びとが国と国でつながるのではなく、肌の色や言葉が違っても、一人ひとりの個人がつながって相手のことを理解する。インターネットとか、世界に旅行できるというのは手段にすぎないけど、そんなことからも、おたがいに理解しあえるようにしたいです」

戦争と平和の問題を「いじめ問題」と連動させて教える

イメージ(小学生に戦争の加害責任も教えている岩瀬先生)
小学生に戦争の加害責任も教えている岩瀬先生

小学生に戦争と平和の授業をしている 岩瀬 義丸さん(教師)1954年(昭和29)生まれ

広島町立若葉小学校は以前から“戦争と平和の授業に取り組んでいます。岩瀬教諭は、現在、同校の4年生を担任。昨年の「朝鮮人強制連行」に次いで、今年は「中国人を殺した元兵士の話」をクラス全員の子どもと話し合う授業をつづけています。

小学校の子どもたちは年齢差があって、1年生にも6年生にもわかるように、それぞれの担任が学年にあわせて、わかりやすくかみくだいて話をしています。

私は去年この学校に赴任しました。3年生の担任を持ったときに話したことは、戦争当時、一般的な認識として国民全員が戦争に巻き込まれて戦争が遂行されたと思われがちですが、じつはそうではなく、しぶしぶ戦地に行った人もいるだろうし、自分のできる範囲で抵抗に近いことをした人もいた。また、真正面から抵抗して牢屋に入った人もいただろう。そのように、日本人の対応は、必ずしもみんな一緒だったのではない。いろんな人がいたのだということで、最近わかった杉原千畝(ちうね)さんの話や実際に投獄された人の話もしました。そのあと、戦後につなげる意味で、朝鮮人の遺骨を自分で掘って韓国の遺族に届けている深川市の住職さんの話をしてみたのです。

今年はもう少し深め、実際に加害体験を証言されている人の資料を子どもに読み聞かせ、被害をうけた国の人の対応とか、私たちが戦前の責任をどのように引き継いでいったらいいのかという課題にポイントをおいて子供たちに話してやりました。

授業フ流れとしては、私は国語の時間に川柳とか短歌を子どもに教えていますから、最初は歌人宮柊二(みやしゅうじ)が戦争体験を詠んだ『山西省』という歌集から、小学4年生にもわかる短歌2首を選んで読み取りをしました。そのあと、実際にあの戦争で亡くなった人の数を教えてみました。あの戦争の犠牲者は、一般的にはアジアで1800万人から2000万人以上といわれ、日本では310万人といわれています。それは、量としてどれくらいなのか。1人の命を1平方ミリと仮定したら、日本人の犠牲者310万人はどれぐらいの面積になるかを、子供たちが四隅に立って実際に確かめてみる。アジアの2000万人といえば、教室全体に広がる。それで、子どもは一目瞭然に把握することができます。そのようにして、量を知らせてみました。

さらに、その2000万人のアジア人犠牲者の中には、日本人が行って殺した分があることを教えながら「日本人のなかで、勇気のある人は、自分がやったことをこんなふうに言っているよ」と、新聞記事の中の証言を読み聞かせました。向こうの国で何人かを殺してしまい、そのあと中国の収容所でいろいろ教育を受けて気持ちを変えたのでしょうね。「非常に後悔して、一時期は自殺をしようかと考えた。でも、それを止めてくれた中国人もいた」という話をして、考えさせてみたのです。ほとんどの子が意見を発表しました。大方の意見の傾向としては「あとで、悪いことに気がついてよかったよね」と言っています。

授業としてはそこまでなのですが、戦争は、いま問題になっている「いじめ」と共通した問題なのです。いじめにも被害者と加害者がいて、そのことで話し合いをすると、やられた側の子がたくさんの意見を言い、やった子は黙して語らずです。これは大人の構図とまったく同じです。その辺をふだんからどの程度深く扱われているかが、戦争と平和の問題を扱ったときにも大きな意味を持ちます。そうでなければ理屈だけになってしまいます。加害と被害の立場の違いは、具体的な形で教えなければ、わからない部分があります。理屈だけで「日本はアジアでこれだけの人を殺した」と言っても、子どもたちにはピンとこないのです。「だって、命令されてやったんでしょう」「やらないと、自分がやられたんでしょう」という意見がはね返ってきます。ですから、生活指導面からの、いじめの問題などを絶えず話し合っているなかで、折に触れて戦争と平和の話をすると、子どもなりに理解できるだろうと思います。小学校の場合は、何年にこんな戦争があったというよりも、そのことを人間的に受け止める“感性”を育てることが大切です。

アジアなどとの交流が始まって「歴史認識にたいへんなギャップがある、違いがある、溝がある。この差は何だろう」と見たら、教科書の戦争についての記述のページ数が違うのです。日本の歴史教育は、受験にパスすればいいような一種の受験の道具です。しかも近・現代史は入試に出題されません。ドイツの場合をみると試験に出ています。出るから、学生は勉強します。そこには、教える立場の問題があります。日本の場合、教科書は文部省の検定をパスしなければならない。すると、国の利害も出てきます。でも、もう少し国の利害を超えて関係国と交流し、歴史をどのように教えようかという話し合いができないものでしょうか。

よく知られているドイツの教科書協議は、すでに第二次世界大戦前からあるのです。その積み重ねがあって、ポーランドとのあいだで1976年から再開されたのです。ドイツとポーランドは、日本と朝鮮とによく似ていますから、数年前から、日本でも教科書協議をやろうかという話がようやく出るようになりました。韓国の人からは、ずっと以前から「やりましょう」と声をかけられていたのです。その時は日本の学者の一部から異論が出て、現在も実現しないままになっています。一部、民間レベルでは数年前から始めたところがあります。

子どもたちの中からは、やがて企業に勤めて、アジアに行く子もたくさん出てくるでしょう。すると、そこで具体的な問題に出合うと思います。そんなときに、その人間がどんな判断ができるか。自分というものをしっかり持って考えられる人間に育ってくれるでしょうか。一個の人間として、別の人間に対したときに国籍に関係なく、いろんなものを感じ取れる“感性”をうまく育てることができるかどうかが、小学校教育のポイントかなと思っています。

――「日本軍のアジア進攻は解放と独立への支援だった」という認識も、国内の一方には存在します。では、その実態をどれほど現地調査されたのでしょうか。次に、実際に現地調査した人の見解をたずねてみました。

戦後世代には正義や国際的人権という共通言語がある

イメージ(「日本の侵略はアジア人の共通語」と話す石田さん)
「日本の侵略はアジア人の共通語」と話す石田さん

アジア人への人権侵害と被害補償問題で現地調査をつづけている 石田 明義さん(弁護士) 1951年(昭和26)生まれ

日弁連人権委員会の一員として、数年前から、旧日本軍が被害をあたえたマレーシア、シンガポール、インドネシア、香港などを訪れて現地の状況を調査。一昨年、京都で開催した日弁連人権擁護大会シンポジウムで戦後補償問題を発表するなど、積極的な取り組みをつづけています

アジアの人びとに対する人権の回復や戦後補賞には、従軍慰安婦問題、強制連行をはじめ多様にあります。太平洋戦争が侵略か否かが日本では議論をよんでいますが、アジアの人びとにすれば「何を言っているのか」という感情でみています。それは、双方の戦闘行為で殺されたり傷ついたというものではない。むしろ、ヨーロッパ列強に占領されてはいても、一定の秩序が保たれているなかに日本軍が侵攻し、反日・抗日の名のもとに住民を虐殺し、村を消滅させたという事実を知ると、とても「日本軍はアジアを解放した」とか「戦場にはなったが、日本軍はアメリカ軍と戦争をしたのだ」などと言えるものではありません。やはり、日本が侵略して被害をあたえた、それが現地の人の共通の認識なのです。

その被害が、いまも何一つ回復されようとしていない。そればかりか、その事実を認めようとしないし、謝罪しようともしないまま現在にいたっています。そして、経済進出によって、いまも大きな力を持っている。そのことに対する一定の不安感は、多くの人が持ちつづけているのです。

政府は「政治的賠償責任は解決済み」と言います。たしかに政治的領域では解決したが、これも、まだアジアの国力が脆弱ななかでサンフランシスコ講和条約以降の賠償協定を結ぶに当たり、日本やアジアの共産化を防ぐ目的のため、アメリカの力によってかなり抑制したものになっていたのです。賠償がなされた場合も、じつは賠償国にプロジェクトをつくり、そこを受け皿に日本の財界が進出し、自らの経済復興をはかる足がかりにしていた。この事実は、大蔵省も認めているのです。ですから、被害をうけたアジアの人たちは間接的には多少の恩恵はあったかもしれないが、直接的には何んら補償されていない。そこがドイツの場合と違うところです。

ドイツは、ナチスが被害をあたえた人たちに、ずっと補償をつづけてきました。これからも10年20年、全部終わるまでつづけていくことでしょう。現在までに日本円で7兆円ほどの補償をしており、最終的には9兆円程度になるとみられています。これに対して日本は、全部合わせても1兆円程度しか手当てしていないのです。

戦争被害への補償は、戦勝国もおこなっています。ここ数年のあいだに、アメリカもカナダも日系人の被害に対して「あれは人種差別で、聞違いだった」と謝罪し、補償もしています。フランスも、セネガルの人を自国の兵士として徴用したが、国籍がないということで補償をしなかった。それが国際人権擁護委員会で問題になり、国籍は違っても、元はフランス兵士だったことを認めています。ところが、日本の場合は朝鮮や台湾の人を自国の兵士に使いながら、戦後は「日本国籍ではない」と、賠償協定を盾にとって切り捨ててきました。こうした戦争被害を放置してきたことは、さらに新しい人権侵害を生んで、継続されているのではないかと思います。

これからは、戦後世代が、過去の戦争責任を担っていかなければなりません。私たちは、結局は日本に住み、日本の国民として生きていくわけです。過去の歴史には良い歴史も悪い歴史もあり、プラスの財産もマイナスの財産もあります。私たちは、やはりマイナスの財産も引き受けていかなければなりません。戦後補償の問題を考えた場合、できるものなら個別的な補償やケアをする。それができないとすれば、もっと別な形で被害回復、名誉の回復が実現できる方法を両国で考えていかなければなりません。

私は、日本がアジアの国々にほんとうに信頼される関係をつくれるかどうかを考えた場合、現在のような認識を持ちつづけるなら、さらに悪くなるのではないかという危惧を持っています。端的に言えば、日本は過去に戦争を起こしてアジアの国々に被害をあたえた。戦後、大きな経済発展を遂げて金持ちになり、PKOという名で自衛隊を海外に派遣したり、ずいぶん乱暴な発言もしていることに、危ないなという思いがあります。日本に留学した経験を持つ、親日派のシンガポール人が言っています。「日本の経済力が、いつまでも世界一であるとは限らない。シンガポールもマレーシアも力をつけてきている。やがて現在の経済の力関係が崩れたとき、日本がいまのように戦争責任をあいまいにし、時間に解決を任せているようなことであれば、アジアからの不満や要求がいま以上に噴き出してくるのではないか。そのことによって、日本はアジアからも、世界からも孤立していくのではないかという危惧を感じる」と。

侵略戦争の結果を謝罪や補償によって元に復すためには、あるいは、いちど崩れた平和に対する不信を取り戻すためには、こんなに時間も一定の金もかかるということを身をもって体験するほうがよい。そして、侵略戦争など不正義な戦争をしたら、このようにとんで烽ネいことになるのだと、世界の歴史上、初めてと言えるくらいの戦後補償をしていけば、日本はかなり世界の平和に貢献できるのではないかと思います。

戦後世代の過半数は戦後補賞をきちっとしたほうがよいと考え、受け止めていると思います。アジアで補償問題にかかわってきた戦後世代の人たちは冷静です。われわれ日本の戦後世代も、やはり冷静です。過去にこんなひどいことをした歴史的事実に対して「正義」とか「国際的人権」という“共通言語”をたがいに持っていますし、かなり客観的に、冷静に判断する能力を持っています。そして、いまの若い人たちは、会社よりも国家よりも、個人の生活を大切にする意識が強まっています。そのため、個の尊厳を守る人権意識は、けっして低くはない。正しいことを正しく教えさえすれば、将来を託すに不安はないと思います。

◎この特集を読んで心に感じたら、右のボタンをおしてください    ←前に戻る  ←トップへ戻る  上へ▲
リンクメッセージヘルプ

(C) 2005-2010 Rinyu Kanko All rights reserved.   http://kamuimintara.net