昨年の6月のこと、憧れの唐津を訪ねた。旅先では必ず古本屋を探す。刀町に一軒見つけて入ってみると、驚いたことに若い店主が札幌・市英堂のパンフレットを拡げていた。探していた柳宗悦の『南無阿弥陀仏』はじめ、古い版をかなり手に入れることができた。
父が好きだった吉田絃二郎が揃っていた。絃二郎が佐賀の人であるとは知らなかった。重複している2冊だけを買って帰ったのだが、これが思わぬ発見、収穫となったのである。
その前年の7月、東本願寺の仕事で鹿児島の子どもたちと合宿のため、はじめて甑(こしき)島に行った。東シナ海に浮かぶユリやネムの花咲く島である。「かくれ念仏」の里であり、今も真宗の信仰篤い。
片之浦という集落には(地名を明かしてもよいだろう)クロ教という信仰があって、黒ネコを大事にし、人が死ぬとその肝を喰うんですよ、と教えてくれた人がいた。むろん今の話ではないだろう。ドライヴして寄ってみると、静かなたたずまいの家々で、人影はまるでなかった。この伝説のクロ教なるものは、異国の習俗の匂いがする。
絃二郎の小説集『一人歩む』は、大正末期の本であった。巻頭の1篇『草の上』に驚かされたのである。
…失意の男が妻子の元に帰る。隣村の礼拝堂が完成していた。隣村の人たちはヤソ教を信じて処刑された人々の子孫であり、周囲の村の人たちは侮蔑の眼で見、「クロ」と呼んだ。「クロは死ぬる時には、クロの法師が生き肝をえぐりとるんじゃそうな」。男は少年の頃、堂塔を建てるために無言の行のもとに煉瓦を運ぶクロの一群を見ていた。……
この二流の中篇は悲劇に終わる。つまり甑島のクロ教というのは、「かくれ切支丹」だったのだ。信徒たちがわざと気味の悪い風説を流して、自らを世間から隔離したのである、と私は推論する。
この9月、唐津を再訪。木下書店さんにこの話をした。そして探していたバーナード・リーチの『日本絵日記』を入手したのであった。