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1985年03月号/第7号  [ずいそう]    

ふるさとを語る遺産
海保 洋子 (かいほ ようこ ・ 新札幌市史編集員)

現在の札幌市民の3代あるいは4代前をたどってゆくと、必ず本州のある府県名―それも東北・北陸・山陰・九州と地域性がある―にたどりつく。これは現在青森県や長野県に住んでいる人びとの3代あるいは4代前をたどるのとわけがちがう。

ところで、札幌市史の関係で出会った人びとや史料を通して、それぞれの“わが家の歴史”――それも移住してくる以前の―に接することがしばしばある。それは紙に墨で認められたものであったり、台所用具であったりさまざまな顔をしている。

篠路O家の場合。明治14年岩手県より篠路に移住。先祖の「由緒書」、「系図」、「日記」、その他書画多数所蔵。O家は南部藩の勘定方を勤め、幕末は新道普請に、また廃藩置県後は盛岡県開拓懸、岩手県地券掛筆工となる。明治14年一家4人で盛岡を出立、17日間かかって篠路に到着している。篠路に移住した明治14年1年分の「日記」は盛岡の家の整理から篠路での新しい生活のはじまりまでが実に詳しい。なお先祖の「系図」は治承4(1180)年までさかのぼることができる。また絵画を好んだとみえて花鳥風月を描いたものなど教養の広さがうかがわれる。移住後もこれらの“遺産”が代々大切に伝えられてきたことだろう。

琴似M家の場合。明治8年宮城県より琴似に屯田兵として入植。北海道移住を一旦辞退するにいたった古文書などを所蔵。M家は廃藩後北海道移住を思い立ち明治5年に現地有珠地方を跋渉。同6年移住と決定するが、妻の病気を理由に残留。宮城県への編籍願がその経過を示してくれる。しかし、屯田兵召募に際しては率先して残留者に案内、そして明治8年屯田兵に参加。その経過は「琴似兵村史」に詳しい。

桑園I家の場合。桑園開拓者の1人、養蚕家でもあった。寛政年間購入の箱書きのある膳箱、朱塗・黒塗の椀類を所持。購入年月を箱書きする習慣は江戸中期の茶道にならったといわれるが、人寄せのための台所用具をもふるさとから運ぶことができた例である。移住途中、大切な摺鉢を落として割ったという昔話が思い出される。

まだまだ、言葉、習慣などふるさとを語る“遺産”は身近に存在しそうである。

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