小学校の6年生ごろ、中学入試の夏季講習をさぼって自宅近くの浜甲子園でハゼやテンコチを投げ釣りでとった記憶があるが、それっきりだった。昭和39年に友達と利尻岳や知床の山々を登った時にもそれほど川には興味がなく、目が向かなかった。本格的な?釣りは研修医でお世話になった斗南病院での舟釣りであった。
このころ、I先生の手ほどきを受けて、古平川、目名川、臼別川、利別川などに、ヤマベ釣りのお伴をした。土曜日の午後に出発し、曲がりくねった砂利道を通って臼別温泉には夜遅く着く。蚊帳を吊って寝る準備をしてから、ランプの燈りをたよりに真っ暗な温泉に入った。冬の五色温泉で雪の壁に囲まれて見た北斗七星と同じように、天の川が近くにはっきりと見えた。温泉のすぐ前から釣れる楽な川であったが、今はダムができて禁漁となっている。利別川上流のピリカにもダムができた。この20年間は、年に数回、K氏とほぼ同じ時期に、同じ場所で釣ることが多い。慣れ親しんだ川で、時刻のみ合わせて上下流へ分かれ、半日を1人で、ときどき独りごとを言いながら目印を追う。ヤマセミの滑空を眺め、熊蜂や薮蚊を避け、異常な葉音に山親爺かと振り返り、ザックに付けたねぶたの鈴を鳴らしながら、ヤマベを釣る。なにごとにも賛え難い快感である。
同じ川によく行くと、年々川が荒廃していく様がよく解る。昔は上流まで砂利道であったが、今やほとんど舗装され、しかも2車線となっている。1日じゅう釣っていても、車の音は数回しか聞こえない。このためか、水量は減って、10年前まではまったく渡れなかった函が渡れるようになり、少しの雨でも川が濁ってくる。魚道のない砂防ダムが埋まったままというのも結構ある。これぞ世にいう公共破壊事業か。
しかし、昼過ぎにK氏と一緒につくるヤマベの唐揚げと冷たいビールは格別である。また、夕方まで釣って、温泉に入ってからのバタンキューの熟睡も気持ちよい。いつまで楽しめるのだろう。