「ひそかに眺める星に自分の名前をつけさせてくださるなどという発想は、空気のきれいな所に住む人のアイデアだなと、とても感動しています。自分の名前とボーイフレンドの名前を申し込みます。“超”がついてしまう遠距離恋愛の私たちですが、せめてお空の上でぐらい近くにいたいと思います。獅子座に指定させていただくのは、初めて出会った日の真夜中に、ちょうど、ふたりの真上にあった星座だからです。もし、隣同士でいられる星があったら、その星にしてください」(神奈川県の女性)
「星を見るのが大好きな彼女へのクリスマスプレゼントにしようと思っています。さまざまなことがありましたが、いよいよおたがいに結婚を意識するころになりました。ふたりの気持ちを星にこめて、永遠に輝いてくれることを願っています。ぶじゴールインできたら、お礼をこめて初山別村にふたりの星を見に行きたいと思います。もの騒がしい世の中、このようなすばらしい、夢のある企画をたてていただき、ありがとうございました」(千葉県の男性)
「親子3人で申し込みますが、もう1人、子どもを生む予定がありますので、近くに仲よく並べていただけると、たいへんうれしいです。私たちの両親にもプレゼントしたいと思っています。全員の申し込みがすんだときには初山別村を訪れ、星と名前を愛でる旅にしたいと楽しみにしています」(群馬県の夫妻)
「Dreams of Kunihiroと名づけます。現在17歳の私。将来の可能性がたくさんある時に、星に夢をかなえてほしい、夢を実現させようという決意を託しました。初山別村は初めて知った地名です。大学生になったら、ぜひ行ってみようと思っています」(東京都の高校生)
「私の大事な大事なおふたりのために星をいただきたいと思います。ここ数年、私は病後の体調が悪くて寝たり起きたりの生活のうえ、昨年は締め切りのある仕事に行き詰まり、身も心も疲弊していました。アウトドア志向で星の好きなおふたりは、深夜、もう死んでしまいそうと泣く私を外に引きずるようにして星を見に連れだし、励ましてくれました。いま、私は毎日元気に働けるまでになりました。最悪の時にささえてくれたおふたりに、そしてもっともっと生きていたい、ガンバルゾ!と思っている私のために、星の輝きをいただきたいと思います」(京都府の女性)
「今年(1995年)5月、最愛の人が遠い空へ旅立ちました。どこへ行っちゃったんだろうとつぶやく私に、友人は“お星様になったんだよ”と言いました。幼いころからそう聞かされていたものの、なんとなく聞き流していた言葉が、いまは心の底からそうであってほしいと願わずにいられません。彼の星がある――そう思うことで、彼を身近に感じることができる気がします。すてきな夢を企画してくださった役場のみなさんに感謝します」(北海道の女性)
――こんな人生のドラマを散りばめた便りが、北緯44度32分、人口1900人の小さな北の村に毎日のように届いています。それは、この村が昨年4月から「あなたの名前をつけた星を持ちませんか」という呼びかけに応じた人びとの、心こもる便りなのです。その便りの数は、2月上旬現在で1600通を超えました。道内はもとより、鹿児島を除く全都府県、さらに海外からも登録の申し込みが寄せられています。
名づけて『マイスター・システム』。この事業を担当している村役場(苫前郡初山別村字初山別 電話01646-7-2211)企画振興課の主任、大水(おおみず)秀之さん(34歳)は、次のように話します。
「最初は遊びごころのつもりでしたが、それぞれに真剣な願いをこめて申し込んでこられます。私たちは、その思いを大切にしなければと、心して登録作業をさせてもらっています」。
初山別村は、札幌市から北上すること220キロ。オロロンラインと呼ばれる国道232号に面した北日本海沿岸の村。約700世帯は、漁業と北限圏内での米作りを主体に暮らしています。
その村に、東北以北最大の口径65センチフォーク式反射天体望遠鏡を設置したのは1989年(平成元年)7月でした。その前年2月、北海道留萌支庁の主催で管内1市7町1村の青年が集まって留萌地方の振興策を話し合ったとき「この地方には他に誇れる文化施設が少ない」という意見が多く出ました。出席者のなかに留萌市で星の観察活動をしているグループのメンバーがいて「この地方には暗い夜空があるので、天文台があったらいいね」という発言があったのです。「それなら、うちの村にマッチするのでは」と持ち帰ったところ、当時の江良重太郎村長が「それは夢のある事業だ。村の活性化のシンボルとして取り組もう」と即断、なんと半年後の9月には村内の岬に着工したのです。建築費は、約2億1000千万円。アポロ11号の月面着陸船をイメージし、4つの支柱が東西南北に向けて立つデザイン。約9000万円の費用で、道内では最大だった札幌市青少年科学館よりも大きい口径65センチの天体望遠鏡と、それを移動制御するためのコンピューター、その他の備品を備え付けたのです。以来、初山別は“星のむら”としてアピールし、天文教室、月や土星を楽しむ会、終夜観察をする星まつりなどのイベント、星をデザインした街路灯やカラーブロッグ歩道の設置などをすすめてきました。
そして「一昨年の夏のある日、星に名前をつけて個人に所有してもらったら、おもしろいんじゃないかというアイデアが浮かびました。肉眼で見ることのできる満天の星は6等星くらいまでで、その数は6~7000個。そのうち名前のついている星は約3000個。5等星以下の恒星は国際認定番号だけで、固有名詞を持っていない星なのだそうです。そこで、この村だけに通用する名前ですが、それぞれに自分の思いをこめた名前をつけて楽しんでみてはと考え、『マイスターズ宣言』をすることにしたのです」と大水さんは話します。この宣言は、1995年4月1日に全国にむけて発表されました。「エープリルフールの日で、大いなるジョークですが、私たちは本気でこの事業に取り組みますよ、という決意でした。登録作業は七夕の7月7日に開始しました」と大水さん。登録料は、星1つ5千円。所有した星の星図入り認定証明書と、星の音楽8曲が入ったCDが贈られます。
この新聞発表にいち早く眼をとめて、第1号の登録者となったのは、札幌市内の特別養護老人ホームに入所している西田喜代子さん(80歳)です。西田さんが指定したのはオリオン座の中の国際認定番号「SAO-132154」、明るさ6.9等の星です。
「この星を選んだのには理由があるのです。私の尊敬してやまない故野尻抱影先生(星の研究家・文学者)が、生前から自分が死んだらベラトリックス(オリオン座のガンマ星)の下の“オリオン霊園”に逝くのだとおっしゃり、事実、その場所が南中の日に息を引き取られたのです。それで、私の行く先もそのお近くにと決めていたのです。そこへ初山別でこんなすばらしい計画をしてくださったのを知り、私が一生をかけた趣味がこんな形で実現するなんて、うれしくて、うれしくて」と夢がかなったよろこびを語ります。
「私は、1916年(大正5)、三重県津市に生まれました。そこは空気のきれいな港町で、海岸や橋の欄干から見る星空はすばらしい美しさでした。小学4年生の時、初めて自分の眼で北斗七星を見つけて、たいへん感動いたしました。というのは、幼児のころに読み聞かせてくれたロシア民話のなかの、北斗七星にまつわる話が私の心に強く残っていたからなのです。あんなに大きなひしゃくだったのかと、びっくりしました。それで、なんとか星のことを知りたいと思って一生懸命勉強しました。当時、女の子は夜間に外出するのがひじょうに困難でしたので、昼間にしっかり星図を見ておいて、夜になったら昼間に覚えた星を一生懸命探しました。みんなには星狂いといわれながらも4年間つづけ、星のことは全部覚えました」。
そんな西田さんに、19歳の時、札幌に住む人から縁談が持ち込まれました。
「じつは、そのころ札幌が皆既日食の南限にあたるかもしれないということを科学雑誌の記事で知っていまして、ずっと札幌にあこがれていました。そこへ不思議な縁で結婚のお話をいただいたものですから、相手の顔もよく見ずに承諾いたしました。両親は、病弱な娘が北海道へ嫁いだら死んでしまうかもしれないと猛反対でした。しかし、私は皆既日食が見たい一心だったのです」と西田さんは笑います。
「1943年(昭和18)2月の札幌の皆既日食は、ほんとうにきれいでした。皆既日食の始まる寸前、純白の雪の上にさざ波がサーッと流れるような模様が映りました。これをシャドーバンド(陰影帯)といって、世界のあちこちで観測している人でもめったに見ることのできない貴重な現象なのです。美しいコロナも見ることができました。ほんとうに、札幌は私に思いどおりの皆既日食を見せてュれました。その後、戦争をはさんでの生活難、年老いたしゅうと、しゅうとめの介護、自分の発病などと苦しいこともありました。しかし私は、星を見ることでどんな苦難にも耐える強さを得ることができました」。
西田さんがどれほど星の知識を持っているかを証明するエピソードがあります。あるラジオ局の取材のため、札幌市青少年科学館が閉館したあと西田さん一人のためにプラネタリウムを映してくれました。学芸員が当日の星空から順に映し出すのを、ぜんぶ言いあてました。見終わったあと、西田さんはある星が見えないことに気づき、「くじら座にあるはずの変光星ミラが見あたりませんが、どうしたのでしょう」と尋ねました。学芸員がすぐに調べに行き「すみません、その星の電球が切れていて映らなかったのです」と詫びたのです。
「私は、一生望遠鏡は持ちません。ただこの眼で星を見ることだけが好きなのです。野尻先生も、文学を透かして見る科学、科学を透かして見る文学とおっしゃり、民俗学、文学的な思いで星を見ていらっしゃいました。天文学者の山本一清先生も、星は見る楽しみ、そのよろこびだけで充分だと本に書いていらっしゃいます。私も、それだけでいいと思っています。星を拡大して見たいときには天文台に行きます。札幌の中島天文台では、永年のあこがれだった、こと座のリングネブラ(環状星雲)、こぎつね座の亜鈴(あれい)星雲、フレア星の二連星団も美しく見せてもらいました」。
西田さんが初山別のマイスター事業に第1号の登録をしたことを知って、遠く離れて住む友人からも「家の窓からオリオン座を見るたびに、あなたを思い出しています。きっとあなたも同じように星を見ていることでしょう」と交流しあっています。
「じつは、私たちより先に、星に自分勝手な名前をつけて全国、全世界に公言した先駆者がほかにいたのですよ」と大水さんは言い出しました。それは、漫画『巨人の星』(梶原一騎原作・川崎のぼる作画)の星一徹だというのです。第1巻の冒頭まもなく、一徹は東京都荒川区町屋の家の2階の窓から夜空の一点を指さし「飛雄馬よ、あれが巨人の星だ」と教えています。だが、その星は全巻の中でも特定されていないのです。それなら自分たちでその星を探そうと、大水さんはたった1人の『KYOJIN NO HOSHI特定小委員会』を発足させて探索にのりだしました。
「肉眼で見える約5000個の星の中からたった1つの星を特定するには、どの場所から、どの季節、どの時刻、どの方向と高さを示しているかを求めなければなりません。しかし、その条件をみたしているのは3場面しかありません。そこで、まず星家の間取りの徹底検証からはじめました。すると、一徹、飛雄馬親子が星空を見上げることのできる窓は1つしかないことがわかりました。第1場面の季節は、長嶋茂雄選手が巨人軍入団の記者発表の日なので1958年(昭和33)1月下旬。時刻は午後5時30分ごろとしました。次は方角です。窓の方向、一徹の腕の角度から、東の空の仰角13~15度を割り出しました。そのようにして3つの場面を次々に検証していくと、ある輝星が特定されてきました。その星こそ、こいぬ座の1等星プロキオン(0.36等、11光年)だと推定したのです。さらに、いっかくじゅう座とこいぬ座の星々をつないでいくと、そこにはジャイアンツの“G”マークさえ浮かんできました」。この検証は初山別村のマイスター事業にほほえましい花を添えました。
市街から北へ約4キロのみさき公園にある「しょさんべつ天文台」(苫前郡初山別村字豊岬130-1 電話01646-7-2539 週休館日あり)を、一人で守っているのは黒田弘章台長(39歳)です。黒田さんは名寄市の天文同好会で観察活動をしていた星の愛好家でした。
「初山別に65センチの大望遠鏡が設置されると聞いたときは、それを操作できる人はうらやましいなと思っていました。そのあと、まだ職員が決まっていないという話を聞いて応募したところ、すんなり決めてもらったのです」とのこと。それ以来、3階ドームであこがれの口径65センチ大望遠鏡を思うまま夜空に向け、晴れた日のほとんどは星を眺めています。
「この望遠鏡では16等星以上、単純には1億個の星が見えることになります。もちろん、太陽系の惑星では、もっとも遠い冥王星までみることができます。冥王星は、近隣の愛好者といっしょに頑張って探しました。なにせ14等星という暗い星ですし、ほかの小さな暗い星と変わらず、点でしか見えません。そこで、くわしい星図を持ってきて、この星とこの星の、このあたりと確認しながら探したのです。うちの望遠鏡よりも小型では無理なので、かなりの星マニアでも見たことのない人はたくさんいます。やっと見つけて、延べ100人くらいの人に観察してもらいました。それだけではありません。ここでは、5等星以上の明るいッなら昼間も見ます。惑星では、金星はもとより火星、水星、木星も見えます。青い空の中に月や星を見つけると、みなさんは夜とはまた違った美しさに驚かれますね」。
しかし、実際には望遠鏡にとらえているが、接眼では見えにくい天体もあります。冬空のいっかくじゅう座にある有名な散光星雲のバラ星雲、オリオン座の東端に広がる暗黒星雲の馬頭星雲、アンドロメダ座大星雲などは光が弱すぎるのだそうです。もちろん、大望遠鏡にカメラをセットして写しだすと、光を蓄積してそれらの美しい姿をしっかりとらえます。
「都会の人には天の川を見たことがないという人が多く、ここで初めて天の川を見たと感嘆の声をあげます。天の川にレンズを向けると、そこは限りなく星です。そのなかには星団があり、星雲があり、肉眼では1個の星に見えるけれども望遠鏡で見ると2つに分かれている二重星、星がボールのように固まっている球状星団が見えます。球状星団の1粒の星の大きさはどれくらいかと尋ねてみますと、だいたいが地球くらいだろうと答えますが、太陽の100倍以上だと教えると、うわーっと驚きます。渦巻き星雲などはじっと見ていると、だんだん渦の形が見えてきます。もっとも遠くでは、2億光年のかみのけ座銀河団も見ることができます。こと座の1等星ベガ(織女星)は、まさにダイヤモンドの輝きです」。
マイスターは、村の人全員に無料でプレゼントしようと、いま、一人ひとりの顔を思い浮かべながら星の選定を急いでいます。都会の人の感激に比べ、星空を見慣れている村の人の受け止め方は案外クールのようです。天文台ができたころ40人ほどで愛好グループがうまれましたが、いまは数人が残るだけの休眠状態。年に1、2回学校へ出向いて移動天文教室などを開いていますが、さらに活発な観察学習が望まれますし、町内会など地域活動での利用も期待されています。それでも、「天文台は村のシンボル。親類や知人から、すばらしい天体望遠鏡があるんだなと言われると、うれしくなる」という人。「全国の人に夢を贈る斬新な企画を立ててくれたものだ」と村役場の快挙に拍手を送る人がいます。村内の小学校教師でもある加納賢二さんも「子どもたちと天体望遠鏡を覗いていると、何千万光年という時間の旅をして放っている星の光を見ていることの不思議さ、その魅力に吸い込まれていく思いがします。子どもたちも星を見る眼が変わってきたのを感じます。きっと、こんなすばらしい星空をもっているふるさとを大切にする心を養ってくれると思います」と語ります。
東北・北海道最大の天体望遠鏡という自慢も、現在、十勝地方の陸別町で100センチ級を設置することが決まっており、早晩その座を譲りわたす日が来ます。
しかし、多くの天文台は学術的な研究の場であるなかで、「しょさんべつ天文台」は一般開放をメインにしているのが特徴です。昨年12月、入館者が10万人に達しました。入館料は大人100円、中学生以下50円という安さ。混雑さえしていなければ、台長の黒田さんが付き添って望遠鏡を希望どおりに操作して、冬は夜7時まで、夏は夜9時まで観測させてくれるという親切さです。自分の星が所有できる、愛する人に星をプレゼントできるという夢と人生ドラマを贈ってくれる初山別村の心のやさしさは、今後もどこにも負けない輝きを放ちつづけるにちがいありません。
●星は誰のものではないが、同時にすべての人のものでもある。というのも、星の輝きに心癒されたり、星の光に願いをかけたり誓いをたてたりすることは誰にでも許されたことであるから。であるなら、ある特定の星に願いをかけたりすることも、また許される行為では? 心ひそかに自分の星を持つことも。本村では“他の誰をも傷つけない”というただ一つの条件つきで、自分の星を持つことを是認する。
北海道初山別村の天空では太古の時代から現在にいたるまで、無数の星々が恒久のまたたきを繰り返している。初山別村は、この星々に誓って、次のとおり全世界に向け宣言する。
1995年4月1日 初山別村長 阿部 稔
●星を所有することは誰もできないことであるが、星の輝きに心癒すことは誰にでも許されていることである。
●その星の輝きを「自分が所有する」と主張することを、こと初山別村内においてのみ許す。
●本村は「所有」を主張する者に対し、村内においてのみ通用する名前をその「所有する」星につけることを許す。また、所定の手続きを経て申し込まれた名前は、本村の責任において登録する。
●本村は申し出のあった星の名前を永久保管する。
●なお、本宣言以外の法令等との間に相反する事柄が生じた場合は、本宣言以外の法令等が優先する。