ウェブマガジン カムイミンタラ

1996年03月号/第73号  [ずいそう]    

学生とボランティア
片桐 由喜 (かたぎり ゆき ・ 小樽商科大学助教授)

1995年をして、ボランティア元年という人がいる。そして、その余波が、今なお、しかも、広がりをもって続いていることが、いろいろなメディアを通して知ることができる。日本人もまんざら捨てたものではない、あるいは、ようやく欧米並みのボランティアが現れてきた、等々のコメントもにぎやかである。

自発的で、かつ無償であることがボランティアの一般的な定義である。そのような活動体験が皆無に等しい私は、かかる活動を実践する方々に敬服するよりほかない。ところで、従来、この活動を支えてきたのは、主婦や退職された方であった。最近は、大学生がボランティアヘ積極的に参加しているといわれる。

多くの学生は、ボランティアの最適条件を満たしていると思う。すなわち、体力と時間のあることにかけては、誰にも負けないのである。雪かきをしたり、車椅子を持ち上げたり、ボランティアワールドでは気は優しくて力持ちが心強い。一方、「勉強や読書に忙しくて時間がない」と自己の良心に恥じることなく(?)言える学生は、残念ながら多くない。また、近ごろは部活動やサークルに所属する学生も減少している。「時間がない」という言い訳が教官に通用するのは、4年生の就職活動の時期くらいのものであろうか。

周りを見ると、ボランティアしている学生はあまり多くない。照れもあるし、また、きっかけもつかめないでいるのだろう。だからといって、強制はできない。なぜなら、ボランティアと強制は矛盾する概念だからである。もっとも、強制は、ある意味で、その後の自発を促す。基本的生活習慣や読書は、その好例である。アメリカの有名大学では、合否の決定にあたりボランティア活動を考慮するといわれている。活動の強制ではなく、「動機」づけである。批判もあろうが、慧眼との評価も可能であろう。

どこからか、「まず、隗(かい)より始めよ」との声が聞こえてきた。

えらそうなことを言って笑われる前に、そろそろペンを置こう。

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