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1996年03月号/第73号  [ずいそう]    

三浦綾子記念文学館
志賀 健一 (しが けんいち ・ 旭川冨貴堂社長)

旭川市在住の作家三浦綾子先生の業績をたたえ、その歩みをたどる『三浦綾子記念文学館』の建設の動きが、来年の秋の完成を目指して、いよいよ具体的に動き出した。

三浦先生は1964年、朝日新聞の1千万円懸賞小説・1位当選の『氷点』によって鮮烈なデビューを飾って以来、今日まで30年余、盛んな創作活動を続けてきた。特に、ここ数年はいくつかの重い病気と闘いながらも、作家としての情熱はまったく衰えを感じさせない。

三浦先生の謙虚なお人柄から、いままでは、個人を顕彰する記念文学館の建設を何度も固辞なさってこられた。だが、三浦先生の存在は、今やこの世に生を受け、以来、久しく住んでいらっしゃる旭川市のみならず、全道、全国、また海外で三浦先生を敬愛する数多くのファンに対して「公」の存在と化していると言っても過言ではないと信じている。その証左は、昨年12月6日に開かれた「三浦綾子記念文学館建設実行委員会設立総会」に、なんと880人の人びとが参加し、東京、関西からも30人の方々が手弁当でわざわざこの日のために馳せ参じてくださったことに示されている。

現在、実行委員の登録者は3千人を数え、そのほかにも、ご高齢のためとか、また病気療養中のため実行委員としては手伝えないが、できる範囲内で協力するという方々から500通以上のお手紙がとどいている。

「三浦綾子記念文学館」は、旭川が生んだ大きな作家の業績を顕彰することにあり、その全仕事を一堂に集め、全内容をひろく市民全体の共有財産としていくことを目的としている。しかし、それだけにとどまるものでは許されない。記念文学館の設立は、同時に、そこを訪れる人びとの心に、「来てよかった」という共鳴とはげましを呼びおこすような空間にならなければいけない。ちょうど三浦綾子先生が、旭川にしっかりと生活の根を下ろし、そこから他の全地域にむけて鮮烈なメッセージを発信し続けたように、記念文学館は、旭川から、北海道から、全日本に生産的で親愛にみちた鮮烈な文化メッセージを発信する場になっていかなければならないと考えている。

記念文学館は、今年10月着工、来年9月の完成を目指している。三浦先生の代表作『氷点』の舞台となった旭川市神楽町外国樹種見本林が建設地として有力候補だ。

「三浦綾子記念文学館」実現のうねりが全国各地に広がっていくことを期待している。

関連リンク三浦綾子記念文学館  http://www.hyouten.com/

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