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1996年05月号/第74号  [ずいそう]    

煉瓦のとりもつ縁
上遠野 徹 (かとのてつ ・ 建築家)

縁あって弘前にギャラリーを建て、約10年が経った。その建築は「スペースデネガ」と名付けられ、多様な用途で使用、展開されている。今は故人となった施主の鳴海裕行先生のかねて温めておられた構想実現のため、病院の仕事の合間を縫い、建築を勉強され、特に煉瓦について特別の思いをもたれていた。たまたま雑誌で私の作品が目に止まり、わざわざ札幌に出向かれ、実物をみられた。写真と本物の違いを確認した旅だった。建築の構想は外壁に煉瓦を使用することになり、着々と進められ、従来の公共施設で満たされないことを知っている人びとのサポートもあり、演劇、音楽、ギャラリー、催場、展示場などの目的にかなう小規模の建築になった。

煉瓦については、東北地方に有名な喜多方がある。また、愛知県の瀬戸地方の煉瓦も見てこられ、熱心な先生であられた。今まで自邸、病院と建築を通じて、その知識と経験は深く、建築についても勉強家だっただけに、こだわった煉瓦について、初めて出会った私と直ちに共鳴し、ことが進んでいった。結局、江別市野幌の煉瓦を持って弘前に乗り込んだ格好になって、その建築に関わることになった。

城下町のたたずまいを残すこの街に、請われるままに私の作品をつくることになった。煉瓦の持つ魅力を共に期待し、その建築過程を日々見られた先生の建物への執着はますます高まっていった。全くの素人が企画し、文化の発表の場を提供する思い切った姿勢に、有力な若いサポートする方々の応援で実現させた。そのエネルギーを打ち合わせのたびに吸収し、施工者との一体感がよい結果を生み、ひとつの建築が出来上がった。津軽人の文化に対する理解と深さに接し、また、長い伝統と底力を見せられた思いがし、北海道にはなかなか見られない光景を味わった。個人の力強い思いが煉瓦を通し、共通の喜びとなって建築が出来た。かねてから思っていた煉瓦と建築のひとつの証しが、鳴海先生を通して、野幌から弘前へとつながった。次の作品への大切な足掛かりとなった、感謝です。

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