「ロウソク出せ、出せよ。出さなきゃかっちゃくぞ。おまけに、ひっかくぞ」
8月7日、月遅れの七夕の宵、炭鉱住宅街の長屋を、4、5人の子どもが連れだって練り歩く。わが家の入り口近くには河原から切ってきた柳が立てられ、短冊や色紙細工が下げられている。浴衣を着せてもらい、手には提灯を下げ、結構、荒っぽい調子で怒鳴って歩いたものであった。
入り口に立って「ロウソク出せ」と囃すと、子どもそれぞれに1本ずつロウソクをくれたが、それが欲しくて歩いたというより、幼い仲間が連れだって歩き回ること、そのことだけで十分楽しい行事だったのである。
テレビもファミコンもない時代である。もらったロウソクは仏壇のお灯明用の小ぶりのもので、所詮はお互いの家庭に戻ってしまうのであった。
ところが、今から十数年前、北海道でもいちばん南の街、函館で暮らすことになった時の七夕はわが故郷とは違っていたのである。
まず、新暦で7月7日であること、そして「出せ、出せ」とはこない。「笹に短冊、七夕祭り、大いに祝おう、ロウソク1本下さいな」ときたモノである。わが幼少時の粗雑さとは、えらい違いである。さすが、北海道の古都らしく優雅なもの、と感じ入った次第。なかには「1本ちょうだいな」と可愛くのたまう子どももいる。
北海道のスタンダードな囃し言葉は、「ロウソク出せ、出せよ。出さぬと、かっちゃくぞ」のようだが、札幌生まれの俳人、阿部みどり女さんが、幼いころの七夕を次のように回想しているのをみると、時代によってさまざまな囃し言葉があったようである。
「〈竹に短冊七夕祭りよ、おおいやいやよ、蝋燭出せ出せよ、出さねばかっちゃくぞ〉と叫んで大八車の石油の空き缶を叩いて町内を練って歩いたものだった」。
ねぶたの提灯のロウソクを集めたのが始まりという説もあるが、星祭りのほうから考えると、旧暦で祝うのが本当のような気がする。
七夕や髪ぬれしまま人に逢ふ 多佳子
七夕の習慣として、必ず洗髪するとか、食器を洗うものだという地域は広いという。浴衣に洗い髪の女性に逢うなど、いかにも七夕の宵にふさわしい。
ふんどしに笛つつさして星迎へ 一茶
天衣無縫の境地が、ここにある。