阪神の六甲山麓、広く大阪湾から生駒連山を眼下に見おろす西官市の絶景の地に、名高い《堀江オルゴール館》がある。めぼしい収蔵品だけでも300台。いずれも今から150年以上前の1830年代から1920年代にかけて、スイスやドイツで製作された逸品である。
この7月、わたしは旧友の館長・堀江如是庵から、「ちょっとこの手紙を読んでみてくれんかな」と、彼宛の分厚い封書を手渡された。差出人は、北海道桧山郡厚沢部町の《谷目基》という人。タニメ・モトキとふりがなしてある。
実業家の如是庵がオルゴールに夢中になったのは、よわい70の半ばをすぎてから。オランダの街角で、ふと耳にしたストリート・オルガンの音色が、彼の心にとりついてしまったのである。世の中を太く逞しく渡ってきた海千山千の実業家が、純情可憐な乙女のように、アンティーク・オルゴールに熱を上げ、湯水のごとく大金を投ずるとは、思いもかけないことだった。
函館出身の19歳の若者、谷目基に宿った情熱も、東京・目白の街角で耳にした手回しオルガンがもと。「これだ、これ!」と、ものに憑かれたように、オルガンづくりの職人をこころざし、まず飛騨高山の木工学校で学んだのち、パイプオルガンの草刈工房で修業。26歳のとき、拙著『堀江オルゴール館物語・ロマノフ家のオルゴール』(未来社刊)を読み、「ああ、ここにオルゴールを愛し、職人の熱い思いを理解してくれる日本人がいる。この人のめがねにかなう作品をつくろう!」と、決意したという。また、法隆寺の再建につくし、《最後の宮大工》といわれた西岡常一さんから、「木を相手にする職人は、もっと木のことを知らんとあきまへんな。あんたも木を知りたいなら、山へ入って、土のことから勉強せんと、ええもんつくる腕にはなりまへん」と、教えられた。
それから2年…。函館から1時間余り、人里はなれた厚沢部の森の中のログハウスに住み、今は毎日、森を手入れしながら、木製オルガンとカラクリ人形の製作にはげんでいるという。
彼の熱い思いが、行間から、じわじわとにじみ出てくる手紙であった。